《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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往く年と來む年とを思ひて「神國實現への手紙」より和歌七首 (14955)
日時:2023年12月29日 (金) 13時32分
名前:立葵

皇紀二千六百八十三年、令和五年の終はりにあたり、往く年への感謝と來む年への祝福とをこめて聖典中に拜する和歌(短歌)七首を謹冩いたします

合掌
 長い前置きとなります上に、數知れぬ先師先達諸先輩におかれましては周知のことですが、初めに聖典から學ばせていただいた谷口雅春先生の「詩」について拙いまとめを記入させていただきます。
 その後に標題の和歌七首を謹掲いたします。

 尊師谷口雅春先生は生長の家の大神樣の説き給ふ眞理「生命の實相」を美しい國語の文字に書き記してお敎へ下さいました。そしてその表現の形も樣々です。神韻溢れる眞理の御言葉は、
・聖典『生命の實相』をはじめとする萬卷の書物の中で主として散文(普通の文章)として、それと共に、時には長い御文章を縮約した樣々な「詩」としても御發表下さいました。

・『生命の實相』「聖詩篇」の冒頭に掲げられてゐる「甘露の法雨」は、當初は「生長の家の歌」としてまとまった一群の詩の一部としての印象の方がまさつてゐたところ、京都支部の小木虎次郎博士の御發案によつて折本の「聖經」として讀誦されるやうになり、「天使の言葉」も同樣に誦げられるやうになりました。

・また會社勤めを續けられてゐた當時の谷口雅春先生に天降つた箴言を書き留められたといふ「智慧の言葉」が當時の『生長の家』誌への連載を經て聖典の「聖語篇」となりました。

・併せて谷口雅春先生の御作詞による多くの生長の家の聖歌も、拜聽または拜唱するだけでどれほど心が光明に滿たされて參りますかは、どなた樣におかれましても同じ歡びではないでせうか。

・そのやうなまとまった形での掲載ではありませんが、谷口雅春先生は御生涯を通じて常に和歌(主に短歌)を多くお詠みになられたことも聖典の随處や宮中歌會始への御題詠進等から尊く拜されます。
 年末にあたり、谷口雅春先生の「神國實現への手紙」所收の和歌(短歌)七首を謹冩いたします。

「神國實現への手紙」は、昭和十七年刊『靜思集』の生活篇第三章として收錄されてゐます。
 この『靜思集』は滿洲光明思想普及會の處女出版として好評を博し、内地版への要望も高まつたことを受けてその半年後には東京の光明思想普及會からも出版されました。
(參考文獻:『生長の家』誌 第十三輯 昭和十七年一月號表紙裏、同七月號裏表紙の廣告)
 戰後の再版からは掲載されなくなつた章も多くありますが、「神國實現への手紙」は殘りました。

 その後、「神國實現への手紙」は昭和二十八年刊『聖光錄』176~193頁に毎月の「手紙」として十二項目が選ばれて掲載されました。(「一月の手紙」…以下「十二月の手紙」まで)
 續いて昭和五十四年刊『新編聖光録』227~236頁には舊版『聖光錄』中の月名を除いた八項目の「神国実現への手紙」が掲載されました。

 以下の和歌(短歌)は上のいづれの御本の御文中にも掲載されてゐます。頁數は昭和十七年刊『靜思集』のものを記します。
 うち二首には黑住宗忠氏のお名前があります。谷口雅春先生は本文中の眞理を三十一文字の和歌に集約した言葉として、御自作の御歌と分け隔てなくお載せになられたことと拜察いたします。
 それ以外の五首は谷口雅春先生のお詠みになられた御歌と拜察いたします。
  再拝

192頁
此の世をば淨土とぞ思ふ大神の名(みな)誦(ず)しをれば眼の裏(うち)あかるし

193頁
ひとすぢの道ふみ行けば燦然と光みちわたるわが世界來(き)ぬ

194頁
たゞひかり光の中に我れ澄めり、すべてみひかり我れもみひかり

196頁
樂しむも又苦しむも心からかつて次第の浮世成るらん  黑住宗忠

197頁
天(あめ)つちにまかせまつりし我身(わがみ)にはあたへ給ひしことの嬉しき  黑住宗忠

198頁
『わが神』と稱(よ)べば我が身にいと近く我が身の中に神いますなり

203頁
ものなべて吾れを生かすと云ふ淨土(くに)に生(うま)れ來(き)し身の幸ひを憶(おも)ふ



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