「6月度のテーマ文と解説文」の詭弁的な論理構造。その3。 (14905) |
- 日時:2023年11月19日 (日) 13時19分
名前:生長の家classics
百地章教授と日本共産党のご主張、さらに井下・雅宣氏「本文書」との比較。
今回は最初に「緊急事態条項」に関する両極端の二つの意見を紹介・比較し、その二つのあいだに井下・雅宣氏提出の「本文書」を位置づけて、最後に「本文書」への解釈学的論理分析を施す。
なぜ両極端の意見のあいだに「本文書」を位置付けるかというと、「生長の家classics」をふくむ読者が「憲法改正は良い悪い」の価値判断をとりのぞいて、客観的に(第三者的に)「本文書」を読めるようにするためである。…といっても、わかりにくいかもしれないので、
まず、今の日本には「緊急事態条項」に関する賛否両論の多様な意見が飛び交っているが、それらのうちで賛成論(「憲法に緊急事態条項を記入するべきだ」という主張)として最も明快かつ緻密な主張が、憲法学者・百地章教授のご主張である。
次に反対論(「憲法に緊急事態条項を記入してはならない」という主張)としては、日本共産党のご主張が最も明快かつ有名である。日本共産党の反対論は、論理構成の緻密さの点でも、数ある護憲集団(政党を含む)のなかで最高である。
よって、次に、その百地教授と日本共産党のご両者の所論を多方面から紹介・比較して、そのあとで井下・雅宣氏「本文書」を両者のあいだに位置付ける。これによって「生長の家classics」を含む読者が、より客観的かつ公平に「本文書」を観察する座標軸を獲得できるはず…という理由である。
…なお、ここで一つ技術的な変更を読者に了解していただかなければならない。それは、前回まで使ってきた「緊急事態」という言葉すべてをここからは「異常事態」と呼び、また、「緊急事態条項」という言葉もすべて「異常事態条項」と呼ぶように、「緊急」を「異常」に置き換える名称変更を行うことである。
なぜこのような名称変更を行うかというと、その理由は単純である。たとえば百地教授のような改憲派にとっては「憲法改正を行わなければ対処できない緊急事態」が今の日本に存在するが、日本共産党のような護憲派にとっては「憲法改正を行わなければ対処できない緊急事態」など存在しないからである。
たとえば、下に紹介するが日本共産党は、憲法改正に影響を与える議論の場ではほとんど「緊急事態」という言葉を使っていない。そのかわりに「非常事態」という言葉を使っている。これがなぜかと言うと、改憲を認めない日本共産党にとって「緊急事態(何らかの私権制限や憲法改正を行わなければ対処できない事態)」など存在しないからである。
したがって、ここからは前回まで当然のように使ってきた「緊急事態」および「緊急事態条項」という言葉を使わない。そのかわりに、改憲派も護憲派も使っていない「異常事態」および「異常事態条項」という言葉を使う。これによって、「生長の家classics」をふくむ読者全員が「憲法改正が良い・悪い」という個々人の価値判断をさらに離れて、より純粋に論理だけを眺めることができるはずなのである(M・ウェーバーをご存じのかたは、ヴェルト・フライハイトを想起ねがいたい)。…少しむずかしいかもしれないが、この名称変更は重要な意義をもつので充分なご理解を願いたい。少なくとも、不十分な理解の上で滑稽な批判を本試論に加えるようなこと(すでに一部に見られるようである)が無いようにお願いしておく。
…ということで、以下に、
≪1≫ 今の日本に異常事態が発生する可能性があるのか無いのか。 ≪2≫ 異常事態に対処する法律(憲法ではない)の改正や制定が必要か。 ≪3≫ 憲法への異常事態条項の記入(憲法改正)が必要か否か。 ≪4≫ 改憲を行った時の弊害(私権制限・政権独裁…等)の防止策は? に焦点をあてて、百地教授と日本共産党の意見を紹介・比較する。
そのあとで、両者の意見のあいだに井下・雅宣氏「本文書」を位置付けて眺める。この面倒だが緻密な作業によって「生長の家classics」と読者は、より公平・客観的に「本文書」の論理を眺め分析する用語と座標軸を獲得できるのであった。…ということで、今からかなり複雑で面倒な手順を踏むことになるが、読者諸賢には我慢して付いて来ていただきたい。
================================= ≪1≫ 今の日本に異常事態が発生する可能性があるのか無いのか。
【百地章教授の主張】 ある。
百地教授は「憲法学会」の学会誌『憲法研究』誌(2023年第55号)のなかの「鼎談」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/constitution/55/0/55_187/_pdf/-char/ja で、次のように発言された。以下の頁数は同誌(以下、「鼎談」と略記)の頁数である。
首都直下型大地震は「我が国の存亡に関わる」という政府の報告がでているわけです。 この「国の存亡に関わる」というのは大変な報告でありまして,その確率もご存知の ように今後30年以内に70%,死者は2万3千人, 被害総額95兆円といわれています。 しかもこれは直接被害だけですから, 間接被害を含めればもっと広がります。首都 が壊滅する恐れがある, といわけですから。さらに首都脳全体にわたるブラック アウト(広域停電)が発生したら, 何日間にもわたって交通も通信も途絶え,生活 だけでなく政治も経済も一切機能しない。 (189頁~190頁)
また, 南海トラフ巨大地旋についていえば直接被筈だけでも死者23 万人, 被害 総額は220兆円と, 年間予算をはるかに超える被害が想定されている。 しかも, この巨大地震では東海から南紀, 南四国から九州まで壊滅状態になることが予想 されているわけですから, 本気で対策を考えておかなければなりません。 (190頁)
【日本共産党の主張】 ある (ただし、直接明言する文言は見当たらない)
日本共産党が「今の日本に異常事態が発生する可能性がある」と直接主張する文言は、「生長の家classics」が探したかぎり存在しない。
しかし、「『今の日本に異常事態が発生する可能性がある』と前提している」と理解するしかない日本共産党の発言はたくさんある。たとえば関東地方を襲う大地震の発生を当然の前提とする次の発言がある。
日本共産党「2022年参議院選挙・各分野の政策」 (86、防災・減災、老朽化対策) https://www.jcp.or.jp/web_policy/2022/06/202207-bunya86.html 今…激甚化、頻発化する災害に対する抜本的対策が求められています。政府は… 「防災・減災、国土強靭化のための5か年加速化対策(21~25年度)」を進めて います。…激甚化する風水害や切迫する大規模地震等への対策に12兆3000億円、 「予防保全型インフラメンテナンスへの転換に向けた老朽化対策の加速」2兆 7000億円などを内容にしています。
この文章は自民党政府の施策を紹介している。それにもかかわらず、日本共産党には珍しく(?)この施策に批判を加えていない。このように日本共産党は「切迫する大規模地震」が日本列島を襲うことを認めているのである。…次に、猛毒性をもつ感染症のパンデミックに関する日本共産党の文言。
日本共産党「2022年参議院選挙・各分野の政策」 (1、コロナ・感染症対策) https://www.jcp.or.jp/web_policy/2022/06/202207-bunya01.html 世界では、AIDS(後天性免疫不全症候群)、エボラ出血熱、SARS(重症急性呼吸器 症候群)、鳥インフルエンザ、ニパウイルス感染症、ラッサ熱、MERS(中東呼吸器 症候群)など、「30年間に少なくとも30の感染症が出現した」と言われるような、 新興感染症の出現が相次いでいます。
…とくに、はしか(麻疹)・風疹の患者が多く発生し、毎年のようにインフルエンザが 流行して、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)・AIDS患者も増加傾向にあるなど、先進国の なかで屈指の「感染症大国」である日本では、感染症対策の拡充が切実に 求められていました。ところが(自民党政府の施策は不十分です)。
…と、ここでは日本共産党らしく自民党政府の施策に批判と改善策を語っているのだが、ともあれ、以上の文言から、日本共産党も(直接明言していないものの)今の日本に「切迫する大規模地震」、さらに「エボラ出血熱…など新興感染症の出現」という異常事態が発生する可能性があることを認めている。この事実(文言)は重要である。覚えておいていただきたい。
================================= ≪2≫ 異常事態に対処する法律(憲法ではない)の改正が必要か否か。
【百地章教授の主張】 法律の改正や制定が必要である。
百地教授は上記「鼎談」のなかで、次のように主張しておられる。
新型コロナ・パンデミックについて…医療体制の問題ですけれども, 我が国では民間の 医療が大体7割を占めており, 病院の数は多い。 しかし, 民間の病院ですから, 医師 とか看護師に対して従事命令や派遣命令を出すことはできません。 実際にあった例を あげますと, 千葉県では一千人規模の野戦病院(負傷者を野外で治療する野外病院の こと。戦争を前提としているわけではない)をつくろうと言うことで資金を集めて準備 したのですが, さまざまな法律の壁があって実現できませんでした。 特にネックと なったのが医師や看護師を強制的に集めることができなかったことです。この問題は しっかり考えておかなければいけない。(188頁。括弧内は引用者)
一方, 大規模自然災害ですが…平成23年の東日本大震災についていいますと, この ような大災害に備えて災害対策基本法という法律がありまして, 災害緊急事態の布告が できることになっています。…ところが菅(直人)内閣はその布告をしなかった。 …もし緊急政令が出せれば, 生活必要物資の石油等の買い占めや物価の高騰を防止する 事も可能でした。したがって,(今の)災害対策基本法にも限界があります。(188頁)
もう一つは感染症です, 先ほど言いましたけれど, 強毒性の感染症, たとえばエボラ 出血熱のバンテミックが発生した湯合には, 現在の感染症法や新型コロナ特措法だけ では対応できません。もちろん, 何もかも憲法に盛り込むのではなくて, 法律でできる ことは法律で定めていくわけです…。(190頁)
【日本共産党の主張】 「生長の家classics」が調べたかぎり、日本共産党は法律の改正や制定の必要が「ある」とも「ない」とも明言していない。
その理由は、次に提示するように、日本共産党が、「今の憲法と法律を完全に施行すれば異常事態に充分対処できる」と考えているためと思われる。つまり、日本共産党にとって異常事態は今のままで充分に対処できるから、「異常事態に対処するための法律の変更や制定の必要があるのか無いのか」という問題自体が意味を持たないのであ(もっとも、日本共産党は異常事態と直接関係のない問題については、多くの新法制定を主張している)。
================================= ≪3≫ 異常事態条項の憲法記入(改憲)が必要か否か。
【百地章教授の主張】 異常事態に対処する「異常事態条項」の憲法記入(改憲)が必要である。
百地教授は「鼎談」のなかで、次のように語っておられる。
平成23年の東日本大震災についていいますと, このような大災害に備えて「災害対策 基本法」という法律がありまして, 災害緊急事態の布告ができることになっています。 …ところが菅(直人)内閣はその布告をしなかった。…もし緊急政令が出せれば, 生活必要物資の石油等の買い占めや物価の高騰を防止することも可能でした。… (ここには)明らかに憲法の壁があります。 この点,「なぜ災害緊急事態を布告 しなかったのか」という質問に対して, 政府の役人は, 「憲法では国民に権利自由が 保障されていますから, 法律に規定があってもそう簡単に出すことはできない」という 趣旨の答弁をしている。(188頁~189頁。黒字の括弧部は引用者)
また明らかに憲法が壁になった例として, 憲法29 条の財産権の不可侵と瓦礫の処理の 問題があります。当時, 大量の瓦礫が(道路に)流れついた中で, 首長(知事や市長 など)としては緊急車両を通すために緊急道路をつくる必要がある。そのため, すみやかに瓦礫を撤去しなければなりませんでした。 (たしかに)「災害対策基本法」 上では瓦礫などの被災物件は除去できることになっている。 法律ではそうなっている のですけれど, 首長の中には「違憲の疑いがある」とされたり, 「将来憲法裁判を 起こされる恐れがある」などといわれて躊躇した自治体の首長さん達もいました。 となるとこの問題は法律の整備だけではなく,やはり憲法に根拠規定を定めておかない ときちんと対応できない…。(189頁。括弧内は引用者)
もう一つは感染症です。 先ほど言いましたけれど強毒性の感染症, たとえばエボラ出血 熱のパンテミックが発生した場合には現在の感染症法や新型コロナ特措法だけでは対応 できません。もちろん, 何もかも憲法に盛り込むのではなくて,法律でできることは 法律で定めていくわけですが, 法律を整備しても, やはり憲法に(その)根拠 (となる)規定を置かないと, その法律そのものも機能しません。(190頁。括弧内は 引用者)
ついでに、百地教授は、「異常事態のもとでは必ずそのときに急いで作らなければならない新法律が必要になるのだ」と述べて、次のような実例をあげている。
緊急事態には, 緊急時のための立法が必ず必要になる…。 あらかじめ準備しておいた 法律だけでは絶対に対応できないことがたくさんある。このことは阪神淡路大震災の 時にも, 東日本大震災の時にも証明されました。阪神淡路大震災の時には国会が機能 していましたから, 震災発生から2ヶ月の間に14 本の緊急立法, 緊急事態に対処する ための法律が制定されている…。また東日本大震災の時にも発生から2ヶ月の間で11 本 の法律が制定されました。…このように, 緊急事態においては,緊急時のための (急いで作った)特別の法律によって初めて国民生活が守られます。だからこそ, 緊急時においても立法機能が果たせるようにして置く必要がある。たとえば国会議員 の任期の延長は一つの方法です…。(191頁。括弧内は引用者)
…ところが異常事態のもとでは、その立法機能(国会)を召集したくても招集できないことがある。そのときは異常事態に対処する法律を制定することができない。それこそが本当の異常事態(緊急事態)である。そして、そのときには内閣が緊急政令(異常事態のもとで内閣が出す政令つまり命令。戦前は「緊急勅令」といった)を発して、迅速に異常事態に対応する以外に有効な方法がないのだ…。
国会議員の任期を延長してもそれだけでは不十分で,そもそも国会が開けなくなった ときはどうするかという問題に帰着します。例えば, 首都直下型の大地震が派生した ために国会が召集さえできない, このような時こそ本当の緊急時だと思う…。戦前に は大正12年の関東大震災の時, 首都東京は壊滅状態でしたから, 3ヶ月間議会は招集 できませんでした。 そこで(当時の)山本権兵衛内閣は, 9 月1 日から1ヶ月で緊急 勅令を12本発令しています。…(今、国会議員の)任期延長の話を(与野党の国会 議員が行っているが、そのような話を)するんだったら, そもそも国会が機能できない ような緊急時にはどうするかも議論すべきだ, 緊急政令の問題まで立ち入らなかった らダメだ…。(190頁~192頁。括弧内は引用者)
しかし今の憲法には「緊急政令」という概念も言葉もない(189頁)。したがって、異常事態における最後の手段として、憲法に「緊急政令」を認めて位置づける文言を記入することが必要なのである。それを具体的にいうと、今の憲法に、「平時のルール(法制度)」から、「緊急時のルール(法制度)」ヘの切り替えを明記することである。
(緊急政令を憲法に位置付けるためには)、「平時のルール」から「緊急時のルール」 ヘの切り替えを…。 そのヒントは身近な道路交通法なんです。道路交通法では何も (事故が)ない時と, いざ事故が発生した時の特例…例えば信号を無視して緊急車両が 走れる…とかを区別しているわけですね。 そういう…説明をすると, 一般の方々は 非常にわかりやすいって言うんです…。(192頁。括弧内は引用者)
【日本共産党の主張】 異常事態条項の記入(改憲)は不要である。
日本共産党は、「今の憲法と法律を完全に実施すれば、異常事態に充分に対処できる」と、間接的に主張しておられる。
2016参議院議員選挙・各分野の政策 39、憲法 https://www.jcp.or.jp/web_policy/2016/06/2016-sanin-bunya39.html 改憲派は、大規模災害への対応を改憲の口実としていますが、災害対策を理由とする 改憲の策動には、東日本大震災の被災地から厳しい批判の声が上がっています。
東北弁護士連合会(2015年5月16日)、「…そもそも、日本の災害法制は既に 法律で十分に整備されている。…したがって、国家緊急権は、災害対策を理由としても その必要性を見出すことはできない」と。
福島県弁護士会(同4月17日)、「東日本大震災において、政府の初動対応は極めて 不十分だったと評価されているが、それは、法制度に問題があったからではなく、事前 の対策が不足し、法制度を十分に活用できなかったからである…」と。
それでは、今の憲法と法律のままで、日本共産党自身が認めた「切迫する大規模地震」(上記)や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」(上記)に充分に対処できるのであろうか…。残念ながら、対処できるという理由や具体的な方法について、日本共産党は全く語っていない。
しかし、上記の「東北弁護士連合会」と、「福島県弁護士会」が語っているかもしれない。そこで、まず「東北弁護士連合会(2015年5月16日)」 https://www.t-benren.org/statement/43 を見ると、残念ながら東北弁護士連合会も、今の憲法と法律のままで「切迫する大規模地震」や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に充分に対処できるという理由や具体的な方法について語っていない。
次に、「福島県弁護士会(同4月17日)」 https://www.f-bengoshikai.com/topics/t1/2194.html を見ても、やはり全く語っていない。良し悪しを別にして、憲法に異常事態条項を記入することに反対する政党と弁護士は、そのほとんどが、今の憲法と法律のままで「切迫する大規模地震」や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に充分に対処できるという理由や具体的な方法について語っていないようである。
ただ…しつこいようだが…日本共産党はこの記事(39憲法)のなかで注目すべき主張を行っている。それは、「今の災害対策基本法や災害救助法を利用すれば充分に異常事態に対処できる。なぜならば、災害対策基本法や災害救助法は異常事態に対処するための私権制限を認めているからだ…」という主張である。
災害対策で一番重要なことは、災害の現地で直接指揮をとる機関に、できるだけ権限を 持たせることと、徹底的な情報公開です。いまある災害対策基本法、災害救助法などは 実際に、市長村長や都道府県知事の強制権による私権制限などを明記しています…。
つまり、この主張によれば、たとえ今日、異常事態が発生しても、県知事や市長村長が、すでに「私権制限」を認めている災害対策基本法や災害救助法を根拠にして、県民や市民に「強制」的に従わせて異常事態を解決できる…のである。それならば、日本共産党が主張するように、今の憲法と法律のままで異常事態に対処できるかもしれない。
ただ、この主張は二つの面倒な論理的問題を発生させる。それは、
①もし災害対策基本法や災害救助法が本当に「私権制限」を認めているのならば、 人権を最重要視する日本共産党は今からでも災害対策基本法や災害救助法を廃止 させるべきではないか。それにもかかわらず日本共産党が災害対策基本法や災害 救助法を遂行させるような主張を行っているのは、主張が矛盾しているのでは ないか。
②災害対策基本法や災害救助法が「私権制限」を認めている理由は、通常、憲法 第22条や29条第2項ほかに規定されている「公共の福祉」にあると考えられて いる。これは簡単にいうと、「公共の福祉のためならば、個人は自分の人権が 多少制限されることも我慢しろ」ということである。日本共産党もその考え方を 認めている(次の≪4≫をご参照)。 それならば日本共産党は、同じ「公共の福祉」を目的として「異常事態条項の 憲法記入」を認め、公共の福祉のために実施される多少の私権制限も認めるべき だ。まして、異常事態条項を憲法に記入しておけば、災害対策基本法の法的根拠 がより明確になり、それによって災害対策基本法の法的安定性も高まるではない か…。
の二点である。ただ、ここでそれにこだわると話がそれてしまい、しかも、「公共の福祉とは何か」という学者の論争に巻きこまれるので、この二点に関してはここまでとする。
…さて、ここで少し話がそれるが、ここまで登場した憲法学者は改憲派の百地章教授だけである。護憲派の憲法学者が登場していない。これでは護憲派にとって不公平であろう。そこで公平さとバランスを期して、護憲派と思われる憲法学者の意見を紹介する。
百地教授と同じように大学で憲法学を教えている首都大学教授の木村草太氏は、朝日新聞デジタルの「論座」(2016年3月16日公開)の記事、 緊急事態条項の実態は「内閣独裁権条項」である https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022070200003.html のなかで、
災害対策基本法109条には、状況に応じて、供給不足の「生活必需物資の配給又は譲渡 若しくは引渡しの制限若しくは禁止」や「災害応急対策若しくは災害復旧又は国民 生活の安定のため必要な物の価格又は役務その他の給付の対価の最高額の決定」、 「金銭債務の支払」延期などに関する政令制定権限までもが定められている。 これらの規定は、かなり強力な内容だ。過剰だという評価はあっても、これで不足 だという評価は聞かれない。さらに、これらの法律ですら足りないなら、不備を 貝体的に指摘して、まずは法改正を提案すべきだ。
と、主張しておられる。
これは簡単にいうと、「今のままで異常事態に対処できる。だから異常事態条項の憲法記入は必要ない」という主張である。
しかし木村教授が信用している災害対策基本法は、教授が説明しておられるように、「異常事態のときには、生活必需物資を勝手に売るな。自由な引き渡しも行うな」、および「国民生活の安定のために必要な物の値段を勝手に値上げするな。被災した弱い立場の従業員の給料を下げるな」、さらに「被災者には借金の支払い期限を延ばしてやれ」くらいしかない。
つまり、「災害対策基本法」は、感染が猛烈に広がっている地域への出入りを強制的に禁止する「ロックダウン」を認めていない。また、道路を埋め尽くしている瓦礫や「両腕のヴィーナス」(前回14882記事)を強制除去する根拠が憲法に規定されていない(だから前回記事の美濃部光雲氏のように「憲法違反だ」と非難する声が絶えず、その結果、救助が遅れる。最悪の場合、救助が止まる)のである。この点で木村教授の主張は、「今の憲法と法律のままで、『切迫する大規模地震』や、『エボラ出血熱など新興感染症の出現』に迅速に対処できるという理由や具体的な方法」を語っていない…と判断せざるをえない。
良し悪しを別にして、憲法に異常事態条項を記入することに反対する政党と弁護士と憲法学者は、なぜかそのほとんどが、今の憲法と法律のままで、「切迫する大規模地震」や「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に充分に対処できる理由や具体的な方法について語っていないようである。
…ただ、憲法学者・木村草太教授の記事は有料記事である。賛否にかかわらず極めて有意義な記事と思われるので、読者諸賢には、「論座アーカイブ」 https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022070200003.html から、料金を支払って、全文を確認されることを勧める(以上、朝日新聞と木村教授のための広告終了)。
================================= ≪4≫ 異常事態条項を憲法に記入した時の弊害(私権制限・政権独裁…等)の防止策は?
【百地章教授の主張】 そもそも異常事態条項の憲法記入は、異常事態から国民生活と国家秩序を守るためだけでなく、立憲主義(憲法に基礎を置く法の支配)を維持することによって、可能な限り人権を守り、独裁政治を防ぐための手段でもある。
百地教授は、異常事態時に人権を守りながら独裁政治を防ぐための法的手段をいろいろ提言しておられる。
「憲法に緊急事態条項を」という問題については世論調査でも国民のかなり高い支持が 示されています。緊急事態条項は言うまでもなく, 緊急時においても立憲主義を維持 するためであり,だからこそ憲法にきちんと書いておく必要があると言うことです。 …(そのような意味の緊急事態条項として)明治憲法には第8 条の緊急命令など いくつかの規定がありましたが, 日本国憲法には何もありません。(189頁。括弧内は 引用者)
国民に対して緊急事態条項の必要性を訴える際には,やはり分かりやすい理論づけ, 理論的な説明が必要です。 そこで, 「緊急権の立憲化」のための理由を整理して みました。 以下三点あげますと, 第一に国民の命を守るために, 憲法に根拠規定 を(記入する), ということで, たとえば外出禁止とか医師の派遣命令なども 必要となります。 これはもちろん, 反対派がいうような国民の権利制限や義務を 課すこと自体が目的ではなく, あくまで国民の命を守るためです。(190頁。 括弧内は引用者)
第二に 国民生活を守るためには国会の機能を維持する必要がある。国会の機能維持は …緊急時においても国会の立法機能を維持し, それによって国民生活を守る必要が あるからで, 国会議員の任期あるいは身分の保障自体が目的ではありません。 …私は繰り返し言っているのですが, この問題は…国民の生活を守るためであって, 国会議員の身分保障のためではありません。もしそのように勘違いされたら憲法改正は 実現しません。(191頁~192頁)
最近では憲法の中に緊急事態においても制限をしてはならない権利を明記している国 も登場してきましたが,このやり方は, すでに世界人権規約やヨーロッパの人権条約 でも採用しています。そこで, 私もさまざまな提言をしております…。(193頁)
…ということで、残念なことに「生長の家classics」は、この引用部の最後にある「さまざまな提言」の具体的な内容を知ることができない。よって断言はできない。しかし百地教授は人権侵害や政府独裁を防ぐために、「世界人権規約」、あるいは「緊急事態においても制限をしてはならない権利を明記」することなどを考えておられるようである。もちろん、異常事態下の国会の開催可能性を最大化する方法も考えておられる。よって、次のように結論づけることができるであろう。百地教授は異常事態に対処するために必要なすべての法体系を提示したわけではない。しかし少なくともプラス(迅速に異常事態に対処すること)と、マイナス(人権侵害や独裁政治を防ぐこと)のバランスを取った最良の法体系を構築しようと努力しておられるのだ…と。
【日本共産党の主張】 異常事態条項など、危険極まりない。その異常事態条項を葬り去れば、余計な問題は発生しない。
日本共産党は異常事態条項の憲法記入(改憲)に反対すること、きわめて熾烈・猛烈であられる。(百地教授に対すると同様に尊敬語を使った)
日本共産党2016年参議院議員選挙・各分野の政策 (39憲法) https://www.jcp.or.jp/web_policy/2016/06/2016-sanin-bunya39.html
「自民党改憲案」は、「緊急事態条項」の創設を明記しています。…(これは) 首相が「緊急事態の宣言」を行えば、内閣が立法権を行使し、国民の基本的人権 を停止し、国民に命令への服務義務を課すなど、事実上の「戒厳令」を可能に するものです。…自民党改憲案のように…総理大臣に巨大な権限の集中を許す 「緊急事態条項」は、諸外国の例と比べても突出した危険なものです。(括弧内は 引用者)
NHK みんなと私の憲法 参議院選挙での各党の主張。日本共産党 (2022年7月) https://www3.nhk.or.Jp/news/special/minnanokenpou/seitou/kyousan.html
日本国憲法の前文を含む全条項を守る…。(自民党の改憲案の)「緊急事態条項の 創設」…は、新型コロナ対策を口実にしているが、憲法には「公共の福祉」という 形で一定の私権制限ができる規定がある。(それなのに新型コロナ)災害に乗じて 改憲を図ろうとする(のは)火事場泥棒ともいうべき暴挙だ。(括弧内と下線は 引用者)
…というように日本共産党は、異常事態条項を主張する自民党ほかの政党の改憲案を批判することに極めて熱心である。しかし、(たとえその他党批判がすべて正しいとしても)日本共産党は、自分が危惧する「切迫する大規模地震」や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に対処する具体的方法をまったく提示していない。上の≪3≫で確認したように、日本共産党は今の憲法・法律のままで異常事態に対処できる理由や具体的な方法を何も提示していないのである。
…さて、以上のように百地章教授の主張と日本共産党の主張を比較すると、両者の間には多くの相違点が見られるが、それらのなかで最も大きな相違点が次の相違点であろう。
百地教授は日本共産党が危惧する「切迫する大規模地震」や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に対処するための具体的な方法(つまり異常事態条項の憲法記入と、さらに個々の法律作成)を主張し、みずから実行しているのに対して、
日本共産党は自分が危惧する「切迫する大規模地震」や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に対処するための具体的な方法を(一般的な常識から判断して)まったく提示せず、「とにかく今のままで対処できる。学者や弁護士もそう言っている」と主張して、他の政党を批判しているだけ…という相違点である。
この相違点から判断するかぎり、百地教授の主張は日本共産党の主張よりも遥かに科学的かつ常識的である。また、百地教授の主張のほうが将来の日本国民の安全に責任を持とうとする意志に貫かれた主張である。
なぜならば、もし今の憲法と法律のままで首都直下大地震が発生して甚大な被害が発生したならば、百地教授は、「私の主張が実現していたならば…。その点では私の努力不足でした」と言えば済むだけのことである(場合によっては前半だけをつぶやいて、実際には胸を張ることもできる)が、
日本共産党の場合は国民から、「おたくは今のままで対処できると言ったではないか…」と問われたときに返す言葉がないからである。もしも日本共産党がどこかで「切迫する大規模地震」や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に対処するための具体的な方法を提示しているのならば、「生長の家classics」は日本共産党に調査不足を詫びる。しかし現状では、日本共産党の主張を「科学的な主張だ」と評価することはできない、また、「国民の安全に責任を持とうとする意志に貫かれた主張である」と認めることもできない。
================================= ≪5≫ 井下・雅宣氏「本文書」の主張と、その非科学性、無責任性
さて、視点を井下・雅宣氏「本文書」にもどす。
すでに上の記事14871で紹介したように、「本文書」の6頁は、 ③非常事態に対しての現在の日本の法整備 <現憲法は緊急事態に対応可能> と主張していた。
その③の全文は次の通りである。
③非常事態に対しての現在の日本の法整備 <現憲法は緊急事態に対応可能> では、国家の非常事態に対して、現在の日本では、どのような法整備がされているのでしょうか。まず、最初に言えることは、「平時の統治機構では対処できない」として挙げられている「戦争・内乱・恐慌・大規模自然災害」について、すべて平時の統治機構により対処できる詳細な法律規定があるということです。(後略)
まず、この引用部の最初の、「では、国家の非常事態に対して…」から、最後の「法律規定があるということです」までに合計二つの文があるから、この引用部を「二文」と名づける。
次に、この「二文」のすぐあとに書いてある「後略」とは、「本文書」を各県教化部長に提出した井下氏の文言である。もともと「本文書」は、各県の教化部長にテキストとして『憲法を知ろう』(谷口純子氏監修)を参照するよう勧めていた。実は、「二文」はその『憲法を知ろう』の36頁の引用なのである。しかし実際の36頁にはさらに文が続いている。『憲法を知ろう』は最後が49頁まである。だが、これ以上引用を続けると文章が長くなってしまう。だから「二文」のあとの文は省略した…ということで「後略」と井下氏が書き込んだわけである。
さて、それではこの「二文」は、「切迫する大規模地震」や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に対して平時の統治機構で(つまり今の憲法・法律のままで)対処できる理由や具体的な説明を語っているのであろうか。誰が読んでもわかるように、全く語っていない。「二文」は何も説明していないのである。
しかしテキストに指定された『憲法を知ろう』には「二文」の続きが書いてある。そこに書いてあるかもしれない。だから『憲法を知ろう』も見て確認しなければならない。…ということで、次の引用が「二文」の続きで、しかも異常事態条項に関する記述である。
…地震等の大規模災害に対しても、災害対策基本法、災害救助法などの法律により、政府が強い権限で災害対応にあたれる体制がすでに存在しています。 東日本大震災の際、政府が初動時に迅速な処置ができなかったとして緊急事態条項を憲法に創設すべきとの見解がありますが、それは憲法に緊急事態条項がなかったからではなく、緊急事態に対処する法律があるにもかかわらず、十分な準備がなされていなかったことが原因と言えます。(『憲法を知ろう』37頁)
このすぐあとは、上の記事14871で紹介した ④ 「緊急事態条項」が濫用された例…戦前の日本とドイツ につながっている。
それではこの部分に、「今の憲法・法律のままで異常事態に対処できる具体的な理由や説明」が書いてあるのだろうか。やはり書いてない。井下・雅宣氏「本文書」も、谷口純子氏『憲法を知ろう』も、「とにかく今のままで充分だ。異常事態に対処できるのだ」と決めつけて、一方的に論を進めているのである。
ただ…またまたしつこいようだが…「本文書」はサブテキストとして、『人間神の子は立憲主義の基礎』(谷口雅宣氏監修)を読むことも教化部長に勧めている。そこで、『人間神の子は立憲主義の基礎』(以下、『基礎』と略称)にも目を通さなければならない(どうにも手間のかかることである)。
その『基礎』のなかで異常事態条項に触れている部分は53頁から61頁である。…もう読者も面倒に感じておられるだろうから…先に結論を言うと、このなかに、「今の憲法・法律のままで異常事態に対処できる具体的な理由や説明」は書いてない。これが事実である。この事実を確認するには読者諸賢に『基礎』を購入して読んでもらう以外に方法がない。ここまで読んでくださった諸賢には、ぜひ『基礎』を購入することをお願いする(…と、これで雅宣氏のための広告終了)。
ともあれ、『基礎』のなかにも具体的な理由や説明は書いてない。『基礎』は上記の憲法学者・木村草太教授の「論座」論文を引用して自民党の改憲案を批判しているだけである。しかも、(その教授の自民党批判がすべて正しいとしても)「今の憲法・法律のままで異常事態に対処できる具体的な理由や説明」は、『基礎』の初めから終わりまで全80頁の中に全く書いてないのである。
そもそも…すでに確認したように…木村教授が信頼する災害対策基本法や災害救助法は私権制限をともなう強制的なロックダウンを認めていない。…もっとも、瓦礫や「両腕のヴィーナス」の除去に関して、たしかに災害対策基本法は、「やむを得ない必要があるときは、その必要な限度において…障害物を処分することができる」(第七十六条の六の4)と規定している。しかしその結果、「今、やむを得ない必要など存在しないではないか」、あるいは、「必要な限度を越えているではないか…」という批判にさらされて、責任者がなかなか瓦礫の除去を実施しない(あるいは実施できない)事態も実際に発生したのだった。さらに、これらの実態を別にしても、はじめから日本の法的実態が欧米の法的実態とは大きく異なっている。これが事実である。
たとえば産経新聞デジタルの記事、「緊急事態条項がない憲法は欠陥」 https://www.sankei.com/article/20230806-V37G2NHLLFMQXBWLL37AWMZUUE/ は、百地章教授の発言を紹介して、
ヨーロッパはロックダウンした。違反したら罰金で、人権を制限しても共同体を守る ことに、国民も従う。米国では大統領が指揮を執り、財政出動をはじめ自動車会社で 人工呼吸器を作らせるなど強い権限を発揮した…。
と報告している。
しかし日本の「災害対策基本法」ほかの法律に、欧米のような強い権限を政府や総理大臣に与える文言は存在しない。日本の総理大臣がトヨタやホンダに人工呼吸器の製造を命令する…このようなことは想像することもできないほど現代日本の憲法体制は「異常事態の発生」を法体系の前提から排除しているのである。
…ということで話をもどす。以上の理由で、井下・雅宣氏「本文書」も、谷口純子氏『憲法を知ろう』も、谷口雅宣氏『基礎』も、日本共産党と同様である。とても「科学的な主張だ」と評価することはできない、また、「国民の安全に責任を持とうとする意志に貫かれた主張である」と認めることもできない。なぜならば、もし今の憲法と法律のままで首都直下大地震が発生して日本国内に甚大な被害が発生したならば、総裁夫妻は教化部長と信徒たちから、「ご夫妻は、今のままで異常事態に対処できるとおっしゃったではないですか…」と言われて(実際にそのような度胸のある教化部長と信徒がいるのかどうか知らないが…)、そのときに総裁夫妻は信徒たちに答える言葉がないはずだから…である。
もちろん、もし総裁夫妻がどこかで「切迫する大規模地震」や、「エボラ出血熱など新興感染症の出現」に対処するための具体的な方法を提示しておられるのならば「生長の家classics」は総裁夫妻に調査不足を詫びる。しかし現状では、総裁夫妻の主張は(異常事態条項に関して)日本共産党の主張とまったく同じであると断言せざるをえない。
…ということで、ようやく解釈学的に雅宣氏夫妻を夫妻以上に理解することができる段階に到達した。その結論的論評は、以上の内容から次のような内容にならざるをえないであろう。
前々回と前回に続いて今回も信者に非科学的かつ無責任な論理を展開した雅宣氏夫妻は、やはり、自分の本心を隠して信者たちを言いくるめ、さらに詭弁的な物言いを行ってでも信者を自分の本心に従わせようとするような、内心では信者を見下している人なのかもしれない。ひょっとすると二人は、自分たちが信者を軽く扱い、心の奥底では○○にしていて、しかも日本共産党とよく似た主張を行っている…と、第三者に思われかねない言動をとっていることに自分で気付いていないのかもしれない…。
しかしこの結論的論評は速断することなく、本当に間違いがないのかを確認しなければならない。特に、宗教家を自称する雅宣氏夫妻が、唯物論的宗教批判を思想の根底にもつ日本共産党と、異常事態条項だけでなく自衛隊や憲法九条に関しても極めてよく似た主張を行っている…という事実は、誰にも奇異の感を与える不思議な事実であろう。
それでは、その不思議な事実は偶然に発生したものであるのだろうか、それとも雅宣氏の思想の内部に日本共産党あるいはフランクフルト学派などの新左翼思想に共鳴する何かがある結果であるのだろうか、あるいは全く別の原因に由来するものであるのだろうか…。実は、「生長の家classics」は、全く別の原因に由来していると考えているのだが、それはともかく、次回からは、そのあたりに焦点を絞って、井下・雅宣氏「本文書」(特に「人間神の子信仰」と左翼的思想との関係)に解釈学的論理分析を施していくこととする。
(第5回につづく)
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