《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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『生命の實相』大聖典に關する誤認 (14846)
日時:2023年09月11日 (月) 22時00分
名前:亀の子

 合掌

 久しぶりに「生長の家」教団の機關誌を讀む機会が與へられたが、まったくの事實誤認に驚天動地の思ひであつた。看過できない記述なのでよく讀んで注意喚起しておきたく、こちらの掲示板をお借りします。

 それは今年(令和五年)七月七日に行われたといふ「万教包容の御祭」での生長の家総裁の言葉が掲載されていた。反論したい點は多々あれど、今回は『生命の實相』大聖典に關する事實誤認を指摘しておきたい。まづは下記の文章を讀んで戴きたい。

 “そして、それらは『生命の實相』全集の中では、昭和十年代に発行されたものの中で「神道篇」という名前になっていた。その「神道篇」というのが、今の全集には存在しないのです。後年、『生命の實相』の再編をされたときに、「神道篇」に含まれていたものは全部除かれました。大聖典という『生命の實相』全集を一冊にまとめた立派な大判の聖典(昭和十一年刊、総頁数三、三三八)があります。けれども、そこにも「神道篇」に納められた文章は含まれていません。これは、国の高い地位にいる誰かが検閲して「削除しろ」と言ったわけではなく、先生ご自身が編集責任者ですから、「これはやめておこう」と考えられて削除され、新しい『生命の實相』全集には含まれなかった。そして今に至っているわけです。”(『生長の家』令和五年九月号「万教包容の御祭での言葉」16頁より)


 上記の抜粋の冒頭の“そして、それらは”の意味するところは「皇軍」(天皇の軍隊の意)といふ呼稱を使われ、「皇軍は決して悪い意図をもっていないと信じられていた」といふ主旨を上記の言葉の前で語つてゐる。そして文中の「先生」とは、谷口雅春先生のことを指してゐることを前後關係から汲み取つて戴きたい。

 また上記の「全集」なる言葉は、發行日順で云へば黑布装版『生命の實相』全二十卷を指すものと考へられる。『生命の實相』戰前の版は他に、人造羊皮版全九卷、菊装版全十三卷、携帯版『甘露の法雨』附(袖珍清楚装版)全二十卷、事變版(天鵞絨‐ビロード装)全九卷等があるが、黑布装版『生命の實相』の方が先行發行されてゐることからこの版を指すと考へるのが妥當であらう。

 ところで、『生命の實相』大聖典の發行日は、昭和拾壹年拾壹月二十二日(奥附、昭和11年11月22日)である。この發行日をよく覺えておいていただきたい。以下に、大聖典の索引(目次)を示します。

『生命の實相』大聖典(大豪華版)索引
 神示篇   七つの燈臺の點燈者の神示/p1
 總說篇   七つの光明宣言/p23
 實相篇   光明の眞理/p51
 生活篇   『生長の家』の生き方/p367
 敎育篇   『生長の家』の敎育法/p527
 光明篇   生命に到る道/p615
 生命篇   生命圓相の眞理/p671
 精神分析篇 精神分析による心の研究/p903
 新思想篇  心が肉體に及ぼす力/p957
 倫理篇   永遠價値の生活學/p1005
 萬敎歸一篇 『大生長の家』地湧の淨土/p1199
 宗敎問答篇 生活に生きる宗敎/p1461
 質疑篇   眞理の應用及び拾遺/p1757
 聖靈篇   燃えさかる聖靈の火/p1849
 靈界篇   生命の行方/p2059
 經典篇一  聖經『甘露の法雨』講義/p2359
 經典篇二  聖經『天使の言葉』講義/p2515
 常樂篇   久遠常樂の生活/p2573
 觀行篇   神想觀實修本義/p2625
 人生問答篇 新生活への出發/p2723
 眞行篇   光明眞理の祈願/p3017
 實證篇   生長の家の奇蹟に就いて/p3115
 聖語篇   智慧の言葉/p3193
 聖詩篇   生長の家の歌/p3285 

  (本文、三三三七頁まで、『大聖典』索引以上国立国会図書館蔵書參照)

次に、黑布装版の『生命の實相』全集の發行日を示します。
 全集第一卷『總説篇・實相篇』 昭和10年1月25日
 全集第二卷『光明篇・生命篇』 昭和10年2月25日
 全集第三卷『聖靈篇・實燈篇』 昭和10年5月25日
 全集第四卷『生活篇・觀行篇』 昭和10年10月25日
 全集第五卷『靈界と死後の救ひ』昭和10年7月25日
 全集第六卷『萬敎歸一篇』    昭和10年4月25日
 全集第七卷『人生問答篇』   昭和10年6月25日
 全集第八卷『宗敎問答篇』   昭和10年3月25日
 全集第九卷『聖靈篇・實燈篇』 昭和10年8月25日
 全集第十卷『神示を受くる迄』 昭和10年9月25日
 全集第十一卷『經典篇・參考篇・宗敎問答續篇』 昭和10年11月25日
 全集第十二卷『常樂篇・經典篇・參考篇・質疑篇』昭和10年12月25日
 全集第十三卷『敎育實踐篇』 昭和12年7月1日
 全集第十四卷『久遠佛性篇・眞理體驗篇』 昭和14年2月18日
 全集第十五卷『女性敎育篇・兒童光明篇・聖典講義篇』昭和14年6月20日
 全集第十六卷『神道篇・經濟生活篇』   昭和16年9月1日
 全集第十七卷『隨喜篇・道場篇』   昭和16年10月5日
 全集第十八卷『下化衆生篇・幸福生活篇・功徳篇』  昭和16年10月25日
 全集第十九卷『幸福篇』   昭和16年11月25日
 全集第二十卷『佛敎篇・家庭敎育篇』   昭和16年12月10日

 (上記、發行日は、国立国会図書館蔵書ならびに所有の全集より參照した)
  發行日の桁がずれて表示されてしまゐます。ご勘弁ください。

 すなはち、『生命の實相』大聖典の發行當時(昭和11年11月22日)の黑布装版『生命の實相』全集は第十二卷までの刊行であり、「神道篇」が掲載されたのは第十六卷であり、『生命の實相』大聖典の發行時は、まだ發刊もされてゐないのである。

 發刊されてもゐない「神道篇」をどのやうにして「削除」出來るのだらうか。それを恰(あたか)も「谷口雅春先生は大聖典から神道篇のみを削除された」といふやうなミスリードを誘い会員・信徒等が勘違いを生ずるやうな言動は深く慎んで戴きたい。『生命の實相』大聖典の索引を見て戴いた通り、戰前の黑布装版『生命の實相』全二十卷の全集すべての御文章が掲載されてゐる譯ではない。當然であるが大聖典の「神示篇」に於いても谷口雅春先生に天降つた三十三の神示の全てが掲載されてゐる譯ではない。戰後の『生命の實相』各版に神道篇が掲載されてゐない理由は、また別の理由によるものであるが今回は取り上げない。

 改めて記載するが、そもそも『生命の實相』大聖典(翌昭和12年6月1日發行の「中聖典」も同内容)は、『生命の實相』全十二卷までの内容(全集第十卷『神示を受くる迄』は含まれてゐない)であり、十三卷以降の敎育實踐篇、久遠佛性篇、佛敎篇、幸福篇、家庭敎育篇等々も「大聖典」には含まれてゐないことは、国立国会図書館デジタルコレクションで確認して貰へば判ることである。

 「當時の『生命の實相』全集は十二冊に分立していた。これを一冊に纏めた大聖典を作り、禮拜歸一の中心標語になるやうにと信者の代表が、谷口雅春先生にご相談された結果實現することになつた。」と先達が纏められた記事もある。それを裏付ける記事も神誌にある。

 “『生命の實相』大聖典(12ポイント大活字全集12卷を一冊の靈光絢爛なる大冊に纏めたるもの)”(『生長の家』昭和十一年九月一日號より)


 繰り返すが、事實確認を怠り、詭弁を使いまことしやかに虚偽の尊師の意志を創作し、「昭和十年代」あるひは「『生命の實相』全集」といふ大まかな表現で讀むものをして誤解が生じさせるやうな言動は深く慎むべきであらう。

 時を同うして素晴らしい論究が始まつたが、當方は今囘限りとする。

  再拜


神道篇は大聖典『生命の實相』から削除したものではないことの傍證 ― 菊判裝(菊裝版)『生命の實相』と大聖典 (14847)
日時:2023年09月12日 (火) 22時08分
名前:立葵

合掌
 このたび、亀の子樣の御指摘によつて、「万教包容の御祭」に於て『生命の實相』大聖典に關しての三代目總裁殿の事實誤認に基づいた御發言があつたことを初めて知らせていただきました。
 今囘限りでと仰る亀の子樣の御言葉にも拘らず屋上屋を架することになつてしまひますことをお詫び申し上げます。
 神道篇が大聖典から削除されたといふ事實誤認につきまして、一點申し述べさせていただきます。

 なほ、以下の記述内容は自分の目で確認したものではございますが、それに至るまでに多くの方々から直接間接に御敎示をいただいたことの賜に他なりません。感謝いたしてをります。

<趣旨>
神道篇は豪華大聖典『生命の實相』から削除したものではないことの傍證
①菊判裝(菊裝版)『生命の實相』全十三卷は、大聖典の縮刷版である中聖典と同一の誌面(組版)であり、菊判裝(菊裝版)各卷のページ番號に併記して「大聖典のページ番號」も記されてゐる。
 謹註1:「中聖典」の呼稱は菊判裝『生命の實相』の凡例では「菊判聖典」である。
 謹註2:「中聖典」は大聖典の縮刷版の通稱であり、大聖典と内容は同一である。

②菊判裝(菊裝版)『生命の實相』全十三卷のうち、大聖典に收錄されてゐる卷は第七卷までである。現存の大聖典の最後のページ番號は3337である。

③菊判裝(菊裝版)『生命の實相』の第八~第十三卷は大聖典に未收錄の各篇であるが、「大聖典のページ番號」(第十三卷末尾6392まで)が引き續き併記されてゐる。

④「大聖典」とは勿論現存の大聖典とその縮刷版の中聖典のみを指すが、同一の誌面(組版)で大聖典の續篇が構想されてゐたのであらうか?

⑤ 菊判裝(菊裝版)第十一卷の神道篇には「大聖典4727-4932」のページ番號が振られてゐる(下記参照)。現存の大聖典の最後のページ番號3337以降の番號である。よつて神道篇が現存の大聖典から削除された事實はない。

<菊判裝(菊裝版)『生命の實相』について>
 菊判裝(菊裝版)全十三卷は現存の大聖典『生命の實相』の發行から黑布表紙版『生命の實相』の最後の五卷(第十六~二十卷)の發行までの概ね中間の期間に發行された、現存の大聖典と同じく山根八春氏による豪華裝幀の全集。黑布表紙版全二十卷の内容の大半を收錄。
 謹註3:中聖典の裝幀者は奧村博史氏(平塚らいてう氏の夫君)

<現存の大聖典に未收錄の菊判裝(菊裝版)『生命の實相』の第八卷以降の目次と「大聖典のページ番號」>
◎菊判裝『生命の實相』第八卷 昭和十五年四月二十五日發行
 敎育實踐篇:生命の敎育の原理・その成果/1-368 大聖典3339-3706
 經濟生活篇:光明思想的事業經營法/369-460 大聖典3707-3797
  ※昭和十六年に神道篇と共に黑布表紙版『生命の實相』第十六卷に

◎菊判裝『生命の實相』第九卷 昭和十五年八月二十日發行
 女性敎育篇:母・妻・娘の聖書/1-188 大聖典3799-3986
 家庭敎育篇:家庭と敎育の基礎/189-320 大聖典3987-4118
 佛敎篇:いのちの解脱/321-465 大聖典4110-4253
   ※前項と大聖典の頁數に重複有

◎菊判裝『生命の實相』第十卷 昭和十五年十月十日發行
 樂行篇:常樂宗敎の提唱/1-98 大聖典4255-4352
 敎育革新篇:新しき智慧/99-382 大聖典4353-4636
 功德篇:寶樹華果多し/383-471 大聖典4637-4725

◎菊判裝『生命の實相』第十一卷 昭和十六年一月三十日發行
 神道篇:日本國の世界的使命/1-206 大聖典4727-4932
 幸福生活篇:幸福生活への根本眞理/207-300 大聖典4933-5026
 道場篇:辨道聽き書/301-471 大聖典5027-5197

◎菊判裝『生命の實相』第十二卷 昭和十六年五月十五日發行
 基敎篇:新約聖書の示す眞理/1-176 大聖典5199-5374
 下化衆生篇:哲學の實踐/177-286 大聖典5375-5484
 隨喜篇:把住と放行/287-422 大聖典5485-5620

◎菊判裝『生命の實相』第十三卷 昭和十六年十月十五日發行
 聖靈篇:燃えさかる聖靈の火/1-210 大聖典5921-6130
 幸福篇:人生生きる道/211-472 大聖典6131-6392

(以上)


  再拜

傍證に感謝申し上げます (14848)
日時:2023年09月13日 (水) 12時25分
名前:亀の子



立葵 樣

合掌

 詳しい傍證を賜はり、深く感謝申し上げます。

 今回、取り挙げた真の意味は、ただの事実誤認に留まらず、尊師の御意志を勝手に創作するといふ人間として「やってはいけないこと」を行ってゐるといふ點に對しての義憤とも云ふべきものです。

 尊師の御敎へを一器の水を一器に注ぐやうに、一滴も増さず減ぜず、師から弟子へと受け継ぐといふ佛敎の「嫡々相承」といふ意味であり、法燈継承者、また御敎へを學んだ弟子の使命であるはず。

 それを尊師がされてもゐないことを勝手に創作してゐることの畏れ多いことに氣が附いていない。あるいは氣が附いていて會員・信徒を惑わすことを言つてゐると感じたため取り挙げた次第です。

 菊判裝(菊裝版)『生命の實相』に、大聖典の頁が掲載されていることは知りませんでしたので、大變、有難く思ひます。深く感謝申し上げます。

再拜





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