緊急提言 尊師から讓られた「人類光明化のパテント」とは「今こそパブリックコメントを送るべし」との神啓と拜し奉ります(尊師の述べられた文脈での「パテント」を著作權と曲解する印象操作を許しません) (14620) |
- 日時:2023年02月26日 (日) 12時36分
名前:立葵
合掌 今囘の經口中絶藥承認反對のパブリックコメントは、承認推進派との數に於ける闘ひであります。 承認推進派は、承認賛成のパブリックコメントを止むことなく送り續けてゐると聞いてをります。
漏れ承りますところによりますと、コロナ禍の收まらぬ昨年、安倍元内閣總理大臣への銃撃事件なども起こつた大變な狀況下、まるでそのどさくさに紛れての所業の如くに、二錠服用するだけで罪惡感も稀薄のまま手輕に姙娠中絶の出來るこの藥の承認の動きが進められてゆき、個々の胎兒の生命と日本民族および世界人類の存續が危ぶまれる事態に追ひ込まれました。
それを何としても阻止すべく、尊師谷口雅春先生の御敎へを實際に形にする、すなはち現前の危機に對處するための實際運動を起こしての、懸命の署名活動や啓蒙を領導して下さつた諸師諸先輩と同志の盡力によつて、それではパブリックコメントの結果を參考にしてから決定しませうといふ一考の餘地を與へることへとこぎつけました。 しかし、まだ決して承認を履せたわけではありません。最後まで一人でも多くの聲を募ることをやめてはなりません。
肉體生命を以てこの世に生を享けてゐる私達は、目に見えぬ縱の生命との繫りの中に生きてをります。その目に見えない存在(尊師および胎兒)から、肉體生命を以てこの世に生を享けてゐる私達でしか實現できないがゆゑに托された願ひ(聲なき聲)を形にする使命がある筈です。
尊師谷口雅春先生は「人類光明化のパテントは諸君に讓られた」といふ御文章をお書きになられました。『新編聖光録』97~101頁に掲載されてゐます。同書によりますと、初出は『聖使命』新聞の昭和二十九年十月一日號所載「聖使命特信」とのことです。
さて、(數知れぬ生長の家の先生方をはじめとする先師先達から僭越なと叱られるかもしれませんが)この御文中の「パテント」といふキーワードは、多分に譬喩的な意味でお書きになられてゐるのではないかと謹解いたします。 一般的な語義は、 {英}patent 特許。専売特許。特許権。 "パテント", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, 等と解説されてをりますが、「人類光明化のパテント」を、金錢的な意味での特許だと解釋する信徒はあまり多くはないと信じてをります。
ところが、一部のネット住民の中には、この谷口雅春先生の仰った「パテント」を著作權だと主張する方々があることに目を疑ひました。著作權を巡つて紛糾してゐる殘念な事案が存在することは承知してをります。しかし、この御文章中の「パテント」は、當該の曲解した主張の根據となるやうな御言葉では決してありません。
では何のpatentか? 要點は以下に謹掲する御文章からお汲み取りいただけるかと思ひますが、敢へて拙い愚見を申し添へますなら、神樣の御意思を肉體生命をお持ちでない神樣の名代として實現させたり、そのための努力をする者といふ特許ではないでせうか。
(以下『新編聖光録』二十版100~101頁「人類光明化のパテントは諸君に譲られた」の結語部分より謹掲、漢字の字體および假名遣は同書による) (原文には改行がありませんが便宜上改行をさせていただきました。)
(前略)教祖は決して「私」ではないのであります。このことは重大なことであり『生命の實相』の第一巻に「生長の家と私」と題してハッキリ書いてあるのであります。その神からインスピレーションによって『生命の實相』の真理を伝えられ、それを私が個人企業的に小規模に経営して居たのを、前述の如く今回、聖使命会にそのパテントを譲り渡したのでありますから、私は教祖ではなく「前任経営者」と謂うべきところであります。従って今後は、私を教祖と呼ばないようにして戴きたい。
そして「教祖先生に申訳ないから光明化運動を大いにやろう」というのではなく「聖使命会の結成せられると共に神から聖使命会員がこの光明化運動を遂行するためにこの聖業を吾々にゆだねられたのであるから、この聖業を遂行することは吾ら聖使命会員の使命であり聖嘱である」という自覚で、みずからが霊の選士として聖使命に招請された者であるとして、この聖使命遂行のために協力願いたいのであります。吾ら(複数に注意して下さい)の聖使命なのであります。数は力でありますから、一人でも多くの同志を獲得して下さらんことを希望するのであります。常に今が「時」であります。
再拜
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