《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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《シリーズ解体 第3弾》谷口雅宣三代目総裁によって失わしめられたもの  その3 ― 神様の取り替え「住吉大神」から「造化の三神」へ (14598)
日時:2023年02月06日 (月) 14時59分
名前:護法の天使

生長の家大神は住吉大神である


 生長の家は宇宙の本源神の応化神にまします住吉大神が、尊師谷口雅春先生に天降り給いて、今から92年前の昭和5年に立教されました。

 住吉大神は尊師を通して33の神示をお示しになり、人類を〝人間神の子〟の悟りに導くため、唯神実相哲学の聖典『生命の實相』、神癒の聖経『甘露の法雨』、最高の瞑想法「神想観」をお与えになりました。

更に、みこころの天になる世界は中心帰一世界であり、その地上顕現の聖なる使命を持つ国が、日本国であるとお説きになられました。

 その住吉大神の導きと、尊師谷口雅春先生の慈愛に包まれて、生長の家は信徒百万の大教団となったのです。


数々の所業の末に住吉大神を脇神に押し込めた谷口雅宣氏


 しかし、昭和60年、谷口雅春先生がご昇天され、谷口清超先生が二代目の総裁に就かれると、雅宣氏は副理事長等の重要役職を担い、谷口雅春先生が推進された人類光明化・日本国実相顕現運動の形骸化を図るようになりました。

 具体的には、生政連の実質的解散、国民運動「日本を守る国民会議」からの脱退、愛国書等を含む多くの聖典の実質上の絶版、神誌の改変等々、数え上げればきりがありません。

 かくて平成11年、雅宣氏は総裁代行の指名を受けるや、谷口雅春先生を信奉する熱心な弟子、愛国的色彩の強い弟子の方々を〝原理主義者〟として、理事、教化部長等からの一掃を図り、更には運動の柱を人類光明化・日本国実相顕現運動から、地球環境保全・国際平和信仰運動へと転換したのです。

 そして、谷口清超先生が逝去されるや、「面授によって三代目総裁に就任した」と宣言し、山梨の地に百数十億円をかけて本部を移転。

東京原宿の本部会館玄関上に輝いていた生長の家大神の御神像をとりはずし、更には戦後日本が復興からまだ日も浅く貧しかった昭和29年、谷口雅春先生と信徒が心魂傾けて建造した本部会館まで解体するに至ったのです。

 こうして雅宣氏により、谷口雅春先生が信徒とともに心血を注いでおつくりになった、組織や機関誌や由緒ある建物などが次々に破壊されるところとなりました。

 中でも尊師谷口雅春先生は、晩年の昭和53年、生長の家を導き給うた住吉大神を顕斎するため、長崎の地に宇宙浄化・鎮護国家の龍宮住吉本宮を建立され、この地を総本山として天皇国日本護持の〝聖地〟とされましたが、雅宣氏はこの本宮から鎮護国家の使命を外した上、〝聖地〟と呼ぶことを禁じました。

 さらに又、谷口雅春先生御自ら龍宮界より勧請された住吉大神を、生長の家の中心の神から脇神に押し込め、代わりに造化の三神(天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神)を主神とする神様の変更を行ったのです。(平成26年11月21日、総本山秋季大祭に於いて)

 かくて尊師が神名をお書きになった尊い〝住吉大神〟の神霊符は下附を中止され封ぜられることになったのです。


全く異質の宗教団体となった現教団 令和2年4月7日の通達


 つづいて令和2年4月7日、教団は造化の三神を総本山だけでなく、各教化部、各信徒の家庭においても祀るようにとの指示通達を出しました。

そして、私たちが祈るとき最初にのべる「實相礼拝」のコトバを、

實相の御額御軸を通して宇宙の大生命に礼拝いたします
から
造化の三神と七重塔を通して宇宙の大生命に礼拝いたします要約)」
にせよと変更を指示しました。

 これは、生長の家大神を、住吉大神から造化の三神に変更するという宗教革命的指示であり、又、實相額を通さずに祈るという祈りの形の変更は、近い将来、實相額を無用のものとする意図を含むものでありましょう。

 これによって、「生長の家」という名称は同じであっても、今日の教団が信仰する神を変えたことは、人間の頭脳を取り替えたようなものであり、谷口雅春先生の「生長の家」とは異質の宗教になってしまったのです。

(続きます)

《シリーズ解体 第3弾》谷口雅宣三代目総裁によって失わしめられたもの  その3 ― 神様の取り替え「住吉大神」から「造化の三神」へ (承前) (14600)
日時:2023年02月07日 (火) 08時28分
名前:護法の天使

住吉大神と谷口雅春先生


 それでは、住吉大神とはいかなる神様で、また谷口雅春先生とはどのような関係にあられるのかをご紹介します。

 聖典『實相と現象』に、「生長の家大神とは住吉大神である」と題する次のご文章が掲載されています。

「生長の家大神とは誰方(どなた)であるかと言いますとこれは阪神間の本住吉神社にお祀りしてあるところの住吉大神(すみのえのおおかみ)であられまして、『古事記』に、天照大御神様がお生れになるに先立って、此の大宇宙浄めの神として、水と塩(靈)とを以って浄め給うところの龍宮界の神様として現れられたところの上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神と言われる三柱の神様を一體に総称して、住吉大神(俗称すみよしの大神)と申しているのであります」

 住吉大神は天照大御神がお生まれになる下準備として浄化の働きをなされた神様であり、生長の家は、その住吉大神の導きによって始まったのであると、谷口雅春先生は、次のようにお示し下さっています。

「わたしは兵庫県神戸に生まれた。わたしの産土神(うぶすなのかみ)は生田神社で、その祭神は天照大御神の御妹君の稚日女神(わかひるめのかみ)だということである。


…私の運命の大体の方向は、私の過去世の業績に基く決算によって、産土神が、何某(なにがし)の許(もと)に生まれよ、しかして何某の許へ養子に行き、結局、住吉大神の御旨(みむね)を奉戴して人類光明化運動に励むと同時に、日本国家を護る運動を起すように導かれたのであった」(『理想世界』誌 昭和49年12月号「人類光明化運動の神々の系譜」)

 ここに示されてあるとおり谷口雅春先生は、明治26年、兵庫県の烏原村でお生まれになり、数え年四歳で養子に行かれたことによって兄弟の中で唯一人高等教育をうけることとなり、早稲田大学時代、大本教時代を経て東京の浅草で執筆中、関東大震災に遭われ神戸に帰郷される。

そこで借りた家が本住吉神社の近くだったのです。

「わたしは、朝風呂が好きでしてね、その頃には「勇み湯」というお風呂が午前五時から沸いていたので…誰も入らない一番風呂に入って…その帰りに…本住吉神社へ毎日お詣りして、日本国の隆昌と、天皇家の御繁栄をお祈り申して、帰ることにしておりました。

そのときに、住吉大神の霊感をいただいて、そして、生長の家の現在説いている真理を授かったわけなんです
        (『生長の家』誌 昭和53年10月号「住吉大神と私」)

「毎朝礼拝後、自宅に帰って静坐黙念の修行をつづけているうちに、神想観の坐法や呼吸の仕方なども自然に教えられた。

…その時わたしは人類光明化のために機関雑誌『生長の家』を出せという神の声をきいたのであった
」(『理想世界』誌 昭和49年12月号「人類光明化運動の神々の系譜」)

 このように谷口雅春先生は、住吉大神から『生命の實相』『甘露の法雨』「神想観」を授けられて生長の家を創始されたのです。

 それ故、

生長の家の教(おしえ)は住吉大神より来る。

私の教ではないのである。

自分はたゞ喇叭
(らっぱ)である。

スピーカーである。

自分は大先生ではないのである。

大先生は住吉大神である


(『生長の家』誌 昭和16年12月号 十二月四日の言葉「住み吉き日」)

と述べておられるのです。


幽斎から顕斎へ 入龍宮を経て出龍宮へ


 総本山の龍宮住吉本宮の落慶は昭和53年ですが、谷口雅春先生が住吉神社奉祀の発願をされたのは、その20年前の宇治別格本山の宝蔵神社造営計画に合わせて、

「生長の家大神は神道では住吉大神であらせられるから尚、奥の院には住吉神社を奉祀してその神徳を顕揚したい希望をもっている」
(『生長の家』誌 昭和33年6月号「明窓浄机」)とご発表になったところから始まります。

その後、宇治に於いては、神癒の社・入龍宮幽斎殿が建立されることとなりました。

 そのときの〝入龍宮幽斎殿竣工慶祝献堂の祝詞(のりと)〟の一節には、

「この社殿の中央に天照大御神、左右に龍宮の大神にまします水火土大神、住吉大神をいつき祀り、これの殿を幽斎殿とし…住吉大神ここに出御し給いて龍宮海秘沈の真理を説き給う」(『生長の家』誌 昭和46年12月号)

とあり、また

「幽斎とは形式を通して神を礼拝するところの顕斎に対する語である。

すなわち魂を鎮めて神と一体なることを帰する神想観を厳修する斎殿のことである」

(『生長の家』誌 昭和42年1月号)

とお示し下さいました。

 こうして住吉大神の幽斎が整い昭和50年、いよいよ御顕斎への道が具体的に開始されることとなります。

当時谷口雅春先生は、日本の危機に際しては幽斎と共に顕斎が必要であるとして、次のようにご教示下さいました。

今、日本国の安泰に最も必要なのは、…天照大御神の出御(しゅつぎょ)の道を浄め奉った宇宙浄化の神―住吉大神を表に出すことである。

住吉大神は唯今、宇治別格本山の龍宮幽斎殿に幽斎されて在(まし)まして…併し、今や日本国の危機の事態は、住吉大神に現象の表に臨御して頂いて、直接、現象界にその御光(みひかり)を頂いて、日本国の危機の暗雲を消去して頂き、唯今、日本統治の圏外にあらせられる、謂わば、天之岩戸かくれにまします天照大御神の皇孫にまします天皇の御光を現象界にまで射し込ませる道を禊めなければならない時である。

それには幽斎と共に顕斎を必要とするのである。

…そのためには住吉大神の御殿として社殿をしつらえ奉らねばならない


(『生長の家』誌 昭和50年2月号「明窓浄机」)

 こうして、「日本国家を千万年安泰にする霊的礎(いしずえ)を築くために…鎮護国家を目的とするお宮であって住吉大神の御出御をお願いするための社(やしろ)」として(『生長の家』誌 昭和50年9月号)龍宮住吉本宮の建立は始まったのでした。

(続きます)

《シリーズ解体 第3弾》谷口雅宣三代目総裁によって失わしめられたもの  その3 ― 神様の取り替え「住吉大神」から「造化の三神」へ (承前) (14601)
日時:2023年02月09日 (木) 16時20分
名前:護法の天使


谷口雅春先生畢生(ひっせい)の御悲願 龍宮住吉本宮落慶なる


 前号で、龍宮住吉本宮建立の意義に関する谷口雅春先生の御文章を紹介しましたが、なかでも神殿建立の重要な意義について、先生は更に詳しく次のようにお示し下さいました。

「わたしは近いうちに、九州別格本山の八十万坪の聖地に、護国の神霊住吉大神の神殿を建立する準備のために移住する。

 宇宙創造の大神は、神示に、「われに神殿は不要である」と仰せられているのであります。

 絶対者にまします大神にとっては神殿は不要であるが、住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた人格神については又別の相対的意義があるのであります。

人間にとっては礼拝精神の対象として、信仰心の集中の一点として、崇敬の心を散乱せしめないためには神殿が必要なのであります。


 しかし神殿に奉斎する御神体は偶像ではないのであって〝護国の神剣〟をもって御神体とするのであります」

                  (『神の真義とその理解』)

 こうして谷口雅春先生ご夫妻は、昭和50年1月13日、81歳の御年齢のとき住吉大神の御顕斎、龍宮住吉本宮建立の為に、東京から長崎へと出立されたのです。


 谷口雅春先生は、龍宮住吉本宮の御造営が開始されると、住吉大神を讃うる御歌を毎年お詠みになりました。その中から二首ご紹介します。


  昭和五十三年 年頭の御歌 〝日本浄化〟


 住吉(すみのえ)の聖霊あまねく日の本を

      蔽
(おほ)ひつくして浄め給はん


 この年秋の住吉大神御顕斎へ向け、乾坤一擲の力を絞られて臨まれる尊師の力漲るお歌です。


  昭和五十四年 御題詠進歌 〝丘〟

     ― 龍宮住吉本宮落慶をことほぎて


 丘の上に鳥居建ちたり陽を受けて

       燃ゆるが如く稜威
(みいづ)輝く


 かくて昭和53年11月21日、谷口雅春先生御自ら斎主(いつきぬし)として、龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿新殿祭・鎮座祭を執り行われ、日本浄化、宇宙浄化を熱祷されて龍宮の大神である住吉大神を勧請されたのです。

 このみ歌には御祭りを果たされ、龍宮の光り輝くゆたかなる世界の現成を感じ取られた尊師の、清々しい喜びがあふれています。

 谷口先生が『生長の家』誌「明窓淨机」欄で、住吉大神の幽斎・顕斎の願いを記されてから、実に二十年後のことでありました。


住吉大神への敬慕の情深き 谷口雅春先生の御心


 総本山に移住された谷口雅春先生が、とりわけ喜びとされたのが、龍宮住吉本宮における〝月始め感謝祭〟でありました。

「私がこのお祭りに出席いたしておりますのは、必ず月始めには住吉大神にご挨拶に参りたい、過去の月日の御恵み、お護りを感謝申しあげたい、そしてこの月も御神徳をいただきたい、そういう意味でお参りさせていただいているわけであります。(中略)

 住吉大神様はこの愛の神の体現者として、そして全ての罪を浄めてなくしてしまうところの、そういう働きをもって顕われてこられたのであって、法則の神様というよりは、人格の神様でありますから、私はその住吉大神にあいたい! おめにかかりたい! という感じがするのです。

それは…本当に、お父さーん! お母さーん! とかいうような気持なのですね


昭和54年6月1日〝月始め感謝祭におけるお言葉〟(『白鳩』誌昭和54年10月号)

 谷口雅春先生にとって住吉大神は、〝お父さん、お母さん〟と慕う御存在だったのです。

(続きます)

《シリーズ解体 第3弾》谷口雅宣三代目総裁によって失わしめられたもの  その3 ― 神様の取り替え「住吉大神」から「造化の三神」へ (承前) (14602)
日時:2023年02月10日 (金) 08時39分
名前:護法の天使

「住吉大神」の御名をお呼びする重大な意義とその心


 ところで、谷口雅春先生は、祈るにあたっては正しき神様に祈り、その神のお名前を切実な思いをもってお呼びし、神様と自己が一体となって祈ることが、如何に大切であるかということを、繰り返しお説き下さいました。そのいくつかをご紹介します。

「常に「スミヨシノオオミカミ」と念じて、この神と一体となり、「住吉の世界」を現象の世界に持ち来して、此処を住吉の極楽世界と化すべきである。「スミヨシノオオミカミ」と念ずるとき、あなたの全存在に、生命を新生させ賦活する新しき神のいのち流れ入ってあなたの全存在が新しく健康に甦る、無理な緊張がなくなり、心は明るさにやすらぎ、平和の安心感とがあなたの全存在に行き亘る」(新版『生活の智慧365章』)

「神を父に喩えてみますならば、父は「お父さん」と呼ばなくとも父の守りは一家内に満ちており、万事万端完全に満ち備えておいて下さるのが父でありますが、子供が「お父さん」と呼んで抱きつくとき、そこに人格的交渉が顕れるのであります。祈りには実相を顕現する祈りと人格的交渉の祈りとがあるのです」(新編『生命の實相』第30巻 宗教問答篇)

 谷口雅春先生は、中学生や高校生にも神様のお名前をお呼びして祈るようご指導され、祈りの言葉を示されました。

〝住吉大神に祈ることば〟

「神さま、あなたが太陽のエネルギーとして輝いていらっしゃるときわたし達は神さまを天照大御神とお名前を称えるのであります。

神さまは無限であり、無限の善きお働きをなさるので、その時のお働きによってわれわれは神さまのお名前を称えるのであります。

 住吉大神と申上げるときには、神さまが、この世の乱れや、さわぎを鎮めて住み吉くして、この世界を住みよい世界にするお働きをして下さる時に、そのようにお呼び申上げるのであります。

 住吉大神さま、どうぞ日本の国を浄めて、この国を天国のようにして下さいませ。ありがとうございます


(『理想世界』誌ジュニア版 昭和53年3月号「七つの祈り」)


天之御中主神(本源神)は住吉大神(応化神)として顕現して初めて救いを具体化する


 生長の家を導き給い、谷口雅春先生が父のように母のように慕われた住吉大神を、現総裁、雅宣氏は徹底的に除外、追放していきました。

代表的なものを列記すると、

・聖典『神の真義とその理解』の実質絶版

(住吉大神ご顕斎の意義が説かれている聖典。信徒の眼に触れさせないために最初に実質絶版に処せられたと言われている)

・住吉大神の御言葉「神示祭」の廃止

・住吉大神「宇宙浄化の祈り」の廃止

・「住吉大神の神霊符」の下附中止

・聖使命感謝奉納祭の祝詞から「住吉大神」を削除


 そして最後の仕上げが、令和2年4月7日付、住吉大神から、〝造化の三神〟へのご祭神変更通達だったのです。

 ご祭神を変更すれば〝救い〟が生まれなくなることが、『白鳩』誌昭和48年3月号の「十四日の箴言」に、はっきりと記されています。

超越的絶対者は、それは〝絶対者〟であるが故に、われらに語りかけて対話を交えることはあり得ない。

 それ故に絶対者の慈悲を体現したところの相対的に顕現する人格神、又は天使、又は菩薩、又は教祖があらわれなければ絶対者はその救済を具体化することは出来ない。

救済を具体化することが出来ないような神は、〝神〟と称されるにしてもハタラキに於ては神ではない。


 〝神〟が救済を完うし得る本当の神となり得るためには、絶対者が相対的人格神としてあらわれて救済の御業を現実になさなければならない。

 即ち……天之御中主神が住吉大神として顕現しなければならないし、宇宙普遍の神が、ある教祖として顕現しなければならない。

……神の具体的人格的慈悲の完成は応身の教祖となって顕われることによって完成する



谷口雅宣氏の宗教的大罪と私たちの使命


 超越的絶対者すなわち宇宙の本源神は、人間の救いには直接かかわらず、救済を具体化するのは応化神であり、天使であり、菩薩であり、教祖であると、谷口雅春先生はお説き下さっています。

 救済を具体化する応化神すなわち住吉大神を追放し、教祖である谷口雅春先生をも追放した現教団に、神癒や救いが起こらなくなるのは当然です。

 更に『神の真義とその理解』に、

絶対者にまします大神にとっては神殿は不要である

と示されているとおり、絶対者にまします大神すなわち造化の三神(天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神)は、社殿などに勝手に祀ってはならないのです。

 にもかかわらず雅宣総裁は、住吉大神を主神から脇神に押し込めるため〝造化の三神〟を利用するという、まさに神をも畏れぬ所業をやってのけたのです。

 こうして現教団の信徒の人たちは、三代目の所業に従う教団執行部の指示によって、祀ってはならない神様を自宅の神棚に祀らされているのです。

 谷口雅宣総裁の誤った教義によって、信仰の喜びを失っている多くの教団信徒の方々を救うことも、谷口雅春先生の正しい生長の家のみ教えに導かれた私たちの使命でありましょう。

 一人でも多くの現教団の信徒の皆様に、「令和2年4月7日付で現教団はご祭神を取り替え、全く異質の宗教団体に変わったのです」とお伝え下さい。

                   (引用の原文は一部旧漢字、歴史的仮名遣い)



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