《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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《シリーズ解体 第2弾》谷口雅宣三代目総裁によって失わしめられたもの  その2-天も泣いた雨の中の「御神像」撤去- (14594)
日時:2023年02月03日 (金) 17時19分
名前:護法の天使

住吉大神の神姿を見た人々


 生長の家は昭和五年三月一日をもって立教されました。

この日付は『生長の家』誌の創刊号が発刊された日付ですが、第五号となる昭和五年七月一日発行の『生長の家』誌より〝神想観〟の公開伝授が始まり、神と直結する道が開かれたことによって、直接〝神姿〟を拝する人々があらわれるようになりました。

 このことについて谷口雅春先生は、「神秘面より観たる生長の家四十年史」と題する御文章において次のように述べておられます。

 「私の背後に、白髪の老翁の姿をしたキリスト(「ヨハネ黙示録」の第一章に出現している〝久遠のキリスト〟)の姿を最初に見たのは私の家内であった。

それは生長の家の最初の原稿を書いた所謂る〝発祥の家〟で、私と家内とが互いに向い合って神想観を実修している時、私の背後に空中に立っていられる白髪の老翁の神様の姿を拝したというのである。

この神姿はその後、他の信徒の集りにもあらわれたし、その頃熱心に私の宅へ日参のように来ていられた長尾初枝さんも見たと言われた」。(『生長の家四十年史』より引用)

 立教当初、谷口雅春先生はインスピレーション(神徠)を受けた霊感的長詩を、当時の神誌に次々に発表されておられましたが、その詩の校正を谷口輝子先生がなされているときに〝生長の家大神〟が神姿をあらわされたのです。

その様子を次のようにお書き下さっています。

 「「生長の家の神」が天空高く詩中の「生命の長老」に相応しいような白き衣を足まで垂れ、白髯胸まで至る姿にして神姿を現わし給うたのであった。

これでこの詩を誦することが生長の家の神を招ぶに相応しい精神的リズムを自己の心の内に作るものであると察せられる。

 爾来この同じき神姿は異る場所、異る人々によって見られ、或る時には一座の数人が同時に同一神姿を見たような事実もあって生長の家の神の存在が幻覚ではないことが第三者から立証された」。(新編『生命の實相』第33巻)


神様のお姿を服部仁郎氏が彫刻され 谷口雅春先生御自ら、お手を入れられた御神像


 こうして、谷口輝子先生をはじめ多くの信徒に、具体的に目に見える形で出現された神様のお姿を、芸術家の霊感で服部仁郎氏が彫刻されて「御神像」は生まれたのです。

 完成した「御神像」について、谷口雅春先生は次のように記されています。

 「唯今、神宮前一丁目二三ノ三〇(旧地名〝原宿〟)にある本部の旧館の正面玄関の上部に安置せられてある神像は、服部仁郞氏が、家内の霊視せる神姿を詳細に聴き、それによって模型を造り、家内が「此処はこんなでなかった。此処は斯うであった」といちいち訂正して、家内の霊視した神像に出来るだけ近づけて制作せられたものであるが、服部氏自身は、神姿を見たことはなかったが、天才的彫刻家の一種の霊感で本当に家内の見た神姿そっくりに出来ているらしいのである」(『生長の家四十年史』より引用)

 この服部仁郎氏が昭和41年昇天されたとき谷口輝子先生は、『白鳩』誌に「巨星天に昇る」と題する随想を寄せられました。

 「彫刻家として一流の技をもっていた服部さんは、「生長の家」の指導者としてもぬきん出て居られた。……

 原宿に生長の家本部会館が新築され……本部玄関の屋上に「神像」を建てることになり、夫は服部さんにその制作を依頼された。

石膏の模型が出来た時に、私たち夫妻に、アトリエまで見に来て欲しいと申出られたので、二人で出かけて行った。

「どうぞ先生のお気に入りますようにお手を入れて下さい」

 と言われるので、夫はみずからヘラを持って台の上に上り、石膏を塗ったりして手を入れて居られた。

「先生がちょっと手を加えられたら大変よくなりました」

 と服部さんは喜んで居られた。

完成された「神像」は銅像の表面を白色に塗られた神々しい御姿となり、堂々たる本部会館の円塔の前面に立って、御教の象徴と仰がれている。

(続きます)

《シリーズ解体 第2弾》谷口雅宣三代目総裁によって失わしめられたもの  その2-天も泣いた雨の中の「御神像」撤去- (承前) (14596)
日時:2023年02月04日 (土) 18時18分
名前:護法の天使

 彫刻家服部仁郞さんは、同時に光明社の社長であり、本部理事であった。

聞き伝えた各地の人々から観音様の木像がしきりに注文されて来て、多忙な日常であったが、神癒祈願部の部長として、月、水、金には本部へ出勤して居られたし、各地へ御教の講演にも出かけて居られた。

自宅での誌友会は多数の集りで、時には縁側にまで溢れるほどであった。」(『白鳩』誌昭和41年10月号)

 因みに、鳩山一郎氏が高血圧に倒れて伊豆に療養中、たびたび指導に行かれたのが服部仁郎氏であり、谷口雅春先生の直接の文書による御指導もあって鳩山氏は病から立ち上がり政界に復帰、後に総理大臣となったのです。


「光明の塔」と「御神像」は不可分にして一体である


 ところで、御神像が安置されていた原宿本部会館の円筒の建物は「光明の塔」と称せられ、地上六階、地下一階の七層になっていて、「七つの燈台」を象徴していました。

「七つ」は「完成」の数で「全て」を意味し、「燈台」とは「世を照す光」即ち宗教のことであります。

 最上階の六階は「栄光の間」と名付けられ、谷口雅春先生は、神様のお集まりになる部屋として特に心を込めてお造りになりました。

お部屋の中には「無から一切を生ず」との御教えのとおり、聖経『甘露の法雨』の他は何も置かれておらず、五階は神の栄光を受けて神癒の祈りを行う「祈りの間」になっていました。

 一方、御神像について尊師は、「右手が天を指し、左手に聖経の軸を手にせる聖者の立像は「七つの燈台の点灯者」を象徴せられる聖像」(『生長の家』誌昭和27年11月号「明窓浄机」)とご教示くださっています。

 それ故「光明の塔」と「御神像」は、「七つの燈台」と「七つの燈台の点灯者(すなわち〝生長の家大神〟であり〝住吉大神〟である)」の関係として不可分にして一体、切り離してはならなかったのです。


生長の家の神様を冒瀆する谷口雅宣総裁教団


 ところが谷口雅宣氏は、原宿本部会館を解体しただけでなく、全国信徒の信仰の結晶であった御神像を、「光明の塔」から無残な形で引きはがしたのです。

 光明思想社発行の『「生長の家」教団の平成30年史 なぜ三代目総裁は教えを改竄したのか』に、雅宣氏が行った原宿本部会館の解体と御神像の撤去についての許されざる所業(しょぎょう)が記述されています。

 「平成15年、森の中のオフィス構想が打ち出され、同年夏には原宿の本部に「森の中のオフィス事務局」が設置された。

当時の谷口清超総裁は「本部移転はまかりならん」と明確に述べておられたが、その言葉を無視し、谷口雅宣氏は、強引に、平成25年秋、山梨県北杜市への移転を強行した。

 移転に先立つ同年5月30日、長年、信徒がおろがみ仰いできた本部会館・光明の塔に安置されていたご神像が、無残にも塔から引きはがされ、古毛布にくるまれ、作業員が土足で踏みつけながらトラックに運び込まれた。

この一連の撤去作業中、教団本部による何らの式典もなく、見送る教団職員もなく、ただ教団を離れた心ある信徒二十数名が、小雨降る中、解体作業の脇で聖経『甘露の法雨』の読誦を行った。

その読誦に見送られ、トラック車中のご神像は、山梨県の「森の中のオフィス」に運ばれていった。

 ご神像は、その後、「森の中のオフィス」敷地内の一画に野ざらしで設置されている。

また、原宿の本部跡地は、光明の塔のみを残し、建物はすべて解体され、〝いのちの樹林〟なる名称を付されて公園となっている。」


御神像の撤去から始まった住吉大神外し


 前述のとおり絶対に切り離してはならなかった「光明の塔」と「御神像」。撤去作業を見守ったある信徒から、そのことを象徴する手記が寄せられました。

 「二台のバーナーで焼いたり、梃子(てこ)を金槌で打ち込んでも、御神像が(光明の塔の)台座から離れず、作業員が力尽きて何度も交代するがビクともしないように見えました。

…やっと台座が外れ…クレーンに吊し上げられトラックに無造作に横倒され、普通の荷物よりも汚れ古びた毛布と布にくるまれた御神像に…涙を止めることが出来ませんでした。」

 御神像が撤去された翌年、平成26年11月21日には龍宮住吉本宮のご祭神が変更され、令和2年4月7日付通達をもって、教団全体のご祭神が、住吉大神から造化の三神に変更させられました。

 雅宣氏による住吉大神外しは、こうして御神像の撤去から始まったのでした。

                (引用の原文は一部旧漢字、歴史的仮名遣い)


ああ!天も泣いた「ご神像」撤去 (14597)
日時:2023年02月05日 (日) 00時20分
名前:紹介

その時の映像が公開されています。


ああ!天も泣いた「ご神像」撤去

https://www.youtube.com/watch?v=D54cU6B0PpA



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