《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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鈴木邦男さん追悼 (14587)
日時:2023年01月27日 (金) 17時39分
名前:下総の野人

合掌ありがとうございます
(タイトルを変更しました)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230128/k10013964061000.html

生長の家のご出身でもあった鈴木邦男さんが帰幽されたとの報に接しました。

もうだいぶ前のことになりますが、飛田給の練成100回記念(平成19.4.13)でゲストに楠本加美野先生が来られた時に大勢の参加者の中に鈴木氏のお姿を発見し話しかけてみたことがありました。

その際にカメラをお持ちで、これで撮ってよと申されシャッターを押させてもらいました。

そのあと、当時総務の佐野先生がおられたのに気づかれ、ご無沙汰しておりますと、何十年ぶりだったと思いますが、懐かしそうに少し言葉を交わされていました。

鈴木氏の講演会などで何度かお目にかかったことがありますが、会話できたのはこの時の飛田給が最初で最後となりました。

左派との交流など批判もありましたが、氏の核心には生長の家があったことは間違いないと思っています。

生命は生き通しだとご存知のはずです。

ご冥福をお祈り申し上げております。再拝


【追記】
〇飛田給の記念行事に参加されたことをご本人がブログに書いておられました。引用します。
「・4月13日(金)昼、打ち合わせ。午後7時から生長の家飛田給道場に行く。楠本加美野先生の
講話を聞く。「生長の家」は私の思想的・宗教的な原郷だ。高校生の時に、この飛田給に来て、
練成会を受けた。それが「全て」の出発点だった。久しぶりに来た。何十年ぶりか。懐かしかっ
た。私も「再生」したような気がした。」http://kunyon.com/shucho/pdf/2007.pdf

〇この時の記念の集合写真が手元にあります。前列に楠本先生、その後ろに大勢の参加者が写っています。写っているそれぞれの顔は小さく、あまり鮮明でもないのですが、じっと目を凝らし探したところ鈴木邦男さんのお姿を見出しました。こちらに載せられませんが、知友同士の何人かにスキャンして思い出話(飛田給の話以外にあと3つ思い出があります)と共に共有しました。

改め合掌


ブログの生長の家関係記事より (14588)
日時:2023年01月28日 (土) 19時50分
名前:下総の野人

鈴木邦男さんは長いこと「鈴木邦男をぶっとばせ!」http://kunyon.com/index.htmlというブログを書いておられました。

その中には「生長の家」関係の話題もよく書いておられました。

昔読んで印象に残っていた記事を思い出し、検索して再読再見してみました。

すこしだけご紹介させていただきます。

〇平成25(2013.1.28)
【だいありー】欄
「1月27日(日)午前10時半、乃木神社。森田征史先生の「谷口哲学を学ぶ勉強会」。ゲストは、谷口雅春先生の『維摩経解釈』(日本教文社)をテキストに勉強しました。5時まで。」
http://kunyon.com/shucho/130128.html

〇平成26(2014.3.24)
【写真説明】欄
㉕3月13日(木)松下昭さんのお通夜に参列しました。
 松下さんは「生長の家」の学生運動出身です。そして「全国学協」の運動をやりました。そのあともずっと、「生長の家」の運動をやっていて、国立にある「神の国寮」理事長でした。数年前から体調を崩し、最近急に亡くなりました。66才でした。まだ若いのに。ガックリしました。

井脇ノブ子さんと
㉖井脇ノブ子さん(元衆議院議員)も、「生長の家」「全国学協」の運動をやってました。松下さんとは仲が良かっただけに、悲嘆に暮れてました。

「生長の家」の昔の仲間たちです
㉗こんな時しか会えないのが悲しいです。「生長の家」の学生運動の仲間です。井脇さん、伊藤邦典氏がいます。谷口雅春先生のお孫さんもいます。

安東巖氏(左)とも久しぶりに会いました
㉘長崎大学自治会を握り、民族派学生運動を作った人です。左、安東巖氏です。「生長の家」本部に勤めてましたが、定年で辞めて、今はフリーです。
 「今からでも国会に出たらいいのに。才能があるのにもったいないよ」と私は言いました。
http://kunyon.com/shucho/140324.html

〇平成26(2014.10.6)
【写真説明】欄
⑭9月28日(日)乃木神社。「谷口哲学を学ぶ勉強会」。講師の森田征史先生と。森田先生は、かつて「生学連」(生長の家の学生組織)の委員長でした。その下で私は書記長をしておりました。

講演する森田先生
⑮谷口雅春先生の『古事記と現代の預言』をテキストにして、森田先生が講演されました。

郡邦敏さんと
⑯日の丸の右の方には乃木将軍の木像があります。その前で、郡邦敏さんと。この勉強会の世話人です。
 私の『反逆の作法』(河出書房新社)を読んでくれて、フェイスブックに紹介してくれました。私が影響を受けた人として、谷口雅春先生や大森知義先生(「生長の家学生道場」道場長だった人)のことを書きました。それで、紹介してくれたんだそうです。
 そしたら、「布清信(ぬの・きよのぶ)という人から問い合わせがありました。本を紹介してくれたのはありがたいが、あんたは誰だ! 鈴木さんと知り合いか?」と。「そうです。生学連の後輩です」と答えたそうです。布君には、この本を大森先生のご自宅に届けてもらったのです。石川県七尾市です。
 今は、お孫さんの代ですが、お仏壇に供えて下さったそうです。「近々、お墓参りに行きます」と布君に言ってありました。そんな時に、フェイスブックにこの本が出てたので驚いたんでしょう。http://kunyon.com/shucho/141006.html


合掌

鈴木邦男さん お別れの会一般献花に (14669)
日時:2023年03月23日 (木) 22時22分
名前:下総の野人

今宵、鈴木邦男さんの「お別れの会」が開かれました。招待者のみの「お別れの会」(参列200名ほどだったとか)とは別に、誰でも自由に一般献花ができる場を設けて下さっているとのことでお参りに行って来ました。

https://www.sankei.com/article/20230321-CNIMREZLX5LE3FW4BKUMHXAAQA/

この日に合わせ、同じく追悼の思いで鈴木邦男さんの著作『反逆の作法』(河出書房新社、2014)を再読して参りました。本書は品切れ・重版未定でもう販売されていません。鈴木氏が影響を受けた11人を取り上げ一人一章ずつ書かれています。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309226071/


目次を出版社HPより転載します。

●保守こそキリストの思想を理解せよ ――イエス・キリスト
●最大の護身とは逃げ足の速さである ――大庭英雄
●「精神」や「発想」の中で漫画が暴れ回る ――山川惣治
●右翼が否定した右翼の在り方 ――山口二矢
●宗教家は平和を希求するな、剣を投げ込め ――大森知義
●今の右翼は三島の叫びを受け止められるのか ――森田必勝
●革命は実務だ ――竹中労
●自分が変われば相手が変わる。世の中も変わる ――谷口雅春
●対立感情はいつしか差別感情に転化していく ――高橋和巳
●己を引き受けられる反旗とは何か ――北一輝
●人々は自由を持て余している ――ドストエフスキー

「生長の家」関連では、谷口雅春先生と学生道場の道場長・大森知義先生が取り上げられています。

谷口雅春先生の箇所を少し引用紹介します。

先ず冒頭こう書いておられます。

《人生最大の師と言ったら、「生長の家」の谷口雅春先生しかないと思う。「生長の家」との縁は深いし、長い。》

「生長の家」の信仰により肺病を癒されたことから熱心に信仰されていたお母様の影響で氏は子供の頃から教えに触れていました。

《物心ついてからずっと「生長の家」を中心に生きてきたようだ。いろんな寄り道やジグザグはあったが、心の中にずっと「生長の家」があったことは確かだ。》

「生長の家」を母体とする愛国運動に挺身されていた氏でしたが、内部対立というのでしょうか追放されてしまいました。(※この辺りの事情につき例えば山平重樹『ドキュメント新右翼 果てなき夢』二十一世紀書院に記述あり)

失意にある氏のことを谷口雅春先生は当時『やまと新聞』昭和44年(1969年)12月15日号に次のように書かれたといいます。

《この愛国の民族派学生運動を一つにまとめて全国学協の結成に力を尽くしたのが早大の鈴木邦男君である。このことはいくら表彰してもよいほど立派なことである。もう一度早大に再入学してまで、この愛国学生運動の協同体結集に情熱をかたむけて尽力したのである。その情熱家の鈴木君がこの夏ごろ、内部の役員選挙にやぶれて委員長を退職し、北大の吉田良二君が委員長になった。(略)これほど熱心にやって来た鈴木君の仕事の足場を失わしめたのだから、よほど精神的ショックを受けたに違いなかった。郷里にも帰って来ないというので、いつだか鈴木君の母親が『生長の家』本部の白鳩会の集まりのときに、心配して上京してきて、私に息子の邦男君についてたずねられた。その時私は『鈴木邦男君は立派な青年です。心配するには及びません。将来〝国士〟と言われる人になるでしょう』と答えたものであった。》

氏は書いています。

《先生はこんなに僕のことを心配し期待してくれていたのかと思うと、読んでいて思わず涙が出た。》と。

この章の最後は次のように書いて結ばれています。

《しかし考えようによってはこの〝国士〟という言葉はずいぶん重いプレッシャーだ。とてもそれに応えられるような生き方はしていない。しかし、少しでも近づくようにと心の中で思いながら生きてきたし、運動してきたことは事実だ。その意味で、谷口雅春先生は僕の心の中で、今も生きている。そしていつも見守ってくれている。》

親類縁者の方や同志知友の方々により谷口雅春先生が教え伝えて下さいました霊牌供養も行われているでしょうか。改めまして合掌。


祭文 
汝霊達の実相は、本来神の子なるが故に生まれ来ぬ先も生まれて住める世も、今住める霊の世もすべて神のみふところを離るることなし。本来、人は神の子にして天地の大御祖神と同魂なり。天地の大御祖神と同魂なるが故に万物の実相と同魂なり。汝霊達は本来物質にあらず、肉体に非ず、霊なり。されば全てのものに執らわれなく、病なく、悩みなく、苦しみなく、本来罪なく、汚れなし。すでに神の子、仏の子にして天地の大御祖神と同魂なるが故に、神通自在にして為すところ、願うところ、悉く成就して誤ること無し。
神は汝霊達の命の本源なれば、常住不可思議の生命を幸へ給ひて霊達を護り給ふ。されば霊界の努めを怠ることなく、刻々、無限向上の道に精進せられ愈愈完全円満の実相を現わして、霊界のより聖く、より高き御位に進み給へと我等一同、心を尽くして、ここに万教帰一の聖経『甘露の法雨』、聖経『顯淨土成佛經』を読誦し奉る。汝命等、心法悦に満ちて聖経の真理を受け給ひ、更に精しく「実相」の真理を体得し、神通無擬の生活に入り給ひ、自由自在に顕幽を往来して実相の大真理を衆生に宣布し、吾らの人類光明化運動・日本国実相顕現運動を霊界より守護し給ひ更に大いなる功徳を積み給はらんことを希ひ奉る。


雑誌の追悼記、ドキュメンタリー映画追悼上映 (14681)
日時:2023年04月04日 (火) 21時27分
名前:下総の野人

『創』という雑誌の4月号に「追悼! 鈴木邦男さん」が特集されていて読みました。

邦男さんと交遊のあった方々が追悼記を寄稿されています。

響いた言葉をほんのすこし拾ってみます。

〇金平茂紀(TVジャーナリスト)「清貧とは、おそらくこの人のためにある言葉だ。僕だけではないと思うけれど、鈴木邦男さんについては、すがすがしい思い出しか残っていない。」

〇中村真夕(映画監督 鈴木邦男さんのドキュメンタリー映画を撮った)「鈴木さんは何十年も住んでいる古い木造のワンルームのアパートで本に囲まれて、70を過ぎても書生か修行僧のような生活をしていた。」

〇松本麗華(麻原彰晃の三女・アーチャリー)「先生と最後にお食事させていただいたときに『宗教体験を大切にするんだよ』と仰っていましたね。先生は生長の家とキリスト教の二つを経験して、とても大切にしているって。わたしが経験したことも無駄にしないで人間として成熟してほしいって。」「12歳で父と生き別れ、自分の中の時計を止めてしまったわたしは、先生の愛情がこもった声を聞いているうちに、涙があふれて止まらなくなりました。父に思われている感じがして、父に対する屈折も薄らいでいきました。」

以上

※追悼企画として鈴木さんを主題にしたドキュメンタリー映画の再上映があるとのことです。

愛国者に気をつけろ!鈴木邦男【さよなら鈴木邦男 1週間限定トーク付き上映】

https://pole2.co.jp/coming/b638f0c5-2ce2-4e89-bcd7-c2a4bd3a3428

トークゲスト
https://pole2.co.jp/news/34821638-9ffb-442d-92e3-94065756222b

この作品の最初の方で確か氏が生高蓮の歌を聖歌集を手に持って口ずさむ場面がありました。

「愛国の情 父に享け 人類愛を 母に享け 光明思想を 師に学び」のところでした。

合掌


4/8(土)上映後

トークイベント<登壇>

武田砂鉄(ライター) × 中村真夕(監督)



4/9(日)上映後

トークイベント<登壇>

宮台真司(社会学者) × 中村真夕(監督)



4/10(月)上映後

トークイベント<登壇>

木村三浩(「一水会」代表) × 中村真夕(監督)



4/11(火)上映後

トークイベント<登壇>

松元ヒロ(コメディアン) × 中村真夕(監督)



4/12(水)上映後

トークイベント<登壇>

金平茂紀(ジャーナリスト) × 中村真夕(監督)



4/13(木)上映後

トークイベント<登壇>

雨宮処凛(作家・活動家) × 中村真夕(監督)



4/14(金)上映後

トークイベント<登壇>

上祐史浩(ひかりの輪 代表) × 中村真夕(監督)

追悼上映鑑賞の記 (14702)
日時:2023年04月14日 (金) 22時52分
名前:下総の野人

鈴木邦男氏を追ったドキュメンタリー映画『愛国者に気をつけろ!』(中村真夕監督)の追悼再上映が4/8~4/14まで東京は東中野で行われていました。

毎回上映後、中村真夕監督と鈴木さんと親交のあったゲストとのトークがありました。

本日14日の最終日に観に行って参りました。

ゲストトークは上祐史浩(ひかりの輪 代表)さん。

上祐さんは鈴木さんのことを「恩人」と仰っていました。
鈴木さんを語るうえでは当然でもありましょうが、氏の口から「生長の家」や「谷口雅春」先生の言葉も出ていました。

また鈴木さんとの思い出話から逸れて?宗教の現状や未来といったような話も結構されました。それはそれで興味深かったです。

この作品は元々は令和2年(2020)に上映されたもの。当時鑑賞できず残念に思っていました。そうしたところ鈴木さんが帰幽され、追悼の思いでDVDを求め観ておりましたが、今回劇場での再上映とのことでこれは好機と参りました。行きの電車の中で『甘露の法雨』を黙読して臨みました。映画パンフレットも入手でき喜んでいます。

改めましてご冥福を祈り合掌。


※大阪でも4/15から1週間、追悼上映があります。
第七藝術劇場
大阪市淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティ6F
【作品情報】 『愛国者に気をつけろ!鈴木邦男』
■4/15(土) 19:00
■4/16(日)~21(金) 12:50 ※4/21で終了

※横浜でもあるとのことです。4/29~

http://kuniosuzuki.com/#theater



雑誌『維新と興亜』の追悼鈴木邦男氏記事より (14771)
日時:2023年05月04日 (木) 21時47分
名前:下総の野人

道義国家日本を再建する言論誌『維新と興亜』令和五年五月号に【「新右翼」が目指したもの 鈴木邦男と野村秋介】という特集が組まれており入手しました。

https://ishintokoua.com/

目次を引きます。

特集1】「新右翼」が目指したもの 鈴木邦男・野村秋介の思想と行動 追悼 鈴木邦男氏 野村秋介氏 歿後30年
 安田浩一「差別と闘うのが本来の右翼だ」
 山平重樹「反体制右翼としての誇りを」
 花房東洋「真の愛国者・鈴木邦男」
 蜷川正大「三上卓と野村秋介─『日本とは天皇なんだ』」
 番家 誠「反共右翼から脱却した日」
 小村和年「三島事件と平泉門下」
 坪内隆彦「新右翼と『新勢力』─維新の戦闘者・毛呂清輝」

このうち花房東洋氏の「真の愛国者・鈴木邦男」を抜き書きしてご紹介します。

《鈴木邦男は真の愛国者だった。真の活動家だった。「変節した」と謗る向きもあるが、彼の天皇信仰は不動であったと信じている。》

《私と鈴木との交友は六十年に及ぶ。初めて彼と出会ったのは、昭和三十九(一九六四)年、生長の家本部練成道場であった。》

《私が生長の家道場で修行しようと決意したのは、熊本の伯父(濟々黌高校校長)の訓育と京都の伯母(生長の家草創期メンバー・白鳩会全国副会長)の神縁によるものであった。》

《道場生になるに当り、道場職員の野尻稔による面接が行われた。野尻は、元関根組(松葉会の前身)の幹部で、殺人の罪を犯し、網走刑務所に服役していた。そのとき、生長の家の聖典「生命の実相」と出会い改悛し、出所して当道場に直行したという経歴の人物であった。》

《野尻は五年後に迫る七〇年安保における左翼革命の危機を説き、そのためには「日本を死守せねばならない」と力説され「君も共に闘おう」と熱く訴えられた。私は、この人について行こうと決意したのである。》

《昭和四十年一月、野尻の提唱により、本部直属行動隊が結成された。第一分隊・学生道場、第二分隊・本部道場、第三分隊・本部とし学生道場生・本部道場員・本部職員の中より選抜された者によって編成された。》

《左翼革命阻止の前衛体として組織された当行動隊の第一回研修会には軍事訓練は素より「模擬論争」という課程があった。それは一人を残りの全員が「左翼」となって囲み、「天皇」「日米安保」「現行憲法」などについて論争を挑むのである。》

《模擬論争で理論的に完膚なきまでに打ちのめし、私に一念発起させてくれたのが、第一分隊・学生道場の道場長をしていた鈴木邦男であった。当時、鈴木は早稲田大学政経学部三年で、生長の家学生会全国総連合に所属し、書記長として活躍していた。》

《鈴木に論破された…その悔しさがバネとなって私は谷口雅春師の「限りなく日本を愛す」「日本を築くもの」「我ら日本人として」「青年の書」などを読み漁った。そして、早稲田大学に通う練修生の阪田一成(後に青年局長や本部道場責任者となる)から借りた「天皇絶対論とその影響」の文中の「天皇信仰」を何度も何度も筆写したのだった。》

このあと「天皇信仰」の引用が続きます。

《天皇への帰一の道すなはち忠なり。忠は 天皇より出でて 天皇に帰るなり。 天皇は一なり。ハジメなり。一切のもの 天皇より流れ出て(原文「で」) 天皇に帰るなり。わが『忠』、わたくしの『忠』、我輩の『忠』などと云ひて、『我』を鼻に掛ける『忠』はニセモノなり。私なきが『忠』なり。
 天皇は 天照大御神と一体なり。天照大御神は 天之御中主神と一体なり。斯くして天皇はすべての渾てにまします。『忠』の本源は天之御中主神の『御中』の理念より発して再び天之御中主神に復帰するなり。 天皇を仰ぎ、天皇に帰一し、私なきが『忠』なり。わが『忠』を(原文「と」)誇るとき、もうそれは『忠』にあらず、『我』となるなり。(後略)》

以上で引用が終わっています。原文は正漢字。

《昭和四十九年(一九七四)八月一日、鈴木邦男と十年ぶりに再会することになる。》

《鈴木とはこの再会以来、交友を深めてきた。私のとって鈴木は無条件で受け入れられる人物だ。晩年の鈴木については、様々な評価があるだろうが、彼は彼なりの信念と責任において人生を全うした。今は黙して冥福を祈るのみである。》


【追記】
この雑誌には、㈱フローラ会長・川瀬善業氏が「尊皇愛国の経営」という連載をされています。五月号にはその第十一回「日本の人口を一億五千万人にするために、適切な手を打ち続けてゆくべきです」が掲載。そこには谷口雅春先生の「大日本帝国憲法復元改正案」と「優生保護法改正」について、雅春先生の写真も掲げられ記載されています。



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