「今起て!」の神啓の御文章の續き(新編、愛藏版、頭注版) (14580) |
- 日時:2022年12月24日 (土) 17時36分
名前:立葵
<Bの① 新編>(第三十三巻154頁) 「今起て!」とその声はいった。「今のほかに時はない。『今』の中に無限があり、無尽蔵がある。軍資金が出来てから、時間の余裕が出来てから、身体の余裕が出来てから、光明化運動を始めようなどというのは間違いだ。三界は唯心の現れだ。力が出ると知れば、その時既に無限の力は汝の有(もの)である。実相のお前は久遠の神性であり、既に無限の力を持っているのだ。既に無限の力を有(も)っているのだ。」
<Bの② 愛藏版(新編の底本)>(第十卷371頁~) 『今起て!』とその聲は云つた。『今のほかに時はない。「今」の中に無限があり、無盡藏がある。軍資金が出來てから、時間の餘裕が出來てから、身體の餘裕が出來てから、光明化運動を始めようなどと云ふのは間違ひだ。三界は唯心の現れだ。力が出ると知れば、その時旣に無限の力は汝の有(もの)である。實相のお前は久遠の神性であり、旣に無限の力を持つてゐるのだ。旣に無限の力を有(も)つてゐるのだ。』
<Bの③ 頭注版>(第二十卷158頁) 「今起て!」とその声は言った。「今のほかに時はない。『今』の中に無限があり、無尽蔵がある。軍資金ができてから、時間の余裕ができてから、身体の余裕ができてから、光明化運動を始めようなどというのはまちがいだ。三界は唯心の現われだ。力が出ると知れば、その時すでに無限の力はなんじの有(もの)である。実相のお前は久遠の神性であり、すでに無限の力を持っているのだ。すでに無限の力をもっているのだ。」
<Cの① 新編>(第三十三巻154頁~) 「だけど、それは実相のことです。私はまだ現象としては無力であり、現象としては資力がありません。」私は心の中で抗弁した。 「無力なことはない。力は与えてある。資力も与えてある。」 「実相はそうでも、現象の自分は……」 「現象は無い! 無いものに引っかかるな。無いものは無いのだ。知れ! 実相のみがあるのだ。お前が実相だ、釈迦だ、キリストだ、無限だ、無尽蔵だ!」大きな降雹(こうひょう)のたばしるような声が私の頭の中でした。私は全身の痺れを感じた。
<Cの② 愛藏版(新編の底本)>(第十卷372頁) 『だけど、それは實相のことです。私はまだ現象としては無力であり、現象としては資力がありません。』私は心の中で抗辯した。 『無力なことはない。力は與へてある。資力も與へてある。』 『實相はさうでも、現象の自分は……』 『現象は無い! 無いものに引つかゝるな。無いものは無いのだ。知れ! 實相のみがあるのだ。お前が實相だ、釋迦だ、基督だ、無限だ、無盡藏だ!』大きな降雹(かうへう)のたばしるやうな聲が私の頭の中でした。私は全身の痺れを感じた。
<Cの③ 頭注版>(第二十卷158頁~) 「だけど、それは実相のことです。わたしはまだ現象としては無力であり、現象としては資力がありません」わたしは心の中で抗弁した。 「無力なことはない。力は与えてある。資力も与えてある。」 「実相はそうでも、現象の自分は……」 「現象は無い! 無いものに引っかかるな。無いものは無いのだ。知れ! 実相のみがあるのだ。お前が実相だ、釈迦だ、キリストだ、無限だ、無尽蔵だ!」大きな降雹(こうひょう)のたばしるような声がわたしの頭の中でした。わたしは全身の痺れを感じた。
<Dの① 新編>(第三十三巻155頁) (この部分の最初の一文は戰前版の「自傳篇」には無く、戰後版にのみある一文) 久遠の今、既に無限力であり無限智であり、仏である自覚が自分に蘇生(よみがえ)って来た。 肉体は無い、物質は無い、現象は無い、実相のみ独在であると神から知らされていながら、私は今までやはり肉体を見ては自分だと思い、その痩せた姿を見ては自分自身を虚弱だと思い、財囊の中の軽きを見ては自分は貧しいのだと思っていた。しかしそれは間違いであった。天地から満ちている大宇宙の大生命が私の生命であったのである。
<Dの② 愛藏版(新編の底本)>(第十卷372頁~) (この部分の最初の一文は戰前版の「自傳篇」には無く、戰後版にのみある一文) 久遠の今、旣に無限力であり無限智であり、佛である自覺が自分に蘇生(よみがへ)つて來た。 肉體は無い、物質は無い、現象は無い、實相のみ獨在であると神から知らされてゐながら、私は今まで矢張り肉體を見ては自分だと思ひ、その痩せた姿を見ては自分自身を虛弱だと思ひ、財囊の中の輕きを見ては自分は貧しいのだと思つてゐた。併しそれは間違ひであつた。天地から滿ちてゐる大宇宙の大生命が私の生命であつたのである。
<Dの③ 頭注版>(第二十卷159頁) (この部分の最初の一文は戰前版の「自傳篇」には無く、戰後版にのみある一文) 久遠の今、すでに無限力であり無限知であり、仏である自覚が自分に蘇生(よみがえ)ってきた。 肉体は無い、物質は無い、現象は無い、実相のみ独在であると神から知らされていながら、わたしは今までやはり肉体を見ては自分だと思い、その痩せた姿を見ては自分自身を虚弱だと思い、財囊の中の軽きを見ては自分は貧しいのだと思っていた。しかしそれはまちがいであった。天地から満ちている大宇宙の大生命がわたしの生命であったのである。
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