《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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先生方、お願ひです。「宗敎戲曲篇」をテキストにして下さい! ー ペテロ「ユダ、君も先生と一緒の時代に生れて來て幸ひだな。」(「耶蘇傳」第四幕第一場) (14533)
日時:2022年10月22日 (土) 15時53分
名前:立葵

 合掌
 聖典『生命の實相』が發行されましてより九十年このかた、道ひとすぢに歩まれてこられた數知れぬ先師先達に思ひを致す時、聖典『生命の實相』の「宗敎戲曲篇」につきまして拙き言擧げを致しますのは誠に畏れ多いことではございます。

 ましてや戰後の『生命の實相』全集に從前の「神道篇・經濟生活篇」に代はつて「宗敎戲曲篇」が加はりましてより、あまたの讀者信徒の方々の間で「宗敎戲曲篇」がどのやうに拜讀され受容されてきたのかを碌に存じ上げないままでの井の中の蛙の戲言であることは重々承知してをります。

 それでも敢へて申し上げます。新刊の新編『生命の實相』「宗教戯曲篇」を手にしたことを機に、この聖典が「今」こそ、大いに仰がれて愛されてほしいといふ心願を新たにいたしました。

 先生方、是非「宗敎戲曲篇」を御講話や御講演のテキストにして下さい!
 また、各自で心靜かに拜讀したり、誌友會や勉強會や輪讀會に御緣のある方は時には配役に分かれて讀んでみたりしませんか。

「宗敎戲曲篇」は、周知の如く敗戰による占領下、昭和十六年九月一日初版發行の黑布表紙版『生命の實相』全集第十六卷「神道篇・經濟生活篇」を戰後版の『生命の實相』全集第十六卷として存續させることが叶はないといふ事情に伴つて、新修版第十六卷として出版されました。
(携帶版と頭注版では第三十一、三十二卷、新編では第四十九、五十、五十一卷)

 これも周知の如く、その内容は谷口雅春先生御作の三篇の戲曲による構成です。
「耶蘇傳」
「釋迦と維摩詰」
「月愛三昧」です。
 前二者は昭和初期に『生命の藝術』誌やその後繼誌『いのち』に連載されて大隈講堂や日比谷公会堂にて上演されました。そして昭和十一年十一月二十二日の谷口雅春先生のお誕生日の日附で光明思想普及會から單行本『釋迦・維摩・耶蘇』として出版された作品です。

「月愛三昧」は敗戰後に新たに書き下ろされて昭和二十二年八月一日附で『悲劇阿闍世王』の題名で出版された作品です。こちらも後日上演されました。
 谷口淸超先生御作「芝居見物」も同時收録されてゐます。

 さて、この「宗敎戲曲篇」が、もしも「(神道篇・經濟生活篇の)代役の第十六卷」、或は「テキストにはなりにくいお芝居」等と捉へられてゐる側面があるとしましたなら、何と殘念なことでせうか。

 勿論「神道篇・經濟生活篇」が全集版の聖典から缼落させられてしまつたことは大變な喪失です。抜き差しならぬ大問題です。
 その一方で、人と人同士の關係でもさうでありますやうに、あつてはならない筈であつた別れに直面したことによつて新たな運命的な出逢ひが生まれるといふこともまた眞實であると、しみじみと思ひます。
「宗敎戲曲篇」が戰前と戰後それぞれの計二冊の戲曲の單行本から『生命の實相』全集の卷に加はつたことは、まさにそのやうな攝理ではないでせうか。

 そして私はこの戲曲集の一篇「耶蘇傳」をテキストとして御敎へを説かれた講師に作曲家の江藤輝(えとうあきら)さんがいらしたことを知つて大變感銘を受けました。

 現在の戰後版『生命の實相』「幸福篇」(二十卷本の第十九卷、四十卷本の第三十七、三十八卷)の原型であります昭和十六年十一月二十五日刊、黑布表紙版『生命の實相』第十九卷194頁、及びその先行單行本で昭和十三年十二月十八日刊『日輪めぐる』194頁「六月二十四日」の項より ー(二段落を謹引用)

 江藤輝さん(實相を觀ずる歌の作曲者)は大阪の某誌友會毎に私の戲曲集『釋迦、維摩、耶蘇』の中にある私の書き直した耶蘇傳を講義してゐられるさうである。聖書を讀むよりも、『實相』(引用者謹註『生命の實相』)を讀むよりも、私の書いた『耶蘇傳』の方が一層ハツキリ生長の家の眞理が解ると云つて人から喜ばれると云つて江藤輝さんは又喜んでゐられる。それは一層よく解る筈である。敎義ばかりが列(なら)べて書いてあるのではなく、生きた生命(いのち)を持つて眼の前に浮びあがる人物の傳記として描いてあるのだから。戲曲集などと云ふと、何か芝居の䑓本(台本)か、遊びの本のやうに思つてゐられる人があるかも知れないが、遊びの本ではない、眞理を立體的に書いたものである。格言が眞理の直線ならば、敎(をしへ)を諄々と説いたのは線に廣がりを持たせて眞理を平面的に現したものである。私の戲曲は、その平面的な眞理に厚味を持たせて立體的にしてゐるのである。

 江藤輝さんが喜ばれたのは、私の『耶蘇傳』ではユダが磔になつてイエスが磔になつてゐないことである。『あの戲曲を讀んで初めて人間は幸福の他はあり得ないと云ふことが判りました。今迄私はキリスト敎を信じてゐましたが、イエスのやうな善人でも磔になることを思ふと善と幸福とは兩立しない、どんな善をなしてゐても結果は不幸を受けるかも知れないと云ふ潜在意識が殘つてゐて、それとなき不安を感じてゐましたが、あの戲曲を讀ませて戴いて、善人には幸福が來るほかはないと云ふことを具體的に知らせて戴いて、こんな有難いことはありません』と語られた。
(以上引用)

 この生きた感想のお言葉は、江藤輝さんであるからこそ尚一層素晴しいと感じ入りました。
 と申しますのも、江藤輝さんが父讓り※の敬虔なクリスチャンであつたが故に『生命の實相』を初めは惡魔の書だと思つて受け付けなかつたのが、その眞理に邂逅して「實相を觀ずる歌」の旋律まで作られた經緯を『眞理』第四卷「青年篇」第二章「天命を知ること」等で拜讀した折の感懷がおのづと思ひ出されたからでした。

※ 江藤輝さんの尊父の江藤嘉吉さんは谷口雅春先生から「畏友」としてお名前を紹介された信徒。谷口雅春先生に杉本五郎中佐遺著『大義』を傳へた。その書中の言葉は谷口雅春先生の御文章に引用されてゐる。
(黑布表紙版『生命の實相』第十六卷「神道篇・經濟生活篇」の「はしがき」、昭和十六年三月一日發行『信の力』63頁「天皇信仰(その二)」、昭和十六年四月十三日發行、潮文閣刊『谷口雅春選集』258頁「天皇信仰(その二)」等)

「宗敎戲曲篇」の各作品につきましては、また稿を改めさせていただきます。
 再拜

「耶蘇傳」について "わたしは私の此の『作』に愛を感ずる。作者が書いたものの實演されることは孕んだ子供が具體的に生れたにも等しいのである。"(『生長の家』誌S12.3) (14534)
日時:2022年10月27日 (木) 01時58分
名前:立葵

合掌
「耶蘇傳」は昭和十二年三月三日に日比谷公會堂で上演されました。今から八十五年餘り前のことですので直接御覧になつた方にお目にかかることは困難かもしれません。
 映像として殘す術もなかつたことかと思ひますが、舞䑓(舞台)の冩眞を拜見することができました。

 谷口雅春先生が主宰された總合雜誌『いのち』昭和十二年四月號の卷頭グラビアは「耶蘇傳舞䑓冩眞集」として8頁に亙って當日の演技が紹介されてゐます。「いのち冩眞部撮影」とあります。

 第五幕第三場の冩眞の説明文には
(10)最後の晩餐。レオナルドダヴィンチの壁畫(壁画)をそのまゝに取つてポーズをつけてある點(点)に注意下さい。」
とあります。本當に誰もが一度は目にしたことがあるのではないかと思はれるダヴィンチの名畫の場面が舞䑓上で再現されてゐることには驚歎いたしました。

 そしてこの日の公演の宣傳や紹介は、この戲曲の連載の掲載誌『いのち』(前身の『生命の藝術』時代からの連載)昭和十二年三月號の裏表紙には全面カラーでなされてゐます。さらに同號の本文頁には切り取り線で圍まれた割引劵もありました。

 同時に『生長の家』誌の卷末の「近況通信」にも頁が割かれてゐます。
○ うれしいことの限りである。生長の家の第八年の發祥記念日が近づく。(中略)三日には日比谷公會堂にて晝夜二囘に亙つて私の脚本『耶蘇傳』が尾上菊五郎の養成せる日本俳優學校劇團にて公演せられる。(後略)

○ 私は出來るならば誌友の全部に、『生長の家』の金剛不壞の眞理の地上誕生を祝ふ意味で此の劇の公演を觀に來て頂きたい。わたしは私の此の『作』に愛を感ずる。作者が書いたものの實演されることは孕んだ子供が具體的に生れたにも等しいのである。
(『生長の家』誌昭和十二年三月號「近況通信」106・107頁、及び『明窓淨机』草創篇238・239頁)

 そして、それに續く御言葉は、
○ 日本全國の誌友が同じ時間に同じ光明劇をみながら同じ光明思想の念波を起す ー それだけでも功利を離れた莊嚴な出來事である。上京して此の同じ劇を觀る機會にめぐまれない方は同日午後六時から私の著書『釋迦・維摩・耶蘇』のうちの『耶蘇傳』のところを開いて觀劇のつもりで全誌友一齊に讀んで頂きたい。

です。この上演の記録や谷口雅春先生の公演にお寄せになる御言葉に接しまして、今日もその䑓本(台本)を聖典として拜讀出來ることが改めて有難く嬉しく思はれます。

 以下、「耶蘇傳」の終幕から一讀者の書き留めた各登場人物の御言葉を記し申し上げます。
  再拜

<第五幕より 劇中の珠玉の言葉 私抄>(新編『生命の實相』第五十巻より)
15頁
悔改めるということは、過去のことをクヨクヨ後悔することじゃない
15頁
この世の中は神の国だから犯された罪もなければ、報いられるべき罪もない
17頁
喜びの涙は浄まった涙だ。
19頁
私が生れて来たのも人から崇められるためではない。却って人に事えんがためである。
24頁
どんなときにも神の子には悪魔は勝たない。真理が全世界を征服するためには却って悪魔が勝を得るように見える時機が来る。しかし最悪と見える時が、却って真理の勝利の始めなんだから。
29頁
静謐の中での一人の祈りは万人の心と共に祈る祈りになる。
30頁
私は神の子だ、私自身は苦しまない。私が苦しんでいるように見えるのは、すべての人類の心が映るのだ。人類の兄弟悩むが故に私は悩むのだ。私がこの苦しみを十字架につけてしまったときに人類全体の苦悩は消えてしまうのだ。私はこの苦しみを十字架に釘けるために祈り切らねばならないのだ。
43頁
従順が神の子の美徳だ。
46頁
生命を愛する者は生命を失い、生命を憎むものは却って永遠の生命を得るのだ
56頁
私は生命のパンであり、生命の葡萄酒であり、生命の泉である。
61頁
磔刑は人間を殺すことが出来ない。十字架に釘けられても死なない者が人間なのだ。
68頁
人を殺すものは殺され、人を生かす者は生かされるのだ。蒔いた種子は刈らねばならぬ。
83頁
神わがうちにあって、その御業をなさしめ給うのだ。

「釋迦と維摩詰」の上演に思ひを馳せて (14536)
日時:2022年10月29日 (土) 16時41分
名前:立葵

合掌
「釋迦と維摩詰」は、『生命の藝術』誌に發表された後に、昭和十年十二月七日と八日に早稻田大隈記念講堂にて光明思想普及會の主催で上演されました。

 出演者は全員が光明思想普及會の社員、つまり演劇の素人の方が毎日の勤務時間後に稽古を重ねて上演された舞䑓でした。

(それより前に第一幕だけが軍人會館にて劇團員によつて上演されましたが課題も殘つたとのことで、生長の家の御敎へを信仰する信徒さん自身による全幕上演が實現したことが傳へられてゐます。)

 觀る者聽く者ことごとくに大變な感銘を與へた舞䑓が髣髴とします。いつしかこのやうな上演が再び出來るやうな、信徒の心が一つとなつた實相世界の生長の家が地上の天皇國日本に再現することを心願といたします。

 昭和十一年十一月二十二日(生長の家記念日、谷口雅春先生のお誕生日)に出版された『釋迦・維摩・耶蘇』には「釋迦と維摩詰」「耶蘇傳」の兩戲曲と共に、「『釋迦と維摩詰』劇合評」と題して谷口雅春先生御夫妻、製作者、出演者、觀客の代表の出席による座談會の録音筆記が收録されてゐます。
 口繪には三枚の舞䑓冩眞も收められてゐます。
(第一幕 佛土の嚴淨、第二幕第一場 泉のほとり、第三幕 天女の舞)

 本書には上述の座談會や口繪など、『生命の實相』「宗敎戲曲篇」には收められてゐないものもありますが、『釋迦・維摩・耶蘇』の「序 生長の家の藝術運動」は「序 自然と生命と藝術」と改題して掲載されてゐます。
 莊重な文章語で難解かもしれませんが、その末尾のみ謹掲します。
(原文改行無し)

「吾々は物質の世界にゐて、物質なき世界に住み、たゞ生命のみの世界、たゞ生命の象徴のみの世界に住むのである。

「吾々は物質の大地を歩まず、生命の大地を歩む、見るもの聞くもの、其處に物質を見ず聞かず、生命の同胞の描いた繪を見、生命の同胞の歌ふ歌を聞くのみである。

「生長の家の實相主義の文學は斯くの如くして實相を捉へ、その實相を斯くの如くして象徴によつて再現するのである。

「自分はとも角さう云ふ態度で藝術を創作するのである。
  昭和十一年十一月 谷口雅春識
(以上引用、『釋迦・維摩・耶蘇』の「序 生長の家の藝術運動」及び各版『生命の實相』「宗敎戲曲篇」の「序 自然と生命と藝術」より)

 この戲曲の冒頭には落ち葉掃きをしてゐる釋尊の弟子達の耳に歌聲が聞こえてきます。
 現在も「久遠いのちの歌」の題で聖經「天使の言葉」に續いて讀誦したり、栗林正晴先生御作曲の聖歌として拜讀拜唱したりしてゐます。

 ただ、この舞䑓ではどんな旋律の歌だつたのでせうか。
 この舞䑓の歌謠作曲等音樂方面は『主婦之友』昭和十年五月號に掲載された生長の家探訪記事に體驗談の載つてゐる照井先生が御擔當とのことですので、叶ふならば是非とも一度お聽きしてみたいものです。
(座談によりますと、照井先生御自らが「泡の如く、…」の歌詞をお歌ひになつたやうです。)

 さて、「宗敎戲曲篇」の三本の脚本に共通して大切な場面に輝いてゐるのが「月」「月の光」です。
「釋迦と維摩詰」におきましても若僧と乙女との美しい對話の主役は「月」かもしれません。
「あの姿が淨土である。あの姿がみ佛である。」と、結ばれた若い二人を祝福した維摩詰、また迫眞の神通力を遺憾なく發現して魔王宮の魔王や天女達を歸依せしめた維摩詰、

 そして維摩詰の病室を見舞つた文殊菩薩との問答、これらの䑓詞(台詞)を通して維摩經の説く眞理にわかりやすく親しみをもつて觸れさせていただけることは、これまた何と有難い幸せでせうか。

再拜

「月愛三昧」について "人々の總(すべて)に生命を吹き込み、新しい生命と理想とをもつて立上るための據り處(拠り処)となる『信』を與(与)へる宗敎劇"(原作『悲劇阿闍世王』はしがきより) (14537)
日時:2022年10月29日 (土) 16時43分
名前:立葵

合掌
「宗敎戲曲篇」の第三作「月愛三昧」は、昭和二十七年五月一日附で新修版『生命の實相』の「宗敎戲曲篇」に收録されるに先立つて、昭和二十二年八月一日附で『悲劇阿闍世王』の作品名および書名で日本敎文社より出版されました。
 同書の卷頭、作者でおいでの谷口雅春先生の「はしがき」のお言葉には、敗戰國日本の民心の頽廢を憂へてそこに「生命」を、「光明」を吹き込まんとの大慈大悲に滿ち溢れてゐます。
(原文改行無し)

「日本にも本當によい宗敎劇をがあつて欲しいと思ふ。特に敗戰後の思想の混亂、信仰の頽廢その極に達して、人々の據り處(拠り処)を失つてゐる際に、人々の總(すべて)に生命を吹き込み、新しい生命と理想とをもつて立上るための據り處(拠り処)となる『信』を與(与)へる宗敎劇がほしいと思ふ。

「終戰後の執筆の自由、藝術の自由、出版の自由等によつて映畫劇場や、新舊劇場は滿員の盛況をつゞけてゐるが、好い脚本は涸渇の狀態であり、ほとんど皮膚の表面をくすぐる性慾的キワ物のみが氾濫して、日本人の生活を頽廢から頽廢へと加速度的に墜落せしめつゝあることは、まことに歎かはしいことである。

「日本人をこの暗澹たる絶望にも近い生活から救ふには、その總(すべて)に光明を吹き込まなければならない。その光明も皮一枚しかつらぬき得ないやうな表面の淺薄な笑ひや性慾のくすぐりであつてはならないのである。人々の總(すべて)に、今、此處に永遠に新生する『生命』を把握せしめる光明でなければならないのである。

「釋迦や阿闍世王を題材にした此の戲曲は新時代にふさはしくないやうに思ふ人があるかも知れないが、佛敎にはその深いところに立入れば、滾々として盡(尽)きない生命に觸れしめるものがあるのである。

「自分はそれを此の戲曲に表現したいと思つた。
 (以上引用、「昭和二十二年五月二十五日 名古屋市大和ホテルにて 著者識」)

 この物語には「觀無量壽經」と「大般涅槃經」との二つの經典の經文を翻案した阿闍世太子(阿闍世王)と母后韋提希夫人(ゐだいけぶにん)の魂の救ひが描かれてゐます。
 原作の標題は「悲劇阿闍世王」ですが、この戲曲では「阿闍世太子」の御身分で父王陛下と母后陛下との崩御をもつて終幕となり、歷史上に傳はる卽位後の阿闍世王の善政を見ることなく太子自身も薨去されます。
 私見かもしれませんが、「悲劇」たるゆゑんかと思ひました。

 なほ、この戲曲でもう一つかけがへのない「生命の言葉」に觸れさせていただけることが大變たふといことに思はれます。
 それは、かの時代、かの國の王宮に於て「日本の皇室敬語」が守られてゐることです。
(この項での戲曲からの引用は『悲劇阿闍世王』より)

(第一幕第一場)
「悉達太子殿下、萬歳。」

(以下、第三幕、第四幕の隨所)
「頻婆娑羅王陛下、國王陛下、父王(ちちぎみ)陛下」
「韋提希夫人陛下、御母后(おんははぎみ)陛下」
「阿闍世殿下、太子殿下、殿下」

(以下、第四幕第二場)
「申上げます。頻婆娑羅大王、唯今崩御あらせられてござりまする。」
「申し上げます。韋提希陛下、唯今、崩御せられてございます。」
 (以上引用)

 谷口雅春先生におかれましてはそれは極く當然のことでいらしたことかと拜しますので、名もなき一讀者が皇室敬語が守られてゐて嬉しいなどと申し上げることは本來この上なく不遜で失禮きはまりないことではあります。
 しかしながら、私には、本作御發表より七十五年を經た今日、この御作品に"正しい皇室敬語"を見出すことができることは、とても大切な、有難い言靈の惠みに導かれてゐるといふ救ひが感じられてやみません。

 先の英國エリザベス女王の崩御の御事にあたりましても、日本のマスコミは「崩御」と言はずに「死去」、良くても「逝去」で通しました。
「殿下、兩殿下」を「さま、ご夫妻」に置き換へる等々と同樣に、戰後一貫して本來のあるべき皇室敬語を國民に觸れさせないやうに遠ざけ、神聖なるものを觀ずる心を晦まされ續けて參りました。

 ここに、今こそ改めて「月愛三昧」を繙いて、いと高きたふとい御存在を篤く仰ぎまつる自然な民の心をも言靈の力によつて我が心としてゆけましたなら、尊師谷口雅春先生にも嘉していただけますでせうか。

  再拜



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