渡部昇一先生のご子息様の追悼文です。 (14515) |
- 日時:2022年09月30日 (金) 12時38分
名前:コスモス
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諸熊由美
渡部昇一先生のご子息様の追悼文です。 小川榮太郎様からご紹介いただきました。
渡部 玄一 2日 ·
追悼文 (長文注意、またアンチ安倍元首相の方はスルーでお願いいたします)
3年前、私の事務所にとある官庁から電話がかかってきて「38年ぶりに来日されるローマ法王猊下にお会いになりますか?」と聞かれた。 私の母が熱心なカソリック信者であることを憶えていて下さった、安倍元首相からのご配慮だった。
この時、この方はなんとお優しい、そして抜群のご記憶力を持つお方かと感嘆した。
特に発信力もない、選挙区の者でもない、ただ元首相が尊敬して下さった父・渡部昇一の遺族というだけで、あの激務の中、私たち母のことを想い起こし、そして指示してくださったのだ。
思えば父が亡くなった2017年の4月17日、その喪失に家族が呆然としている当夜、 安倍元首相は父の死の床に駆けつけて下さった。
素直な父が、現職の総理大臣が自分の死に際して駆けつけて下さったことを、向こうで待っている自分の両親にどんなふうに自慢するか、その事を想うだけでもその日の私たちにとってはどれほどの慰めになったことか。
しかもこれらのご好意は安倍元首相のいかなる政治活動や利害のプラスになるものではないのだ。
父の死後、私は父の追悼の本を出版することになった。葬儀にも来てくださった安倍先生には当然のように献本させて頂いた。 もちろんお返事など期待していなかったが、後ほどご丁寧なお手紙を頂いて恐縮した。
一流の人、一流の政治家であるとはすごいことだと感激をしたことを憶えている。
本日、2022年9月27日、安倍元首相の国葬儀が行われた。 晴れやかな日であった。
菅元首相のご弔辞も心揺さぶられるものがあったが、なによりも、本当に多くの人々(きっとマスメディアは過小評価するだろうが)が献花に並ばれたことが、何よりも心を打った。彼らは何の主張をすることもなく、ただ自らの思いで3時間、4時間の行列をものともせず、安倍先生の魂安かれと花を手向けられていた。
ですから先生、私は、今は、希望を持っております。 亡くなられた後の非道の報道、死人に口なしの卑劣な策謀、多くの人の驚くべき誤解と無知、それらを見聞きし怒りと絶望と無力感にとらわれる中、本日、あの献花に現れた多くの人々を見た時、先生の愛された我が国にはまだ希望がある、そのように思いました。
安倍元首相は総理になられてからずっと、ご自身の給料の3割を毎月東日本大震災の被災者に献金をしていた。これはすごいことである。
これを言うと、彼は資産家だから、とか、元々もらっている金額が多いから、とか難癖をつける人が必ず出てくる。しかし、少しでも世間で苦労した人ならば、億兆の資産を持っていてもこのようなことは絶対しない人もいるし、爪に火を点すような生活をしている人でも、他人のため身を削る人がいることを知っている。
マスメディアは、根拠もない捏造のようなことを取り上げ死者を冒涜するよりも、このような事実を大いに取り上げれば、それがどれだけ我が国の人々、特に青少年に良い影響を及ぼすか、少しでも考えたことがあるのだろうか?
そもそも、残されたご夫人に「こんな優しい人はいなかった」を言わせられる男が、どれくらいいるだろうか?
第二次安倍政権発足直前の夏、安倍元首相は父の招きに応じて我が家に遊びに来てくださった。色々とお話をする中で、安倍先生が大変な読書家であることが分かった。
専門的な著書だけでなく、スティーブン・キングなどもお読みになっていることに驚いたことを憶えている。あの種の本を馬鹿にする人もいるかも知れないが、例えばスティーブン・キングの小説の中には、多様な層のアメリカの人々の性質が類型的に描かれている。
それが、安倍外交に役に立ったか立たなかったかは私には分からないけれど、安倍元首相は最も重要な友好国であるアメリカの人々の心を確実につかんだ。
父との会食の時の元首相は、多くの人が述べている通り、ユーモアがあり、自然な気遣いがあり、一緒にいる人を明るい気持ちにさせるオーラがあり、このような人がもう一度首相になってくれたら日本ももっと明るくなるのに、と思った。やがて冬が来てその通りになった。
残されたご夫人は、ご葬儀のご挨拶で、松陰の「留魂録」を想起させるお言葉を述べておられたが、しかし秋が短かすぎる、と私は思った。もっとたくさんの収穫をして欲しかった。
そして、そののち、あたたかい暖炉の前で、心穏やかな、楽しい冬をご夫人と共に過ごしてほしかった。 いつも人々のことを考えて生きていらっしゃったのだから、そのくらいのことはあっていいと思った。
でも、それはやはり霊椿を蟪蛄に例えているのであろうか? 先生、私は先生の死に際し生涯かつてないくらいの怒りにとらわれております。 しかしその怒りは、先生の愛した国のために、良く、使われるべきだと、本日の献花の人々を見て思いを新たにしました。
先生、本当にお疲れ様でした。 そして心より感謝を申し上げます。 どうか安らかにお休み下さい。
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