「おもふこと思ふがままに」小攷(「誤讀(誤読)」は讀み手の讀解力の缺如ではなく書き手の責任) (14492) |
- 日時:2022年09月17日 (土) 12時43分
名前:立葵
合掌 明治天皇樣には十萬首近くの御製を詠ませ給ひておのづと「歌聖」と仰ぎまつられてあらせられます。
最晩年の明治四十五年に詠ませ給うた"歌"についての御製は、今日に至るまでよく拜誦されて參りました一首と拜し奉ります。 (出典の一例、明治神宮編『新抄明治天皇御集・昭憲皇太后御集』昭和55年、角川文庫、154頁)
をりにふれたる(謹註、六首中の第二首) おもふこと思うふがままにいひてみむ歌のしらべになりもならずも
※ 9月18日謹訂正、加筆修正 「いひてみむ」は「(私は)言つてみよう」(「む」は意志を表す助動詞と謹解。「(私は)言つてみることにする」といふ御意志。)
「みむ」は上記の意味であるにも拘らず、「みよ」(補助動詞「みる」の命令形)といふ意味と間違つて解して、以下のやうに述べてしまひました。お詫びして訂正いたします。
(誤記部分)「拜誦した誰もが、肩の力を拔いて飾らずに先づは言つてごらんなさいと勵まして戴いたやうな、ホッとした氣持になるのではないでせうか。」
(以下は誤記部分に続けた元の投稿文、未修正のまま) しかし、この御製は、好き勝手に言ひたい放題に言ひつぱなしで自己主張をすることをお薦めになられた大御心なのでせうか。
過日私は別のネット空間で、極端に奇を衒つた歌についての所感を申し述べましたところ、この明治天皇御製を葵の御紋の印籠のやうに掲げた上で自由に詠めばいいではないかといふ趣旨の反論をいただきました。
その時、主人とも話し合つて、思ふがままに言つておしまひでは駄目だね、それを整へてゆかなくては、と共に考へさせられました。
思ふがままに言つてみた、まだ形に整はない「おもふこと」が三十一文字の和歌(短歌)に凝縮されて一首となつた時、神代のいにしへの須佐之男命の御作と傳へられる我が國初めての歌以來の歷史に自分もまた連なることが出來るのではないでせうか。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 (倉野憲司校注『古事記』昭和38年版、岩波文庫、41頁、225頁)
一首と申しましても樣々に溢れ出る思ひの全てを僅か三十一文字に詠み込むのは無理ですし、それでは何を言ひたいのかわからないので、連作として何首にでも分けて自分の思ひを整理してゆくことを多くの師友より敎へていただきました。
いづれにしましても、自分の心とそれを言ひ表す言葉とが一致した時、その言葉は「ことのは」として「言靈」の響きとなり、「言葉は神なり」といふことが實感せられて參ります。
谷口雅春先生 吾々は言葉を慎まなければならない。言葉は神であって、言葉によって総てのものは創られたということが聖書の中に書いてあります。そのように禍福は言葉の中にあるのであります。……すべての人類よ、言葉の力を知れ、そして善き言葉によって人間の神性を招び出そうではないか、これが生長の家の人類光明化運動であります。 (新編『生命の實相』第47巻児童教育篇13頁、頭注版第30巻9~10頁)
さて、ここ一年ほどの間、ひとり和歌のみならず、言ひたいことを言ひたい放題に喋々と主張する文章等によつて生氣が奪はれてゆくやうな感に襲はれることが次から次へとありました。
その果てに、讀んだ人が自分の文章を「誤讀(誤読)」したと云つて書き手が讀み手を非難する文言にも何度か出遭ひました。 しかし「誤讀(誤読)」とは、讀み手が惡いのでせうか? 讀み手の讀解力が乏しいから生ずるのでせうか?
少なくとも私にはそのやうな瑕疵のない文章などはとても書けませんので、自分の文章でも和歌でも自分の眞意とは異なる解釋をされてしまつた時には、自分の表現力の至らなさを羞ぢます。 どなたにも一讀しただけで明瞭に傳はる文章や和歌を生み出したいと希つて生涯習作を續けてゆきたいと思つてをります。 (表面の意味がわかつても根本の信仰や思想信條が違ふために通じないといふ問題は又別のことといたします。)
「誤讀(誤読)」とは、書き手の責任なのではありませんか?
詠進歌に話を戻しますと、「友」の勅題に寄せて一國民としての拙い思ひを三十一文字に託して天皇陛下に詠進いたしたいと思ひます。
再拜
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