《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「實相」の「相」の字のもう一つの語義 ー それをそのまま傳へるといふこと(頭注版の隨喜篇の場合) (14454)
日時:2022年08月14日 (日) 10時22分
名前:立葵

頭注版を愛讀してこられた無數の人生の先輩方、ならびに頭注版をテキストとして御指導や御研究を積まれてきた諸先生方に、僭越なる愚論を記す非禮をお詫び申し上げます。

合掌
 地元の誌友會で毎月御講話をして下さる先生より、『生命の實相』の「隨喜篇」はとても素晴しい篇であることを繰返しお敎へ頂いてをります。そのことに啓發されて改めて拜讀するたびに感銘を新たにいたします。

 すると、谷口雅春先生御自身が「隨喜篇」のことを『生命の實相』全集のうちの"クライマックス"であるとお示しになつてゐる御文章に出逢ひました。それは新裝携帶版第三十三卷(昭和四十四年十二月十日初版發行)の「はしがき」です。
 その最初の部分を謹冩いたします。

『生命の實相』全集も、既に書き進んで第三十三卷に達した。そのそれぞれの卷も、扱つた主題に隨つてそれを讀んで功德を得ない人はないのであるが、この卷は特に重要な眞理が説かれてゐる。法華經の最も重要な部分は、私は方便品と如來壽量品であると思ふが、それにも似て、『生命の實相』の最初のクライマックスは、實相篇と光明篇とであり、最後のクライマックスが、久遠佛性篇とこの隨喜篇とであり、これは法華經で謂へば、如來壽量品にもあたる部分である。
 この篇には人間にとつて最も重要な問題、生命とは何ぞやの問題が説かれてゐて、それがキリスト敎的立場と、佛敎的立場との兩面から、その共通の眞理を聖書・佛典より引用しつつ、生長の家の萬敎歸一的敎説を明らかにするのである。
  (以上引用)

 そのやうな次第で隨喜篇を拜讀する中でやはり氣になつたのが、頭注版が初めて施した、谷口雅春先生の原文の國語表記の變更でした。
 個々の單語の書き換への一覧は最後に掲げたいと思ひますが、ここでは「相」といふ漢字を平假名の「そう」に變へてしまつたために、谷口雅春先生が御文章によつて傳へようとなされた意味がわからなくなつてしまつた例を申し上げます。

 それは、隨喜篇が昭和十六年十月五日附で初めて黑布表紙版『生命の實相』全集第十七卷として上梓された當時から一貫して使はれてきた文字表記、

「男の子はそんなになる相だ」(新修版、豪華版、愛藏版では第十七卷183頁)
といふ語句の「相」の字が頭注版では平假名になつて、

「男の子はそんなになるそうだ」(第三十三卷178頁)
となつた例です。

 漢字の「相」はここでは人相や顏つきの意です。
 昔から姙婦さんの顏つきがきつくなると男の子、優しくなると女の子等の豫測がごく普通の會話でなされてきました。科學的或は醫學的な根據はあまり無い迷信と云はれてしまふかもしれませんが、超音波診斷などで胎兒の性別がわかるやうになつた現代でも(迷信かもしれないけれども)やはり語り繼がれてゐる事柄です。私も經驗しました。

 ところが頭注版では人相や顏つきの意の「相」の漢字が平假名の「そう」になつてしまひましたので、これでは普通、傳聞の「…ださうです」の意味だと思つてしまひます。

「男の子はそんなになるさうです。」と云はれても、何がどんなふうになるのかさつぱりわかりません。頭注版の「そう」は、谷口雅春先生はもともと平假名ではなく人相や顏つきの意の「相」とお書きになつてゐたと氣附かない限り、ここの本當の文意は傳はらなくなつてしまつたと申さざるを得ません。

 この語句は、谷口雅春先生の御許に寄せられた信徒からの御禮の手紙の一節にあります。
 手紙の書き手の奧樣が懷姙された時に、男の子だといいと思つて言葉の力で屹度男の子が生まれるといふ信念を深めたといふくだりです。

 ここで、敗戰後七十七年が經つた今の價値觀で『生命の實相』を拜讀することは愼まなければならないと思ふといふことを申し述べたいと思ひます。
 男の子をとりわけて望むといふことは決して女性蔑視でも男尊女卑でもありません。

 男女どちらの子が授かつても皆たふとい神の子ですが、當時の、男子が家督を繼ぐべく誕生してほしいといふことは制度上からも、また戰局の嚴しくなつてゆく時代狀況の下、早く後繼ぎを得たいといふ背景からも、今の價値觀で男女平等でないとかジェンダーフリーでないとかいふ眼で見詰めたらこの手紙を通して語られる眞理は歪められてしまふのではないかと考へます。

 ただそのままに、この手紙の主は男の子が生まれることを願つて奧樣のお顏は男の子が生まれる「相」だと仰言つたのだと、受け止めたいと思ひます。

 その他、各卷も同樣ですが、頭注版の編輯方針に於て谷口雅春先生の書かれたままの國語表記では難しいだらうからと書き換へた語句のうち、これでは雅春先生が苦心して選ばれた文字の意味や味はひが傳はらなくなつて、その文字は單なる符牒に堕してしまつたと殘念に思ふものの一端を、續いての子記事として掲げます。

『生命の實相』を末永く次世代にお傳へするにあたつて、たとひ永年にわたつて愛されて絶讃されてきた頭注版といへども、書き換へが行き過ぎではなかつたかといふ檢證を行ふことは、私共の世代責任でもあるのではないかと思ひます。

  再拜

頭注版「隨喜篇」で變更された國語表記の原文との對比例 (14455)
日時:2022年08月14日 (日) 10時23分
名前:立葵

ア行(原文の「を」も便宜的に「お」に)
揚句→あげく
更めて→あらためて
在り→あり
致します→いたします
無花果→いちじく
一見→いっけん
一切→いっさい
種々(いろいろ)の病氣→いろいろの病気
裡に→うちに
甘く→うまく
お辭儀・御辭儀→おじぎ
惧→おそれ
男の子はそんなになる相だ→男の子はそんなになるそうだ
帶を締め→帯をしめ

カ行
返す返すも→かえすがえすも
限らず→かぎらず
勝手に→かってに
神樣を我が有とする→神様をわがものとする
神は全ての渾て→神はすべてのすべて
「神」を我が有とする→「神」をわがものとする
渝る→変わる
肯かれる→きかれる
奇蹟→奇跡
實に→げに(生ける肉體は實に→生ける肉体はげに)
昂奮→興奮
事→こと
如く・如き→ごとく・ごとき
頃→ころ
毀れる→こわれる

サ行
差し支へない→さしつかえない
尻尾→しっぽ
支那語→シナ語
充分→十分
條件に協ふ→条件にかなう
所要→所用
既に→すでに
全て→すべて
角力取り→相撲取り
折角→せっかく
それにも優して→それにもまして

タ行
唯→ただ
譬へ→たとえ
喩へる→たとえる
晝食もそこで認め→昼食もそこでしたため
就く→つく
伴れだつ→つれだつ
出來る→できる
共に→ともに

ナ行
尚→なお
擲る→なぐる
爲す→なす
生易しい→生やさしい
泪→涙
何等→なんら
伸び伸びと→のびのびと

ハ行
果敢無い→はかない
齒輪(はぐるま)なんか毀して→歯輪なんかこわして
病竃→病巣
頁→ページ
程→ほど

マ行
洵に→まことに
益荒男→ますらお
眞似→まね
廻り→回り
自ら→みずから
無論→むろん
有たない→もたない
以て→もって

ヤ行
好い→よい
餘程→よほど

ラ行
喇叭→ラッパ

ワ行
私→わたし

※別項:語そのものの變更(文語的表現を口語的表現に改變)
云はるる通り→言われる通り
云ふがやうに→いうように
失はば・失はゞ→失えば
極樂を求むる→極楽を求める
强き生命・弱き生命→強い生命・弱い生命
勤めてをつて→勤めていて



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