《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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『光明の音信』第14号で、阪田氏は完全に最高裁判決に反することを主張しました… (14401)
日時:2022年07月01日 (金) 09時21分
名前:破邪顕正

知人から、表題の『光明の音信』第14号を手に入れて読ませていただきました。

これを読んだら、何故、阪田氏との間に訴訟が起きたのか…。

(公財)「生長の家社会事業団」としては、これでは裁判に訴えるしかなかっただろうなという事情がよくご理解いただけるものと思います。

だって、阪田氏の主張は、完全に、最高裁で確定した判決を無みするも同然というほかないものだからです。

要約すると、阪田氏が言っていることは、こういうことです。

〈『生命の實相』等の著作権は、谷口雅春先生から社会事業団に、その全部が譲渡されたのではなく、印税に関する部分のみが譲渡された。〉

で、これが何故、訴訟問題にまで発展するほどの大問題となったのか。

過去において、教団や日本教文社が主張したことと同じものだったからです。

即ち、「著作権収入(印税)を得る権利だけであった」というのが教団・日本教文社の主張だったのです。

ですから、当然、「著作権収入」だけの権利なのか、それとも「著作権のすべて」だったのかが争点となったわけです。

さて、最高裁で確定した判決では、如何なる判断が下されたか。

判決文より引用させていただきます。

「⑶証拠等によれば,次の事実が認められる。

イ…上記寄附行為の文言などからすると,亡雅春が被告に寄附行為として移転した権利は,「生命の實相」の著作権であり,著作権収入を得る権利だけであったとは認められない。

…亡雅春が寄附行為により被告に著作権を移転した「生命の實相」とは,上記10書籍の著作物の全て(編集著作物としての著作権及びその素材となった著作物の著作権全て)であると解するのが相当である。」(判決書15~16頁)

この判決文によって、教団・日本教文社の敗訴が確定したのです。

にもかかわらず、阪田氏は、『光明の音信』で、既に敗訴が確定した教団・日本教文社と同じことを言い始めたわけです。

最高裁で確定した判決よりも、自分の主張が正しい…。

おそらくは、阪田氏はそう考えているのかもしれません。

そう思うのは、阪田氏の自由です。

しかし、こうして『光明の音信』を配布し、最高裁確定の判決を否定するようなことを流布するにいたっては、当然、その責めを負うべきであると思うものであります。

最高裁で確定した判決よりも、自分の考えが優先するというのでは、法社会が成り立ちません。

それに如何に不服があろうとも、それに従うというのが、信仰者としても当然の、あるべき姿ではないでしょうか。

阪田氏には、最高裁確定の判決の重みというものを判ったいただくしかないと思うものであります。


阪田氏は、何故、最高裁で教団・教文社は敗訴したのかという事実に目を向けるべきなのです… (14408)
日時:2022年07月06日 (水) 11時27分
名前:破邪顕正


『光明の音信』第14号で、阪田氏は最後、こう書いています。

〈次号で社会事業団が捏造した文書を批判しつつ詳しく説明いたします〉

私が唖然としたのは、〝捏造〟という文言でした。

よし、阪田氏が言うように、それが〝捏造〟だったとしましょう。

しかし、社会事業団の言っていることは、言うまでもなくその背景には、最高裁で確定した判決があるのです。

すべては、それが拠り所となっているわけです。

それをしも〝捏造〟と言うのであれば、阪田氏は、最高裁で確定した判決もまたそうであったと言っているも同然ということになります。

阪田氏の書いているのを読むと、阪田氏は社会事業団を敵視するの余り、その背景に最高裁で確定した判決があるのだということを見落としている…。

有り体に言えば、阪田氏は、自分の相手にしているのが、実は社会事業団ではなくて、最高裁で確定した判決であるということが見えていないのではないのか。

そうでなければ、とても〝捏造〟などとは書き得ないと思うのです。

最高裁で確定した判決、何するものぞ。

それよりかは、自分の言っていることの方が正しいのだ。

阪田氏の言い分を判りやすく言えば、そういうことになってしまうのです。

これが罷り通ったらどうなりますか。

法秩序など成り立つはずがありません。

何という不遜な態度であろうかと思うばかりです。

これで、どうして裁判に勝てるなどと思い込むのか。

結局は、自分の都合の良いようにしか受け止めようとはしないからでしょうね。

そう言えば、阪田氏は、こんなことも書いていましたね。

〈書記官や時には裁判官がわざわざ私の近くまで来て説明して下さいました〉

〈裁判長ともども誠実な方々だと思わせて頂きました〉

如何にも、自分に有利な雰囲気で裁判が進んでいるというような印象操作を行い、その返す刀で、内田弁護士についてはこう書くのです。

〈原告の内田弁護士が質問に答えがつまる場面がありました〉

こういうのを読んで、阪田氏応援団の皆さんは、もうこの裁判は勝ったも同然と思うのでしょうね。

しかし、何度でもいいますが、今回の裁判は、既に最高裁で確定した判決への挑戦なのです。

しかも、阪田氏は、既に敗訴した教団・日本教文社の言い分をまたぞろ言い募っているに過ぎない…。

振り返れば、平成25年5月27日、谷口雅春先生が神示において「神殿」とされた『生命の實相』等の著作権が最高裁において「(公財)生長の家社会事業団」にあることが確定いたしました。

この日があらばこそ、今の私たちはあるのです。

この日のもつ重みを改めて噛みしめている次第です。




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