〝強硬にいって訂正させるのは当然の愛の行為〟(谷口輝子先生) (14392) |
- 日時:2022年06月20日 (月) 08時38分
名前:破邪顕正
上に紹介した御文章の続きです。
谷口輝子先生はこうも仰っています。
《ウソを書かれても「神様は御存じだから」と言って、人の誤解を正そうともしない態度は「愛」ではないと思います。…「人を赦す」ということは最も大きな愛であり、尊い行為でありますことは勿論です。…併し若し事実無根のことを訂正しないで放置したら、その無根の記事を本当と誤解して、いつまでも生長の家を悪く思って、真理を知る機会を失して、救われる筈の多くの人が救われなくなるおそれがありますので、強硬にいって訂正させるのは当然の愛の行為であります。》
何故、こういうご文章を紹介させていただいているか。
言うまでもなく、これは、阪田氏が「光明の音信」第8号で「『生命の實相』の著作権が社会事業団に託されたというのは間違いだ。」と書いたことが係争中であることを意識して投稿しております。
係争中ですから、現在、どういう状況下にあるかについては、訴訟当事者ではない者としては言及するのを控えさせていただきます。
ただ、是非、ご理解願いたいことは、阪田氏が書いた内容が、既に決着を見た最高裁判決の趣旨をきちんと理解していない…。
それどころか、それを否定して、読者をして誤解せしめるような書き方までしている……。
それに加えて、「社会事業団」が練成会等を開催していることまで難ずるようなことまで書いている…。
公益財団法人が内閣総理大臣の認定を受けた公益事業としてやっていることを、どうしてそこまでケチをつけなければならないのか。
阪田氏に、そこまで最高裁で確定した判決を否定して、谷口雅春先生から著作権を託された公益法人を悪し様に誹謗することのできる、どんな正当な権限があるというのか。
明らかに、「社会事業団」のやってることへの、これは明らかな敵対行為、妨害行為であると見なされても致し方ないと私は判断します。
谷口輝子先生は、〝強硬にいって訂正させるのは当然の愛の行為〟と仰っていますが、その〝強硬〟とは、相手がそれに応じなければ「訴訟」に訴えることもあり得るということなのだと私は思っています。
「社会事業団」のとった行為は、やむを得ないものであったとして、今は、どういう判決が下されるか、関心をもって注視している次第です。
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