《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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6月13日を迎えて思う (14365)
日時:2022年06月13日 (月) 09時42分
名前:破邪顕正


今日は何の日。

尊師・谷口雅春先生が此の世で最後のお言葉を仰られた日です。

昭和60年6月13日、午前3時30分頃、尊師はこう仰ったのでした。

《病なし! 迷いなし! 罪なし!これが生長の家の根本真理であります。それでは、神様ただ今より眠らせていただきます。》

この13日について、頭注版『生命の實相』の第33巻「随喜篇」に、こう記されています。

《わたしにとっては十三日という日は実に不思議な日なのであります。この日、谷口家のお祖母さんお祖父さんが亡くなった命日が十三日なのであります。それからわたしの養父になる人のおっ母さんがやはり十三日に死んでいる。それからわたしの家内の両親がやはり十三日に死んでいるのです。》(26頁)

こういうご先祖さまに呼ばれて尊師は旅立っていかれたのかもしれませんね。

もう一つ、この13日には、重要な意味があります。

谷口輝子先生が『思い出の記』の中で「十三日の出発」と題して、こう書いておられます。

《十三日という日はどういう因縁なのか、何かしら私たち夫婦が行動を開始する日である。行動といっても、さほど種類が多いのではなく、一口に言ったら「出発する日」なのである。》

ご存じのように、谷口先生ご夫妻は、関東大震災(大正12年9月1日)に遭われたあと、輝子先生の故郷、富山県・高岡に向かわれます。

それが大正12年9月13日でありました。

また、立教に際して、尊師は泥棒に2度も入られます。

それが昭和4年12月13日。

更に、生長の家総本山をご造営されるために、尊師が東京から長崎へと居を移されたのが、これまた昭和50年1月13日なのです。

このように、何かを始めようとされるときには、不思議と13日になっている…。

それについて、尊師は先ほどご紹介した、頭注版『生命の實相』第33巻の中でこう仰っています。

《光明思想普及会の創立された日が十三日、わたしが泥棒に入られて絶体絶命の立場に立たされたのが十三日であります。ここに祖先の霊魂の導きというものが感じられます。祖先の霊魂がわたしを絶体絶命の境地に導き、その絶体絶命がわたしを悟らせてくださったのであります。諸君も悟ろうと思い、またはこの世で成功しようと思うには祖先の礼拝を鄭重にしおのずから祖先の加護を受けるようにせねばなりません。》

泥棒に入られたことを、〝祖先の霊魂の導き〟とまで仰り、それがあったからこそ「今、起て」…。

資金が貯まったら、健康になったら、時間の余裕ができたら、協力者が表れたら…。

そういう、何か条件が揃ってからやるのが光明化運動ではない…。

そういう「悟り」を拓かれて、尊師は立ち上がっていかれたわけです…。

本日、13日を迎えて、改めて人類光明化運動とは、「今、起て」のお悟りから始まったのだということを噛みしめ、「今から、ここから、自分から」の精神で、大いに尽力してまいりたいと思います。

昭和4年12月13日に思う… (14366)
日時:2022年06月14日 (火) 09時04分
名前:破邪顕正

『明窓浄机』「戦後篇」にこういうご文章があります(245~246頁)。

《…生長の家の発祥となる四つの神啓「物質は無い」「生命の實相を自覚せよ」「今を生きよ」「天地一切のものと和解せよ」が天降って来たのが昭和4年12月十三日である。谷口家の祖先も、私の妻の父母も十三日が命日である。4・1・2は合計7であり、7は完成の数である。十三はキリストと十二使徒との合計数である…》

「ブレインロック」という言葉があります。

脳に鍵が掛けられているという意味です。

具体的に言うと、こういうことです。

「起業は危険。会社に勤めたほうが安全だ」

「嫌なことも我慢して頑張るのが一人前の社会人だ」

「一度決めたことは最後まで変えずにやり通すべきだ」等々。

こういうことは、いろんなところで、浴びせられてきた言葉ではないでしょうか。

そこで、思うのです。

もし、尊師が、このような「ブレインロック」にかかっておられたら、今日の「生長の家」はなかっただろうと。

それほど、この「今、起て」の神啓は重要だったのだと思います。

そして、それはそのまま、現教団を退会するに際しても言えるの
ではないでしょうか。

「退会は危険。現教団の中にいたほうが安泰だ」

「確かに、現教団にいると嫌なこともあるが、それを我慢するのも信仰だ」

「一度、入会した以上は、最後まで退会しないでやり通すべきだ」

所謂、現総裁が説く「今の教え」なるものは、尊師のお説きにられたことと違うのに、それを「ハイ(拝)」と受け容れるのは、尊師に対する裏切りではないのか。

たとえ、そこに留まるのが身体的には〝安泰〟であったとしても、精神的には決して〝安心〟とは言い得ない…。

だって、それは尊師に対する裏切りに他ならないのですから…。

本当にそう思うのであれば、やはりここは「今、起て!」。

決然と非真理とは袂を分かつ…。

その精神に支えられているのが、私は「谷口雅春先生を学ぶ会」であり、それが私たちの矜持なのだと思っています。

先日、娘から、「教団にいた頃のお父さんは何か辛そうに見えていた。今は活き活きとしているね、辞めて良かったね」と言われました。

「どんな場にあっても、明るく、明るく」と自らに言い聞かせてはいましたが、娘は娘なりに、私の心の奥深いところを見抜いていたのだなと思ったことでした。

娘の目は誤魔化せない…。

それは当然と言えば当然ですよね…。

教え親を裏切っているのですから…。

どう取り繕っても、それは誤魔化しようもありはしません…。

現教団に残る信徒の皆さんに、申し上げたいのもまたその一点です。

「ブレインロック」から、そろそろ解放されてもいいのではありませんか、と。





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