昭和4年12月13日に思う… (14366) |
- 日時:2022年06月14日 (火) 09時04分
名前:破邪顕正
『明窓浄机』「戦後篇」にこういうご文章があります(245~246頁)。
《…生長の家の発祥となる四つの神啓「物質は無い」「生命の實相を自覚せよ」「今を生きよ」「天地一切のものと和解せよ」が天降って来たのが昭和4年12月十三日である。谷口家の祖先も、私の妻の父母も十三日が命日である。4・1・2は合計7であり、7は完成の数である。十三はキリストと十二使徒との合計数である…》
「ブレインロック」という言葉があります。
脳に鍵が掛けられているという意味です。
具体的に言うと、こういうことです。
「起業は危険。会社に勤めたほうが安全だ」
「嫌なことも我慢して頑張るのが一人前の社会人だ」
「一度決めたことは最後まで変えずにやり通すべきだ」等々。
こういうことは、いろんなところで、浴びせられてきた言葉ではないでしょうか。
そこで、思うのです。
もし、尊師が、このような「ブレインロック」にかかっておられたら、今日の「生長の家」はなかっただろうと。
それほど、この「今、起て」の神啓は重要だったのだと思います。
そして、それはそのまま、現教団を退会するに際しても言えるの ではないでしょうか。
「退会は危険。現教団の中にいたほうが安泰だ」
「確かに、現教団にいると嫌なこともあるが、それを我慢するのも信仰だ」
「一度、入会した以上は、最後まで退会しないでやり通すべきだ」
所謂、現総裁が説く「今の教え」なるものは、尊師のお説きにられたことと違うのに、それを「ハイ(拝)」と受け容れるのは、尊師に対する裏切りではないのか。
たとえ、そこに留まるのが身体的には〝安泰〟であったとしても、精神的には決して〝安心〟とは言い得ない…。
だって、それは尊師に対する裏切りに他ならないのですから…。
本当にそう思うのであれば、やはりここは「今、起て!」。
決然と非真理とは袂を分かつ…。
その精神に支えられているのが、私は「谷口雅春先生を学ぶ会」であり、それが私たちの矜持なのだと思っています。
先日、娘から、「教団にいた頃のお父さんは何か辛そうに見えていた。今は活き活きとしているね、辞めて良かったね」と言われました。
「どんな場にあっても、明るく、明るく」と自らに言い聞かせてはいましたが、娘は娘なりに、私の心の奥深いところを見抜いていたのだなと思ったことでした。
娘の目は誤魔化せない…。
それは当然と言えば当然ですよね…。
教え親を裏切っているのですから…。
どう取り繕っても、それは誤魔化しようもありはしません…。
現教団に残る信徒の皆さんに、申し上げたいのもまたその一点です。
「ブレインロック」から、そろそろ解放されてもいいのではありませんか、と。
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