《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「世界平和の祈り」ニューバージョンに思う (14338)
日時:2022年06月03日 (金) 09時02分
名前:破邪顕正


表題は、このことを指しています。

〈神の無限の愛、吾に流れ入り給いて 吾において愛の霊光燦然と輝き給う
その光いよいよ輝きを増して 全地上を覆い給い
すべてのウクライナの人々の心に、 すべてのロシアの人々の心に
そして、世界のすべての人々の心に
愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う〉

この〝ニューバージョン〟に違和感を禁じ得ないのは、尊師により授けられたものに勝手に手を入れるという、そもそもの発想についていけないということもありますが、今回については、これでは〝愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う〟に込められた尊師のお心が眩まされてしまうと思ったからに他なりません。

以前、私はこういうことを投稿させていただきました。

〈「世界平和の祈り」と合わせて「日本国実相顕現の祈り」を実修しましょう… (14224)
日時:2022年03月23日 (水)〉

その投稿の中で、何故、〝秩序と中心帰一〟が加わったのか、『生長の家』誌・昭和41年2月号の「明窓浄机」を紹介させていただいております。

《…人類光明化運動は世界平和運動であるけれども、中心の不明な、或は、〝赤い国〟が中心であるような世界平和運動ではなく、日本国を華厳経に示されている蓮華蔵世界の中心なる蓮華日宝王地として、日本国を中心に、金波羅華の世界を地上に実現するところの宗教運動である。》

今回のロシアによるウクライナ侵略は、〝赤い国〟が如何に侵略的な思想をもっているか、それをはからずも満天下に晒したものとして記憶されるべきであると私は考えています。

そして、同様の考え方をもっているのが中国共産党であります。

その〝赤い牙〟は、今回、太平洋島嶼国にも向けられました。

中国共産党は、太平洋進出の足がかりにしようとして、島嶼国に安全保障協定を締結しようと持ちかけましたが、島嶼国の反対に直面して今回は頓挫しました。

その背景には、どうも、経済協力という美名のもとに中国共産党軍が駐留するということをセットにして持ちかけたことが仇となったようなのです。

中国共産党の〝野心〟がバレバレだったわけです。

こういう現実を知れば知るほど、〝すべてのウクライナの人々の心に、 すべてのロシアの人々の心に〟ということを入れることは、「〝赤い国〟が中心であるような世界平和運動ではなく」という「世界平和の祈り」に込められた尊師のお心にはなじまないと私には思えてなりません。

それより何より、現総裁は、〝安保法制〟を〝戦争法案〟だとして、教団あげて大反対のキャンペーンを張ったではありませんか。

その総括も何もせず、如何にも平和を願っていますというようなポーズをとる、このニューバージョンには、偽善的な匂いを感じないではいられません。

実修するならするで、素直に、そのまま「世界平和の祈り」を実修して欲しかったと思うばかりです。


ニューバージョンを拵えるのではなく、本来ならば「宇宙浄化の祈り」の実修をこそ信徒に呼びかけるべきなのです… (14340)
日時:2022年06月04日 (土) 09時18分
名前:破邪顕正


「世界平和の祈り」のニューバージョンを見ながら、つくづく現教団は住吉大神を脇神にし、「宇宙浄化の祈り」を排除したことを悔いるべきだと思わないではいられませんでした。

本当に「世界平和」を祈るのであれば、「宇宙浄化の祈り」を外してはならないと思うからです。

そもそも住吉大神とは何か。

『白鳩』誌・昭和54年10月号にこうあります。

《住吉大神様はこの愛の神の体現者として、そして全ての罪を浄めてなくしてしまうところの、そういう働きをもって顕われてこられた…住吉大神様は人格的のふれあいの神様でありまして、すべての過ち犯したる罪けがれをですね、ことごとく摂取して、そしてそれらを祓い浄めてくださって、そこにすべての実相の完全な姿をあらわし給うところの神である。》

世界の平和のためには、住吉大神にご出御いただいて、まずはこの宇宙を浄めることなのです…。

そして、人類の潜在意識に入り込んでいる罪意識を浄めること。

それを浄めないことには本当の平和はもちきたされない、そう思います。

ともに「宇宙浄化の祈り」に励んでまいりましょう。



「平和主義者が戦争を起こした」(チャーチル)こそ、今回のロシアによるウクライナ侵略から学ぶべき教訓である… (14347)
日時:2022年06月06日 (月) 08時09分
名前:破邪顕正


尊師は現行憲法をして〝占領憲法〟として批判なされたのに、〝法燈〟を継承したとする谷口雅宣総裁はそれを「平和憲法」だとして教団そのものを〝護憲派〟に衣替えさせてしまいました。

そして、今回は、ニューバージョンを拵えて〝平和主義者〟を装っているように私には見えます。

そういう現総裁に送りたいと思ったのが表題の言葉です。

現総裁が護持して已まない「憲法9条」は1928年不戦条約を手本にしているといわれます。

しかし、実は、この不戦条約こそが却ってナチス・ヒトラーの台頭を招いてしまったのです。

さればこそ、チャーチルは「平和主義者が戦争を起こした」と言ったわけです。

実際、歴史を紐解けば明らかなように、ヒトラーは当時のヨーロッパを覆っていた〝平和主義〟(その内実は〝厭戦主義〟)を利用して其処につけ込んで勢力の拡大に成功しました。

ヒトラーがヴェルサイユ講和条約を破棄し再軍備したとき、ラインラントに進駐したとき、そして、ズテーテンラントを要求したとき(ミュンヘン会議)、いずれのときも周辺諸国は厭戦主義に自縄自縛され、ドイツ軍を一掃できたのにもかかわらず、それに宥和する姿勢で臨んでしまいました。

事ほど左様に、侵略主義者にとっては、この〝平和主義=厭戦主義〟は、勢力を拡大する上での絶好の呼び水となってしまうのです。

チャーチルの言葉こそが、第二次大戦の最も重要な教訓にしなければならないことであったのに、戦後日本では、逆に厭戦主義=平和主義と思い違いしてしまいました。

今回のウクライナの惨劇を目の当たりにして、厭戦主義=降伏主義では侵略者を増長させるばかりであることを多くの国民は知ることとなったのではないでしょうか。

だからこそ、今や、安保法制破棄なんて、立憲民主党すら言い切れない雰囲気になってしまいました。

また、日本共産党すらもが、自衛隊を容認せざるを得ないところまで追い込まれてしまいました。

苛烈なる現実が「第9条」を否定しているからです。

明らかに国民意識は変わりつつあります。

これを今回の参議院選挙につなげて、ぜひ、憲法改正への道を切り拓いていきたいと心から願っております。

プーチン大統領が犯した3つの誤算に思う (14349)
日時:2022年06月07日 (火) 08時04分
名前:破邪顕正


表題にあげた3つがこれです。

(1)ウクライナ軍がこんなに強いとは知らなかったこと。

(2)ロシア軍がこんなに弱いとは知らなかったこと。

(3)ウクライナにウインストン・チャーチルが居るとは知らなかったこと。

とりわけ、私が注目したのが(3)です。

ナチス・ドイツ空軍の猛爆撃の中、国民を鼓舞し勝利に導いたウインストン・チャーチル元英首相とゼレンスキー大統領とが、今、二重写しになって見えているというのです。

なるほど、キーウに留まり、時には戦闘の最前線に赴き、兵士を鼓舞激励する姿を見て、ウクライナを支援したくなるような思いに駆り立てられた人は少なくないと思います。

そう思っていたら、『ゼレンスキー勇気の言葉100 』という本まで店頭に並ぶようになりました。

「強さとは大きな領土を持つことではない」

「自由を望む気持ち、平和を大切に思う気持ちに距離はない」

「世界は見守るのではなく、助けなければならない」

「皆さんが私たちとともにあることを証明してほしい」

「人々は住み慣れた故郷に戻らないといけない」

こういう言葉を見ていると、確かに、ゼレンスキー大統領は、砲弾や戦闘機ではなく「言葉の力」で戦っていると痛感します。

実際、「ゼレンスキーは、降伏拒否、反抗、勇気、勇敢さの象徴になりつつある」(オリシア・ルツェビッチ氏/BBCのラジオ番組)。

「人間に与えられるあらゆる才能のうち、雄弁に語る能力ほど貴重なものはない」(イギリスの故・チャーチル元首相の言葉を用いて/アメリカのCNNの番組)

私には、戦後日本の、所謂「平和主義=降伏主義」の対極に、このゼレンスキー大統領がいるように思えてなりません。

ウクライナが戦後日本を覚醒させている!

それがこの度の参議院選挙に如実に表れることを心から期待しております。


「住吉大神」の浄化の働きこそが大事なときです (14351)
日時:2022年06月08日 (水) 11時50分
名前:破邪顕正


頭注版『生命の實相』第37巻「幸福篇」の五月十二日の言葉に、こういうご文章があります。

《病気の治るまでに、病気の雰囲気を去ることが必要である。雰囲気が病気を造り、雰囲気が病気を癒す。幸運の来るまでに幸運の雰囲気を作ることが必要である。
 部屋を浄め、窓を開き、ガラスを拭き、門前を浄め、よきお客様が来るような気持でせっせと働いておれば、幸運はたずねて来るのである。不運な人にかぎって、ルンペンしか泊まってくれないような見苦しい雰囲気をその身辺に作っている。
「床を取り上げて起きよ、しかして、汝の周囲を浄めよ。」》

やはり、救いは、清まったところに生まれるということでありましょう。

すべては浄めから。

その浄める働き、それこそ、まさしく「住吉大神」のお働きそのものに他なりません。

この「住吉大神」について、『生命の實相』第39巻「仏教篇」には、こう記されています。

《目無堅間の船とは水も漏らさぬ金剛不壊の船で、大乗実相の真理であります。こうして、大乗仏教は竜宮の大神、住吉大神の護持せられたものであって、日本において久遠から成就しているのであります。その住吉大神が現代にあらわれての人類光明化運動が生長の家であります。》(145頁)

こういうご文章を拝読させていただけばいただくほど、「住吉大神」が脇神にされたことは、「生長の家」そのものの否定につながるものではないのか。

「宇宙浄化の祈り」を排除したこともまた、決してゆるされることではないと思うものであります。

日々の「神想観」とともに「宇宙浄化の祈り」を厳修してまいりたいと思う次第です。



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