〝統制のとれた組織体〟という観点は、極めて重要であり、その統制を乱そうとする人に対して、どう対処するかが常に問われている… (14328) |
- 日時:2022年06月01日 (水) 17時40分
名前:破邪顕正
表題に関して、尊師は、こうお諭しくださっています。
《多勢の人が自分の運動に共鳴し協力してくれていても、その協力者が完全に統制のとれた組織体となって活動してくれない場合には、そこに必ずエネルギーの損失(ロス)が出て来るのである。思い思いに勝手に協力してくれるためにその仕事が重複したり、する必要のないことをして却って全体としての運動を阻害したりすることが起こって来るのである。ここに一つの運動に多勢協力してくれる場合にはその役割の組織化が必要となってくるのである。「天は人の上に人を創造(つく)らず人の下に人を創造らず」とは民主主義の標語であるけれども、運動を進め仕事を協力してやる場合には中心的な位置から、更に分割された色々の部門の長(チーフ)が必要であり、チーフの下に素直に運動してくれるメンバーが必要であり、命令系統がハッキリしていなければ効率的に仕事の能率をあげ運動を前進さすことはできないのである。》 (『理想世界』誌・昭和42年11月1日号)
組織運動に携わってきた者としては、とても頷ける、なるほどと思うご文章です。
特に「統制のとれた組織体」にするということ…。
ここでのご文章は、〝運動に共鳴し協力してくれていても〟とありますように、その大前提として運動への共鳴があるわけです。
それでも「統制」を乱すことが起きてしまう…。
〝エネルギーの損失(ロス)〟が生じてしまう…。
ましてや、反感や反発をもっている人が組織に入り込んだら、いったい、どうなるか。
その対応で神経をすり減らし、無駄なエネルギーを費消せざるを得ない…。
それがまた相手の狙いでもあるから、とても厄介なのです…。
そして、その結果、どうなるか。
推して知るべしでしょう。
また、最後の部分には、こういうお言葉もあります。
〝チーフの下に素直に運動してくれる〟
この「素直」というのがとても重要ですね。
よく組織運動では、「無我献身」が大事だと言われます。
それというのも「統制のとれた組織体」の障害となるのが〝我の心〟だからではないでしょうか。
尊師のこのご文章を拝読させていただいて、改めて〝伝道の組織づくり〟のために「無我献身」の心で臨んでまいりたいと決意した次第です。
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