《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「伝道の組織づくり」に際して、留意すべきなのが〝他の人が神様の御用を尽くす邪魔していることもあり得る〟ということです… (14325)
日時:2022年06月01日 (水) 13時02分
名前:破邪顕正

こういう掲示板を拝見していて、つくづく思うのが、どうしてそんなにまでして顔を出したがるのか、ということです。

「お呼びでない」と言われているのに、わざわざ顔を出そうとなさる…。

他に行き場がないのならばまだしも、ちゃんと、所謂「トキ掲示板」というところがあるにもかかわらず、にです。

結局、そこでは満足しきれないということなのでしょうね。

それでは、何故、満足しきれないのか。

で、思ったのが、そういう方というのは、潜在意識の中に〝邪魔したい〟という心が蠢くからではないのか、ということでした。

そして「組織づくり」で、一番、気をつけなければならないのが実はこの点なのです。

尊師もこうお諭しくださっています。

《組織づくりが完全に行なわれると、各方面へ自分が出張して直接交渉することをしなくとも、組織がそれを行なってくれることになるのである。即ち、自分の力で、組織の末端まで延長して、末端組織の数だけ倍乗して働くことになるのである。この自分の力の倍乗法を知らないで、何でも彼でも自分がやらねばならぬと一所懸命力んでいて、時間が足りず、或る距離以上には足が伸びず、結局効果があがらないような先輩があるけれども、働きたくて、世話をしたくて仕方がない人が多勢あるのに、そんな人を動員すれば、熱心に働いてくれるのに、それを働かせないで自分ばかり忙しいのは、まことに気の毒なことである。そんな人は、自分は大いに神さまのために尽くしているような恰好でありながら、他の人が神様の御用を尽くす邪魔していることもあり得るのである。》 (『理想世界』誌・昭和42年11月1日号)

この場合は、ご本人は良かれと思ってやっている…。

しかし、それが却って〝邪魔していることもあり得る〟。

つまり、好意が却って仇となるという話しなのですが、中には端っから邪魔してやれと思って乗り込んでくる方もある…。

私も大いに経験がありますが、時として、組織の仲間の悪い噂話ばかりしてくる方があります…。

その方の言い分をよく聞いていると、何のことは無い、ただその相手の人のことが気に入らないだけのこと…。

残念なのは、こういうことが如何に組織全体の足を引っ張っているかに思い及ばないこと…。

人の好き嫌いがすべてであって、何のためにこの組織が生まれたのか…。

その組織が目指している目標、理念を見失うと、結局はこのような身の回りの不満や不平ばかりに目が行ってしまう…。

あの人がいるから嫌だ…。

そういう次元に堕してしまうのだと思います。

何のためにこの組織は創立せられたのか。

常に、その原点に立ち返ること、それが本当に大切なのだと痛切に感じます。

とにかく、嫌がらせをしたい、足を引っ張りたいと思う人はどこにでもいます。

現に、「谷口雅春先生を学ぶ会」から大量脱会者が出たとか、根も無い噂話を弘めようとする人たちがいます…。

何も退会者が出ていないというのではありません。

その反面、新たに入会してくださっている方もあるのです。

どこの組織でも、そういうことは大いにあり得ることではありませんか。

にもかかわらず、退会者が出たと知れば、それを針小棒大にして「大量脱会」という恰好にしないと気が済まない…。

それだけ、「谷口雅春先生を学ぶ会」の存在が気に入らないのでしょう。

出る杭は打たれる。

出過ぎる杭は打たれない。

もう、出過ぎるしかない!

そう覚悟して〝伝道の組織づくり〟に全精力を傾注していくだけです。


〝統制のとれた組織体〟という観点は、極めて重要であり、その統制を乱そうとする人に対して、どう対処するかが常に問われている… (14328)
日時:2022年06月01日 (水) 17時40分
名前:破邪顕正


表題に関して、尊師は、こうお諭しくださっています。

《多勢の人が自分の運動に共鳴し協力してくれていても、その協力者が完全に統制のとれた組織体となって活動してくれない場合には、そこに必ずエネルギーの損失(ロス)が出て来るのである。思い思いに勝手に協力してくれるためにその仕事が重複したり、する必要のないことをして却って全体としての運動を阻害したりすることが起こって来るのである。ここに一つの運動に多勢協力してくれる場合にはその役割の組織化が必要となってくるのである。「天は人の上に人を創造(つく)らず人の下に人を創造らず」とは民主主義の標語であるけれども、運動を進め仕事を協力してやる場合には中心的な位置から、更に分割された色々の部門の長(チーフ)が必要であり、チーフの下に素直に運動してくれるメンバーが必要であり、命令系統がハッキリしていなければ効率的に仕事の能率をあげ運動を前進さすことはできないのである。》 (『理想世界』誌・昭和42年11月1日号)

組織運動に携わってきた者としては、とても頷ける、なるほどと思うご文章です。

特に「統制のとれた組織体」にするということ…。

ここでのご文章は、〝運動に共鳴し協力してくれていても〟とありますように、その大前提として運動への共鳴があるわけです。

それでも「統制」を乱すことが起きてしまう…。

〝エネルギーの損失(ロス)〟が生じてしまう…。

ましてや、反感や反発をもっている人が組織に入り込んだら、いったい、どうなるか。

その対応で神経をすり減らし、無駄なエネルギーを費消せざるを得ない…。

それがまた相手の狙いでもあるから、とても厄介なのです…。

そして、その結果、どうなるか。

推して知るべしでしょう。

また、最後の部分には、こういうお言葉もあります。

〝チーフの下に素直に運動してくれる〟

この「素直」というのがとても重要ですね。

よく組織運動では、「無我献身」が大事だと言われます。

それというのも「統制のとれた組織体」の障害となるのが〝我の心〟だからではないでしょうか。

尊師のこのご文章を拝読させていただいて、改めて〝伝道の組織づくり〟のために「無我献身」の心で臨んでまいりたいと決意した次第です。



改めて〝組織づくり〟の重要性を思う (14356)
日時:2022年06月09日 (木) 10時05分
名前:破邪顕正

『生活の智慧365章』に、「善人は団結して言動せよ」と題して、こうあります。

《社会的、国家的、人類的な大黄な目的に関する願いは、個人がひとりひとりでやるよりも大きな団体及び組織の力を利用してやる方が実現の速度も範囲が大きくなるのである。今までの善人は、あまり温和(おとな)しすぎて黙って控え目にしていて、悪人の方が団結して言いたい放題なことを主張したり、群衆行動の圧力でその要求を貫徹しようとしていた嫌いがある。そんなことでは社会も国家もよくならないのである。善人はその目的を一つにして大同団結して建設的に協力するとき速かに社会も国家もよくなるのである。
 人類光明化運動の団体の中における者は、尚一層調和して、その主たる目的のために常に建設的は言動をなすべきであって、苟も、破壊的な、内部紛争をかもすような言動をなしてはならないのである。内部に相争う者を包容している団体は、寄生虫や癌細胞を内に宿している人体のようなものであって、早晩、瀕死の状態に陥るか、大手術をして内部の病原を切除しなければならなくなるのである。》(103頁)

ある方から、「体操は一人でもできるが、運動は一人ではできない」と言われたことが今でも忘れられません。

それというのも、尊師は立教当初から、「運動」を目指されていたからです。

そして、その運動を展開するために、全国に拠点、即ち「支部」を構築することを考えておられました。

『生長の家』誌「創刊号」にこうあります。

《1.『生長の家』本部は…人生の幸福を支配するために実際運動を行うことを目的とする》(『前掲書』4頁)

《5.…『生長の家』支部を設置し、支部長は心のの実證としてメタフィジカル、ヒーリングを修得し…(求道に熱心なる支部長を募集す)》(同 5頁)

《10.支部長は毎月一回会合の状態、その他に就き本部に対し報告すべき義務を負う》(同 6頁)

今年は、『生命の實相』発刊90周年、「谷口雅春先生を学ぶ会」創立20周年の記念すべき年です。

「創刊号」の立教の原点に立ち返り、『生命の實相』を大いに拝読し、立教当初のような救いの渦を巻き起こし、全国津々浦々に支部・拠点を陸続と生み出していきたいと思います。

〝その目的を一つにして大同団結して建設的に協力する〟組織づくりこそが、今、本当に大事なことなのだと痛感しております。


「小異を捨てて大同につく」という言葉に思う (14357)
日時:2022年06月10日 (金) 13時01分
名前:破邪顕正


表題は、少しぐらいの意見の違いはあっても、根本的に重要な点での一致を見ているのであれば、互いに協力し合うという意味で使われます。

よくこのことで指摘されるのが、幕末・明治維新期での、勝海舟と西郷隆盛との間で実った江戸の無血開城であります。

当時、官軍にも幕府側にも、徹底抗戦を主張する人は少なからずおりました。

それぞれに勝算があったからでもあります。

もし、この時、官軍が自らの武威を見せつけることにこだわり、一方、幕府側も徳川家の将来の保障ということにとらわれ、一戦を交えたらどうなっていたか。

ご存じのように、官軍にはイギリスが、幕府側にはフランスがそれぞれ力を貸そうと待ち構えていたわけです。

国内において両派に割れて混乱すれば、海外勢力がその間隙に乗じて、支配力をいっそう強めることになっていたかもしれません。

今は、双方の立場の違いを超えて、国家の独立のために力を合わせるべきである、それがあの歴史的な無血開城の道を切り拓くこととなりました。

何を申し上げたいか。

自分たちは、何のためにやっているのか。

単なる倒幕のためにやっているのか、それとも欧米列強から日本を護るためにやっているのか。

そこを見る目なのだと思うのです。

このことを今の「生長の家」の現状に照らして考えれば、大事なのは、現教団によって、尊師の教えが消え去りつつあるという、この現実を見る目ではないでしょうか。

何としても尊師の教えを護り抜かなくてはならない。

その一点が見えていれば、そのために尽力している仲間に向かって、小異にひっかかって批判や非難を繰り広げるべきではないと私は思っています。


内部批判は、時として「悪」に力をかすことになるということについて (14363)
日時:2022年06月12日 (日) 15時11分
名前:破邪顕正


表題は、『生活の智慧365章』にある〝「悪」を思えば悪が出てくる〟と題するご文章を拝読して感じたことです。

《「善き目的」を推進するにあたって、その団体のメンバーの相互の争いや、不調和や、反対論で騒然たる中で着々と功績を挙げて行くことはできないのである。同じ団体のメンバーでありながら、その団体の中にその同志を嫌悪したり憎んだり、あしざまに批評する小会をつくって派閥争いをしているような事では、その団体の善き目的遂行がおくれるばかりである。
 内部機構を常に一層よきように改善することは必要であるけれども、それがその団体の誰かを酷評したり、憎悪したり、排斥したりするような暗黒な精神に支配されリードされている限り、改善どころか、それは、却って、「悪」に力をかすことになるのである。どこまでも「悪」を想えば悪がでて来る――この真理を知らなければならない。》(104頁)

ここには、内部批判をすることの問題性が浮き彫りにされています。

内部批判をする人は、〝よきように改善〟したいから言うのだという言い方をします。

しかし、よく聞いていると、それが単なる人格攻撃に過ぎないということがままあります。

それは、〝却って、「悪」に力をかすことになるのである〟という、尊師のご指摘は、とても重要だと思います。

だからと言って、頭っから、内部批判は絶対にダメだということでは、これまた問題です。

要は、その内部批判が有用か悪かの線引きをどこに求めるかではないでしょうか。

私は、その一点こそ、〝無我献身〟にあると思っています。

〝無我献身〟から出たものであれば、人は、その批判を単なる批判とは見ない、傾聴に値すると受け止めると思うのです。

その人が日頃から、どのように組織運動に取り組んでいるか。

何事に於いても、その信仰姿勢こそが問われているのではないでしょうか。

「何を言うか」も大事ですが、「誰が言うか」もまたとても大事なことだと思う次第です。




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