《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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アワレ、谷口雅宣総裁。こんな“デマ”に踊らされてしまって! (1774)
日時:2016年06月04日 (土) 08時44分
名前:破邪顕正

表題は、谷口雅宣総裁がなぜ、『日本会議の研究』に入れ込んで、常軌を逸するような誤った判断してしまったのか、その理由が何となく分かるような気がしたからです。

それは、ここです。

>Nihonkaigi  そういう人々が具体的にどんな種類の人であり、宗教の陰でどんな政治活動を続け、何を目標としてきたかは、本部の側からは判然としなかった。

ところが最近、生長の家の信仰者ではない一人の著述家が、独自の調査によって、これらを解明する本を出版した。

菅野完(すがの・たもつ)氏が書いた『日本会議の研究』(扶桑社新書)が、それである。

この本には、かつて生長の家の幹部活動をしていて、今は日本会議が進める政治運動の中枢にいる人が、何人も実名で出てくる。

私より年齢が高く、かつ当時の生長の家の運動に関わっていた人々にとっては“懐かしい”話も出てくるが、当時隠されていた“驚くべき”話もある。<

問題の箇所は、「当時隠されていた“驚くべき”話」というところです。

これに、谷口雅宣総裁は飛びついてしまったのです。

おそらく、十中八九、それは間違いなく、安東巖先生のことを指していると思われます。

谷口雅宣総裁がどれだけ安東先生を嫌悪し、排撃してきたか。

長いこと、それを目の当たりにしてきたものからすれば、それは思い半ばに過ぎるものがあります。

とにかく、『日本会議の研究』の最終章は、安東巖先生に費やされています。

“暗殺”だとか“ハニートラップ”だとか、それはそれは毒々しい記述が出てきます。

谷口雅宣総裁は、これでニックキ安東をたたきつぶせるとでも思い込んでしまったのではないでしょうか。

問題は、これを“事実”だと思い込んでしまったことにあります。

だから、「世界聖典普及協会」にまでウラで手を回して、谷口雅宣総裁はこの本を取り扱うように命令したのではないかと私は見ています。

しかし、これは全くの“デマ”“ウソ”の情報なのです。

“ハニートラップ”を仕掛けられた鈴木邦男氏自身がそれを証言しているのですから、これは間違いないことなのです。

先に投稿したことですが、これは今後、極めて重大な証言として浮上してきますから、再度、引いておきます。

>《速報!》菅野氏が〝ウラ〟をとらず書いたのがハッキリしました! (1646)
日時:2016年05月26日 (木) 14時33分
名前:破邪顕正
表題は、以下のユーチューブ動画を視聴しての実感です!

「週刊 金曜日」で、鈴木邦男氏がインタビューに応じています。

特集「日本会議」鈴木邦男さんにきく日本会議 (前編)

https://www.youtube.com/watch?v=mee80F5tWXM&feature=share

この最後のところで、こんなやりとりが出てきます。

《聞き手 ちょっとお聞きしたいんですが(中略)ハニートラップが…

鈴木 そんなものありました?

聞き手 安東の仕掛けた罠にまんまとひっかかった

鈴木 それはないでしょ。それは誤解だと思いますよ。

聞き手 誤解ですか?

鈴木 彼らは彼らなりに正々堂々と戦って、…こいつは無能だからって…最初にお前らダメだと言われたときに、すぐにやめればよかったんですが…何か意地になって…》

以上のやりとりから、安東巖先生がハニーとラップをしかけて鈴木氏を追い出したというような菅野氏の記述が如何に“デタラメ”“ウソっぱち”であったかが、ハッキリとなりました。

鈴木氏は、こうしてインタビューに応じて語っているわけですから、菅野氏もきちんとその“証言”の「ウラ」をとるべく取材したら良かったのです。

しかし、なぜ、それをしなかったのでしょうか?

結局、“安東黒幕説”をでっち上げることこそが、菅野氏の一番のネライであって、それで「日本会議」を叩く。

そういう思惑、戦略がまずあって、それがためにライターとして当然把持すべき“良心”すらをも失わしめたということではないでしょうか。

相手を叩くためだったら、匿名の証言だろうと何だろうと悪用する!

そんなことがまかり通っていいのでしょうか。

それをしも「言論の自由」ということで野放しにしていいのでしょうか。

もし、それが許されるとしたならば、ペンの力で一人の人格を徹底的に貶めるということもまた可能となってしまいます。

菅野氏のやったことは、本当に許される行為なのでしょうか。<

谷口雅宣総裁は、こんな本を『聖典』級の扱いにしてしまったわけです。

はっきりと申し上げます。

これは、“SNI教団”あげての「日本会議」攻撃、安東巖先生攻撃であり、「谷口雅春先生を学ぶ会」つぶしであると私は受け止めています。

明らかに仕掛けられた、売られた喧嘩です!

当然、逃げるわけには行きません。

「谷口雅春先生を学ぶ会」の存亡をかけた戦いであると私は認識しております。

あらゆる手段を講じてまいります。

だからといって、何も非合法的な手段を用いようというのではありません。

あくまでも、信仰者として、何が「事実」であり、何が「真実」であるかを明らめていくという戦いということになります。

谷口雅宣総裁は「原理主義」という悪辣なレッテル貼りで「谷口雅春先生を学ぶ会」を攻撃していますが、実に不思議なのは、ソレを言うのであれば、どうして「ときみつる會」さんを問題視しないのかと私は思うのです。

だって、谷口雅宣総裁が書いていることを、今も尚、進めておられるのは「ときみつる會」さんだからです。

>とにかく、生長の家は、このような考えにもとづいて“大日本帝国憲法復元改正”を最終的な目標として、生長の家政治連合(生政連)を結成(1964年)し、政治活動を展開した。<

そのときの思いそのままに、いまもなお、それを展開しておられるのが「ときみつる會」さんなのです。

これこそまさしく、谷口雅宣総裁の言う「原理主義」そのものではありませんか。

にもかかわらず、谷口雅宣総裁は、「ときみつる會」さんについては、何の言及もせず、ひとり「谷口雅春先生を学ぶ会」のみを目の敵のようにして攻撃してくるわけです。

つまり、谷口雅宣総裁は「原理主義」のことを問題視しているようなフリをしながら、実のところは、自分に反旗を翻している「谷口雅春先生を学ぶ会」そのものがユルセナイ!

憎くてたまらない、ということなのです。

有り体に言うならば、谷口雅宣総裁の私情、私憤、私怨がそのすべてだということなのです。

それに本人自身が絡め取られてしまって、もはや「生長の家総裁」としての公の立場を完全に失念してしまっている。

こんな谷口雅宣総裁の私的感情に振り回される信徒こそ大迷惑でありましょう。

そういう信徒になりかわって、谷口雅宣総裁に対して、文字通り“破邪顕正”の戦いを推し進めていくことをここに宣言するものであります。


やはり菅野氏はサヨクだ!「怨念」で歴史を見ようとしている! (1801)
日時:2016年06月06日 (月) 11時28分
名前:破邪顕正

表題は、朝日新聞社が出している『Journalism』5月号に掲載された菅野氏の文章を読んでの感想です。

菅野氏は、こう記します。

《1966年、長崎大学正門前で「左翼過激派学生」に殴りつけられた際に、安東が立てた「左翼打倒」の誓いを守りながら…》

噴飯モノとはこういうことを言います。

文中には、「執念」とか「怨念」とかの言葉も並びます。

菅野氏というのは、本当に「サヨク」なのだということが、この言葉遣いでも、よくわかります。

谷口雅宣総裁にもこの「怨念」を感じますが、こんな「怨念」で谷口雅春先生の思いを持ち続けることができようはずがありません。

「左翼打倒」の次元でしか物事を捉えきれないところに、菅野氏のライターとしてのレベルの低さを看取することができます。

つまり、菅野氏の思想性の中には、「戦後体制」をどう見るのかという観点がスッポリと抜け落ちているのです。

すべては、アメリカ占領軍によって布かれた、屈辱の「戦後体制」を何としてでも正そうという、文字通り熱き情念、「志」こそが運動を支えているのです。

その根底には、谷口雅春先生の『諸悪の因 現憲法』があるのは論を俟ちません。

そこに目がいかない、「左翼打倒」の怨念でしか歴史を語りきれない菅野氏だからこそ、『日本会議の研究』などと、研究の名にも値しない代物が出てくるのです。

谷口雅宣総裁がこれを推奨するのも、結局、総裁自身が「怨念」に絡め取られているからだと私は見ています。




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