阪田氏は、尊師の言葉を〝阪田教祖〟誕生の正当化に使っているとしか思えません… (14302) |
- 日時:2022年05月25日 (水) 13時15分
名前:破邪顕正
阪田氏は、『光明の音信』第13号で、〝谷口雅春先生依存から離脱して…信仰の自立を促す〟ということを前提にして、こういうことまで書いています。
とても重要な文章なので、そのまま引きます。
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昭和40年に飛田給道場の練修生八人が大学を卒業することになり、谷口雅春先生から <世界で八人だけが真理を知ったとして、さて、どうしてこれを弘めるかと八人が全然新しき事を企画してやると従来にないよいもの、少なくとも従来にない新しきアイディアが出て来ると思う。ひとつそれをやらせて見たいと思うのです>というご指示があったことを思い出し、私へのご指示として考えてきました。 さらに尊師がかつて「生長の家は全ての誌友を教祖にする道だ!」(昭和11年12月の「進況通信」)と云われたこと。 昭和53年11月に「龍宮住吉本宮」が造営されたあとの「実相研鑽会」で尊師は、 「皆さんの中に住吉大神が宿っているのである。皆さんが住吉大神である」と云われ、昭和55年2月29日には、尊師最後のご指導となった代表者会議では、「皆さんが谷口雅春で、救世主である」と云われました。 皆様もこれらの尊師の〝御言葉〟を尊師から直接ご自身に頂かれたものと受けとめてほしいのです。そして自分は、今何を為すべきかを問うて頂きたいのです。
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私たちも、現教団にいた頃、この「皆さんが住吉大神である」「皆さんが谷口雅春で、救世主である」というお言葉は、よく使わせていただきました。
しかし、それは、あくまでも、そういう思い、自覚をもって人類光明化運動・日本国実相顕現運動に、挺身・致心・献資の誠心を捧げてまいりましょう、という意味合いを込めて使わせていただいていたと思うのです。
また、尊師もそういう意味合いで、仰ったのではないでしょうか。
それはそうでしょう。
尊師が「生長の家は全ての誌友を教祖にする道だ!」と仰ったからと言って、自分も教祖になれるんだと思ってしまったらどうなりますか。
また、尊師が「皆さんが住吉大神である」と仰ったからと言って、私の言っていることはそのまま「住吉大神様のお告げである」なんて、信徒それぞれがいいはじめたら、どうなりますか。
「生長の家」教団は、それこそ、バラバラになり、空中分解してしまうのではありませんか。
そう考えたら、尊師はあくまでも、光明化運動を展開する際の心構えとして仰ったのだと見るのが至当だと思うのです。
それにしても、阪田氏は、どうして、ここに来て、こんなことを言い始めたのでしょうか。
信徒一人ひとりが教祖になれる…。
それを〝谷口雅春先生依存から離脱して…信仰の自立〟であるかのような文脈で用いていることに、私は正直、本当に空恐ろしさを感じないではいられません。
それが言うところの〝信仰者の自立〟なのですか。
そうてあれば、私は、そんなところには、何の価値も関心も魅力も感じはしません。
如何にせば、尊師の教えを弘め、尊師の願いを実現しえるか。
そこにしか、私の関心事はないからです。
〝信仰者としての自立〟を恭しく掲げるのは、結局は、自分の信仰の有り様こそが大事なのであって、尊師の願いをどうやって実現していくか、そこには少しも思いが及ばないからではないでしょうか。
そういう私からすれば、〝谷口雅春先生依存から離脱して〟というようなことを言い得ること自体が、もはや理解の範疇を超えてしまっています。
よくもまあ、こんな不遜なことを言い得るものだと唖然としています。
阪田氏は、こういうことを書いて、いったい、これから何をしようとしているのだろうかと思います。
一人一人を教祖にしていく…。
阪田氏もその一人となって、自分の書いていることが正しいのだという世界に入り込んでいくのでしょうか。
私はそれこそが、〝分派〟活動以外のなにものでもないと見ます。
それでよくもまあ「谷口雅春先生を学ぶ会」や「ときみつる會」を〝分派〟だと批判できたものです。
脚下照顧、今回、書いたものがどんなに空恐ろしいものを内包しているか。
それを知っていただきたく、敢えて、書かせていただいた次第です。
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