《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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本日(3月11日)東日本大震災から11周年の日を迎えて、遠藤未希さんのことを思う… (14195)
日時:2022年03月11日 (金) 08時23分
名前:破邪顕正


私が今も忘れられないのは、南三陸町の職員だった遠藤未希さんのことです。

遠藤さんは、あの津波が押し寄せたとき、放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握って、こう叫び続けました。

「6メートルの津波が予想されます、逃げてください」

「逃げてください」と言いながら、遠藤さんは、そこに留まって、30分もの間、放送し続けたのです。

その放送のおかげで多くの方が助かりました。

しかし、残念ながら、遠藤さんは、還らぬ人となりました。

何でも、遠藤さんには当時、婚約者がいて、その年の9月10日には結婚式を挙げる予定だったと言います。

遠藤さんの遺体がみつかったとき、お父さんの清喜さんは、無念さを押し殺しながら、こうつぶやかれました。

「本当にご苦労さま。ありがとう」

また、お母さんの美恵子さんは、3月下旬、遠藤さんが水中で亡くなっている夢を見られたそうで、こう仰いました。

「未希が『早く捜してほしい』と、助けを求めていると思った。亡くなったことはつらいけど、遺体が見つかり、家に迎え入れることができるだけでもよかった」

確かに、すぐに逃げれば、遠藤さんは助かったかもしれません。

しかし、多くの人を救うには、緊急非難の放送をしなければならない…。

それが私のやるべきことだ…。

遠藤さんの、そういう気持ちを思うと、何か熱いものがこみ上げてまいります。

尊師・谷口雅春先生は「なぜ人間は愛のために肉体を捧げた人を美しいと感ずるのか」と題して、こうお書きになっておられます(『理想世界』誌・昭和38年6月号)。

《太平洋戦争中にもですね。回天魚雷に単身乗って、国を救うためにはその魚雷と共に爆破してもいいというので命を捨てて飛び込んで行った日本の青年があった。戦後の民主主義の教育を受けて、国家の生命よりも個人の生命の惜しい人から見たら、「回天魚雷に乗って、魚雷と共に爆破するとは、何という馬鹿なことをするな」と思うかも知れないけれども、そこに、私は、何とも言えない常人を超えたところの魂の美しさというもの、何かこう清らかな尊いものを感ずるのです。皆さんも屹度それを感ずるに違いないと僕は思う。佐倉惣五郎でも、ソクラテスでも、キリストでも、兎も角、肉体の命を捨てて、そして或る理想のために突進して行くというところには魂の美が感じられる。吾々はそのような人に対して何となしに憧れるような尊敬するような気持が起って来るのであります。》

「佐倉惣五郎」については、新編『生命の實相』第39巻「教育実践篇」69頁にも出てまいります。

重税に喘ぐ領民のために、惣五郎は1人で将軍に直訴するわけです。

その結果、訴えは聞き届けられ、佐倉藩の領民は救われたのですが、しかし惣五郎夫妻は磔となり、男子4人も死罪となりました。

自分の肉体生命だけのことを思えば、直訴なんかしない方がいいのです。

しかし、この世には、肉体生命以上の価値がある…。

今、ウクライナで見せつけられているのもそれではないでしょうか。

ただ、生きながらえればそれで好い…。

それを当然のこととして、そこに何の疑問も挟まずにやり過ごしてきた、この戦後という時代。

その時代の価値観に対する根本的問い直しが、今、始まっているように私は感じています。


「ウクライナは降伏して早急に戦争を終わらせよ」というコメントが、何故、恥ずかしげもなく罷り通るのか… (14202)
日時:2022年03月12日 (土) 15時02分
名前:破邪顕正


表題にあるようなコメントが、ワイドショーで散見せられるようですが、これこそはまさしく戦後的価値そのものと言えそうです。

どうして、こういう価値観が蔓延ってしまったのか。

それを見事に分析してみせてくれているのが、早稲田大学の有馬哲夫(ありまてつお)教授です。

〈約束を破った占領軍
 皇室の維持という点では「国体護持」がなされた。ところが、国家神道と軍国主義の除去という点では、「国体護持」の条件は守られなかった。

 占領軍は終戦から4カ月後の12月15日に「神道指令」を出して、軍国主義の中心にあった国家神道を禁止した。国のために命を捧げれば靖国神社に神として祀られるという思想を禁止した。

 次いで、教育の場から徹底的に軍国主義を追放した。1946年2月4日、CIE(民間情報教育局)は、文部省に次のように解釈される要素を含む歴史教科書記述を削除することを命じた。

〇国民の英雄的及び一般的活動として戦争を賛美すること
〇天皇や祖国のために戦死を名誉とすること
〇人間の最高の名誉として、軍事的偉業や戦争の英雄を美化すること
〇天皇を防御し、国家発展のために、桜の花が散るがごとく人間の生命を犠牲にすること
〇天皇のために死ぬことを義務とする考え
〇天皇の勅令に対しての従属的な考え

 われわれ日本人がよく知るように、こういった考え方や価値観は戦後教育において徹底的に排斥された。そして、日本人は、「戦争を賛美してはいけない」「戦争で戦う人を英雄視してはいけない」「国のために自分を犠牲にすることはよくない」「国のために死ぬことを名誉としてはいけない」という考え方を植え付けられた。

 問題なのは、侵略戦争と自衛戦争を区別していないということだ。これは、憲法の戦争放棄条項を見てもわかるように、占領軍が意図的にしたことであって、侵略の戦争はもとより、自衛の戦争であっても、とにかく戦争はしてはいけないのだ。占領の目的が日本を自衛戦争さえできない国にすることだったからだ。

 こうして、「国体」のうち、国家神道と軍国主義は破壊された。この点ではアメリカは終戦条件を守らなかった。しかも、これは次のようなハーグ陸戦条約に違反していた。

第43条 国の権力が事実上占領者の手に移ったら、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重し、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保するため、できる手段を尽くさなければならない。

第46条 家の名誉及び権利、個人の生命、私有財産ならびに宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない。

 結局、日本は「国体護持」できたのかといえば、半分はできたが、残りの半分はできなかったといえる。やはり、占領されるということはそういうことだ。

亡国の民の心情を想像せよ
 無条件降伏していたなら、半分も「国体護持」ができなかったことは明らかだ。また、降伏相手がアメリカだったからよかったが、ソ連だったら、傀儡政権を作ったのち、日本人の半分ほどをシベリアに強制移住させたあと、ロシア人を入れて日本本土を支配しただろう。つまり、国を奪われていたのだ。

 こうしてみると、なぜ一部日本人が祖国防衛のために身を挺して戦うウクライナ人の行動を理解せず、批判するのかわかる。要するに彼らの歴史認識が間違っているのだ。

 彼らは無条件降伏しても別にどうということがないと思っているが、それは日本が「国体護持」の条件を獲得するために最期まで戦ったことを知らないからだ。また、日本の場合は、たまたま領土的野心を持たないアメリカに降伏したので、国を奪われずにすんだが、ウクライナ人の場合はそうはいかないということが理解できていないのだ。

 占領軍によって植え付けられたマインドセットから抜け出せていない日本人は、自衛の戦争であっても「戦争はよくない」といい、国のために戦うな、犠牲になるなといい、勝ち目がないし、無駄だから、さっさと無条件降伏すればいいという。国を奪われること、亡国の民となることがどんなことか理解していない。

 彼らはウクライナ人がおかしいという。国際的に見て、おかしいのは占領軍のマインドセットから抜け出せていない日本人の方なのだ。〉

結局、こういう敵前逃亡の〝無抵抗・降伏主義〟を是とするような考え方が蔓延るのは、戦後日本から「義を見てせざるは勇無きなり」という価値観、肉体生命以上の価値があるという考え方が蔑ろにされてきたからに他なりません。

本来、日本人がもっていた〝恥〟の文化が消失してしまっているのです。

そのことを尊師は、前掲書の「なぜ人間は愛のために肉体を捧げた人を美しいと感ずるのか」というご文章の中で〝物質や肉体のいのちを惜しがる奴はきたない〟と題してこう書いておられます。

《非常に物質的な執着が強くってたくさん金が有りながら出すのを惜しんだり、所謂けちん坊という奴、吝嗇漢というような奴を見たり、或いは愈々命捨てにゃならんという時に皆が一緒に命捨てようといっている時に自分だけ逃げ出すというような忠臣蔵でいうと大野九郎兵衛みたいな、そういう奴を見ると何となしに「彼奴(きゃつ)は卑怯である」「値打がない、卑しむべき奴である」「軽蔑すべき奴である」というような感じがきっと起るでしょう。何故そういう感じが起るかという問題であります。》

この「きたない」「卑怯」「卑しい」「軽蔑」という価値観こそ、とても重要なそれではないでしょうか。

そのことを、ここに出て来る「大野九郎兵衛」で見てみましょう。

赤穂藩の経理係(経済官僚)であった大野は、あの松の廊下での刃傷事件後、開城恭順を主張したために、殉死・切腹を唱えた大石内蔵助と対立し、金を盗み取って逐電。

その際、孫(赤ちゃん)を置き去りにしたりしていて、後世においてたいそう評判が悪く、講談では彼は強欲で悪計をめぐらしては金を儲けることばかり考えている、武士としてはあるまじき奴と紹介されています。

蓄電したのは、大野が侮辱した岡嶋八十右衛門に「勝負しろ!」と家に押しかけられ、そのとき臆病風に吹かれたことが原因。

主家断絶後は、江戸の友達・木村善助をたより、横領金を元手に安穏と暮らしていたが、最後は親子共々、斬り殺されて生涯を終えたということになっています。

大野のように、とにかく生き延びる…。

たとえ生き恥をさらしてでも生き延びる…。

これが戦後日本の価値観だということです。

ウクライナの愛国心、その敢闘精神が理解できないのも無理はありません。

ウクライナはまさしく戦後日本の鏡としてあると思う所以です。


肉体生命を大事にするという戦後的価値の一番の問題は、そこに〝永遠性〟という世界が抜け落ちていることではないのか… (14207)
日時:2022年03月14日 (月) 14時44分
名前:破邪顕正


表題に関して、私は〝「石上げの御祭」では、完全に「聖経」が外されています (14148)〟の中で、千利休に言及し、次のように書いています。

〈もし利休が秀吉に詫びをいれて長生きしていたら、茶道の世界はそのときに終わっていた…。

利休が秀吉の絶対権力に阿ることなく、あのとき切腹していたからこそ、利休は〝茶聖〟となり今日まで続いたのだ…。〉

つまり、「無抵抗・降伏主義」の戦後的価値は、〝永遠性〟という価値をスッポリと欠落させていると申し上げたいのです。

ただ、そこにあるのは「死んだら終わり」「死んで花実が咲くものか」という徹底した〝此の世至上主義〟ではないのか。

この戦後的価値に、一貫して警鐘を鳴らしてこられたのが尊師・谷口雅春先生でありました。

例えば、『理想世界』誌・昭和42年12月号誌上で、尊師は「人類と世界が求めている人となれ」と題し、こうお諭しくださっています。

《古代ギリシャでスパルタが覇を称(とな)えていたとき、その勇将の一人は「われは敵の軍勢の数をかぞえず、われは克服すべき敵が何処にあるかということだけに関心があるのである」といったそうである。敵の数をかぞえて、その想像される敵の〝数量〟だけに圧倒されて前進の勇気を失ってしまう如きは、勇気なき者である。真に勇気ある者は、困難の量などは考えずに、どこに克服してやれる敵又は困難があるかと、それを見つけ出して、それを遂に克服し征服するのである。世界はかくの如き勇者を求めているのである。…世界は正義の人を求めているのである。利益に眼を眩まされてフラフラ動揺するが如き人は、頼りにならない人である。「あの人なら決して間違いはない」という人、信頼できる人を人類は求めているのである。正義のためには焚刑(ふんけい)も笞刑(ちけい)刑も磔刑(たくけい)をも恐れず、正義と一つになって進むものは、肉体を滅ぼすことがあっても正義は永遠のものであるから、永遠の正義と共にその人の生命は不死であるのである。私は戦時の特攻隊の人々の魂を尊敬する。これらの青年は〝永遠の理想〟を心に描いて、肉体は滅びても〝永遠の理想〟とその生命を一体化した人であるからである。》

何故、世界は、今もなお〝サムライ〟への憧憬を隠そうとはしないのでしょうか。

武士道、騎士道、そこに相通ずるものがあるからに他なりません。

戦国時代、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)という武将がいました。

武田勝頼軍が三河の長篠城を包囲したときのことです。

城内では食糧が尽き、もはや数日、という状況になった時、鳥居は命を懸けて、厳重な包囲網を抜け、徳川家康に救援を頼み、承諾を取り付けました。

再び長篠城に戻る時、鳥居は武田軍に捕らえられ、「援軍は来ない」という報告をするように命じられ、城下に連れてこられました。

その時、鳥居は城を仰ぎ、大声で「主君の大軍はすでに出発した。援軍は三日もすれば到着する!」と叫びました。

そのため、鳥居は、その場で切り殺されました。

何故、鳥居の名が後世にまで語り継がれてきたのか。

肉体生命を超えた〝永遠の価値〟に生きたからとは言えないでしょうか。

そういうものに、どうして私たちは感動するのか。

それこそが、戦後的価値を乗り越える、重大な視点になるのだと思います。


〝何故不惜身命は美しく命を惜しむ者はきたなく感じられるか〟 (14212)
日時:2022年03月15日 (火) 10時58分
名前:破邪顕正


表題は、『理想世界』誌・昭和38年6月号「なぜ人間は愛のために肉体を捧げた人を美しいと感ずるのか」の中にあります。

《何故その肉体に執着して肉体を大事にしていて命を捨てたくないとこう思っている人間が醜く見えて、そして自分の理想のためには、或いは義理人情のためには命を捨ててもいいと、突進して行く人に或る美しさや気高さや尊さというようなものが感ぜられるかという根拠は、一体何処にあるかということです。
 肉体というものが本当にもっぱら人間の全部であってそして肉体の人間を生かすことが善であったらですね。どんな卑怯な真似してでも肉体さえ生きて命さえ助かりゃいいとやる方が美しく感ぜられる、尊く感ぜられるのが、当り前であるということになる筈だと思うんですよ。ところが肉体を保存することに汲々としている人たちを見ると、何か卑怯な見ぐるしい人に見え、或る理想に対して不惜身命に突進して行くところの人に美しさが感ぜられるとしたならばですね。何処にそういう肉体を捨てて理想に突進するものが美しく感ぜられる理由の根拠があるかという問題であります。…
 そこでこの問題を解明するのには人間の本物を知らねばならぬ。…そうすると人間というものは、肉眼で見える肉体だけで評価できないあるものをもっているのであって、その肉眼で見えないところの人間の「価値の本体」ーそれを人格と名前を附けてもいいし、生長の家では「実相の人間」と謂うのです。
 人間の「実相」というものは、肉眼に見えないが、価値批判の絶対的規範をもっていて、それが内部から我々の行動を批判してそして「よくやった。出かした、出かした。」と批判して呉れることもあれば、そうでなしに「けちなことをしやがる」とか、「卑怯なことをしやがる」とか「卑しいことをしやがる」とか何とか、内部から批判している声を聞くでしょう。そういう批判は耳に聞こえないけれども魂が聞く。その〝価値批判〟の「主体」というものが「人格」であり、「実相」の自分である。》

これを「ソクラテス」の例で考えてみましょう。

何故、ソクラテスは、「悪法も法なり」と言って、毒を飲んだのか。

ソクラテスの死刑が決まった時、実は、賄賂を渡せば簡単に脱獄することができたという話があります。

弟子であるプラトンからも逃亡を進言されていたそうです。

しかし、ソクラテスはその道を選ばず、敢えて死刑の道を選びました。

ソクラテスの考え方に「知徳合一」というものがあります。

もし、ソクラテスが賄賂を使って逃亡していたら、どうなるでしょうか。

誰も傷つけはしないとしても、これは立派な「不正」です。

「徳」の道から外れてしまうことになります。

「知徳合一」を信条とするソクラテスにとって、この「不正」はどうしても許容できるものではなかった…。

現状から脱する方法がもはや「不正」しかないのなら、敢えて死を受け入れる道を選ぼう…。

それがどんなに納得のいかないことであったとしても、法として従わなくてはならないであれば、それを受け入れるしかない…。

尊師のお言葉を借りれば、ソクラテスは、自らの「絶対的規範」に殉じた…。

そう言っても良いのではないでしょうか。

だからこそ、ソクラテスの名は永遠に残ることとなったのだと思うのです。

いくら自分が悪くなくても、その状況を脱するために「不正」を犯してしまったら、それは相手の思うつぼ。

「不正」を行うくらいならば、自身の〝魂〟のために死を受け入れる…。

ここで三島由紀夫の言葉が甦ってまいります。

〝生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか〟

三島由紀夫は、まさしく時代に先駆けて、「戦後日本」なるものと対決したのだと思えてなりません。




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