| 谷口雅宣総裁、生政連の活動停止で、「愛国運動」『愛国書』の絶版は正当化しえませんよ! (1744) |
- 日時:2016年06月03日 (金) 09時58分
名前:破邪顕正
表題は、谷口雅宣総裁のブログ記事「『日本会議の研究』について」を読んでの私なりの反論です。
このブログ記事は、先に、谷口雅宣総裁の品性を疑わせるに足る記事であると申しました。
今度は、中身についても批判しておきます。
>ここにある「真理や信仰を伝えるのではなく、政治目標を説いて回る」という意味は、政治目標達成や選挙運動に力を入れるあまり、何が正しく、何が真理であるかという判断や、個人が抱える苦悩の救済が二の次に回されてしまったという意味である。
また、「宗教活動はしだいに政治活動に従属していった」という意味は、教団の組織的活動において、宗教的なもののが後退する一方、政治的なものが優先されるようになったということだ。
これは、「政治目標達成のために宗教的情熱が利用される」と表現してもいいかもしれない。
宗教運動にとってこのような傾向は決して好ましくないため、第二代総裁の谷口清超先生は、昭和58年に生政連の活動停止を決断されたのだった。<
谷口雅宣総裁は、これを自分で書いていて恥ずかしくなかったのでしょうか。
普通の感覚の持ち主であれば、自己矛盾に赤面したくなるものであります。
だって、谷口雅宣総裁がやっていることは、まさにこれと同工異曲の類であるからです。
わかりやすくするために、谷口雅宣総裁のこの言葉を借りて、総裁が今、やっていることを描出することにいたしましょう。
>ここにある「真理や信仰を伝えるのではなく、環境保護や『日本会議の研究』を説いて回る」という意味は、ノーミート、ヒルクライム、クラフト、そして反原発=反安倍=反改憲運動の政治的発言に力を入れるあまり、何が正しく、何が真理であるかという判断や、個人が抱える苦悩の救済が二の次に回されてしまったという意味である。<
谷口雅宣総裁は、自分のしていることが全然、見えていなのだということがこれでよく分かりました。
更に、次の発言がこれまた問題なのです。
>宗教運動にとってこのような傾向は決して好ましくないため、第二代総裁の谷口清超先生は、昭和58年に生政連の活動停止を決断されたのだった。<
なるほど、生政連の活動停止は決まりました。
しかし、だからと言って、そのとき「天皇国・日本」の実相顕現運動が否定されたわけではありません。
ましてや、谷口雅春先生の『愛国書』を絶版にしてもいいという決定がなされたわけでもありません。
谷口雅宣総裁は、生政連の活動停止をもって、それを正当化しようというのですか。
谷口雅宣総裁の生来の“わがまま”ぶりを発揮して、生政連の活動停止を金科玉条にして、生長の家から「愛国」の看板外しを策動したこと、ちゃんとお見通しですよ。
こういう陰謀好きが高じて、谷口雅宣総裁は日本教文社の社外取締役となって、谷口雅春先生の『聖典』を絶版にし、『新刊書』を出させないようにしたわけでしょ。
谷口雅宣総裁が、表面に出ないよう,ウラでしっかりと画策してやったこと、天網恢々疎にして漏らさず、今や満天下に晒されています。
自分がそういう陰謀を逞しうしてやり抜いてきたからこそ、誰もが陰謀を企むものだと思い込み、そんな性格が災いして、あんな『菅野本』まで拍手喝采を送るのだと私は見ています。
「同類親和の法則」のいい例を、今後は、谷口雅宣総裁と菅野氏との関係で挙げることにいたしましょうかね…。

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