《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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石原慎太郎と三島由紀夫(敬称略)との〝闘論〟を思い出す中、現教団の〝内部批判勢力〟のことについての私なりの感想を… (14127)
日時:2022年02月03日 (木) 09時44分
名前:破邪顕正


石原慎太郎・元東京都知事の逝去の報に接し、心から哀悼の意を表します。

石原は、神奈川県の湘南高校の出身で、その1年生の時に民主学生同盟にいち早く入り、学内に社会研究会を作っています。

所謂、「左翼」だったと言っていいでしょう。

それが、中国共産党から、この度「右翼の政治屋」という〝称号〟をいただくまでに、大きくその思想信条が変わったのには、三島由紀夫が深く関係していると言われています。

かつて、その二人の〝討論〟に、私は大きな感化を受けたものの一人です。

昭和45年6月16日、 石原(37歳)が三島(45歳)にあてた公開書状「政治と美について」が「毎日新聞」に掲載されました。

5日前の6月11日、同紙夕刊に掲載された三島の石原あての公開書状「士道について」に対する、それは反論でした。

石原は、2年前の昭和43年(35歳)、参議院議員選挙に自民党の公認で全国区で出馬し、史上最高の301万票を集めて初当選を果たしています。

この公開討論の発端は、2週間前の6月2日、『諸君!』(文藝春秋社の月刊オピニオン誌)に掲載された、石原と京大助教授・高坂正堯(36歳)との対談にあります。

そのときのテーマは「自民党ははたして政党なのか」。

ここで石原は、自らの属する自民党のことを〝ボロクソ〟に貶したのです。

高坂の「自民党を一言で定義すれば」との問いに、「社会、民社、共産、公明そして無所属ならざる人間の集団ですよ。(笑)」といい、「政治というものの本体は、欺瞞でしかないということを、政党としての出発点から自分にいい聞かせているようなところが自民党にはあるでしょう。本当に事なかれです。それで何をやっているかというと、結局は役人に協力しているだけなんだな。」と答えています。

そんな石原にあてた三島の公開書状「士道について」。

石原・高坂対談の9日後の6月11日、それが「毎日新聞」(夕刊)に掲載されます。

〈永年の良友である貴兄に公開状など出すのは愉快なことではないが事柄が公的な性質のものなので(中略)私はこの(※『「諸君!』)対談を二度読み返してみて、貴兄がさういふ半党的(!)言辞を弄されること自体が、中共使節の古井氏のおどろくべき反党的言辞までも、事もなげに併呑する自民党的体質のお陰を蒙つてゐる、といふ喜劇的事実に気づかざるをえませんでした。貴兄が自民党の参院議員でありながら、ここまで自民党をボロクソに仰言る、ああ石原も偉いものだ、一方それを笑つて眺めてゐる佐藤総理も偉いものだ、いやはや。これこそ正に、貴兄が攻撃される自民党の、「政治といふものの本体は、欺瞞でしかないといふことを、政党としての出発点から自分にいひ聞かせてゐるやうなところ」そのものではありませんか。〉

欺瞞と考える集団に自らも属しながらその欺瞞を指摘するのは、それこそ欺瞞そのものではないのかと、三島は言ったわけです。

で、書状のタイトルにある「士道」を例にして、三島はこう言います。

〈昔の武士は、藩に不平があれば諌死しました。さもなければ黙つて耐へました。何ものかに属する、とはさういふことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危ふい一点にしかありません。そこに属してなにがしかの有利を得ている者がその集団についてブツクサいうのは醜いので止めなさい、言うのならそこを離れてから言いなさいということでしょう。武士が諌死したのは、ある意味、その集団を離れたら生きていけない時代で、死を選んだということもあったでしょう。今は、真っ当な集団であれば離れるのは自由だし、生きてもいけます。〉

これに対して、5日後の6月16日、石原が反論します。

〈率直にいって、三島氏の公開状を読んで辟易しました。…私が党につかえているのではなく、自民党が私に属しているのです。それ故に、政党は時代や情況に応じて、分裂もし併合もし、人間の入れ換わりが有り得ます。藩には、中央絶対権力のとり潰しでもない限り、そうしたメタモルフォルゼは有り得なかった。その政治工学的機能の違いをわきまえず、藩と政党を一緒くたにして「士節」を説く三島説は、たとえ現在の自民党に安心満足している政治家たちにとっても、尚迷惑なものでしかないでしょう。私も自ら選んで入党の際から、主取りする侍のように、自分の人生を今在る政党に預けたつもりは毛頭ありません。(中略)私は決して芸術的政治をしようとなど心がけませんし、政治的文学をものしようなどとも思いません。三島さんも、その陥し穴の罠に気をつけて下さい。そうでないと、あなたのプライベイトアーミイ「楯の会」も、美にもならず、政治にもならぬただの政治的ファルスのマヌカンにしかなりかねませんから。〉

ここにある「メタモルフォルゼ」はドイツ語で「変形・変質」のことで、「ファルス」は喜劇、「マヌカン」がマネキン(人形)という意味です。

ここで、石原が言ったことは、有り体に言えば、自らの属する集団のおかしいところを指摘するからこそ、その集団は健全に分裂もし、併合もし、発展もし、衰弱もする…。

石原は、このようにして、言うところの内部批判を正当化してみせたのでした。

しかし、三島は、それは「士道」に反すると言い、ご存じのように、これから5ヶ月後、自決するわけです。

〝あなたのプライベイトアーミイ「楯の会」も、美にもならず、政治にもならぬただの政治的ファルスのマヌカンにしかなりかねません〟

ちょっと小馬鹿にし、茶化した石原に、三島は自決で応えたのです…。

なぜ、この二人の〝闘論〟をここに紹介したのか…。

もとより、石原の逝去の報に接したことが主な理由ではありますが、もう一方で、今、現教団の中にあって、内部批判を繰り返して溜飲を下げている人達がいる…。

その人達のことが念頭にあったからでもあります。

石原は、その内部批判があるからこそ「集団が健全に分裂もし、併合もし、発展もし、衰弱もする」とその意義を語ったわけですが、それでは、今、現教団の中にあって内部批判を繰り返している人達は、果たして、そこまでの展望をもっているのだろうか。

「阪田氏」は、現総裁を批判していながら、そこから〝分裂〟した「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる會」を〝分派〟だとして厳しく難じたわけです。

それでは、「阪田氏」は、何のために内部批判を繰り返しているのか。

同じ、内部批判でも、石原とは全然、その捉え方が違う…。

だから、私は、内部批判をして、ただ溜飲を下げているだけではないか…。

そんな自己満足だけでいいのか…。

石原は違う。

内部批判の先に、分裂・併合・発展・衰弱があることを覚悟していた。

現教団の内部批判をするならするで、そういう人達は、いったいどんな覚悟をもっているのか…。

それが一向に見えてこない…。

そこに、私は現教団の内部批判勢力の限界があるような気がしてならないのです。


時の腐食に耐え得る「真理」 (14129)
日時:2022年02月04日 (金) 14時14分
名前:聖地巡拝参加者

合掌 ありがとうございます。

破邪顕正様の記事を、ありがたく拝見しました。
私もまた、あの「三島・石原」の公開討論を当時興味深く読み、
時代の移り変わりのなかで、折に触れ思い出してきました。

やはり三島は「諌死」がすでに前提となった発言でありましたし、
石原は自身の政治家としての行動原理を述べていた、
ということを、時の経過につれて再確認してきました。

今、石原の逝去に伴い、その人生・行動の回顧が盛んですが、
彼が作家・政治家として、どれだけのことを成し得たか、は
歴史の判断に委ねたく思います。

(個人的には、豊饒な文学遺産と、その理念を体現した
最期の行動を果たした三島に対して、
石原の数編の文学、パフォーマンス主体の政治活動、しかし
そこに愛国の理念も感じさせた存在感、といった
「功績」を感じます。ただそれが、時間の腐食に耐え得るかどうか。)

今、雅春先生亡きあとの「生長の家本流思想」の継承を巡って、
本来、本流派として一本化しているべき各団体の間において、
改めて軋轢が表面化しているようです。

現象的な利害や、時々の判断に左右されて執る行動や、
それにより形成される状況の奧にある
「本質(實相)」を見誤ることさえなければ、
時の腐食にも耐え得る行動・判断が
できるはずで、そうありたいものと思います。

また現在の混乱した状況のなかでは、
一人ひとりが自らの「信仰」「本流思想(真理・實相)」に
対する立ち位置を鮮明にすべき時期を迎えているようにも
思います。
「真理」は永遠です。
それが時の腐食によって消え去ってしまってはならない、
そのためにこの有限な「人生の時間」を使いたいと思います。

「聖地巡拝参加者」さんへ。この「掲示板」の素晴らしいのは、過去記事が検索できることにあると私は思っています… (14132)
日時:2022年02月07日 (月) 09時09分
名前:破邪顕正


投稿、誠にありがとうございました。

〝時の腐食に耐え得る「真理」〟という言葉、心に響きました。

表題に書きましたように、私は、この「掲示板」が他の掲示板と一線を画しているのは、過去記事を検索できることにあると思っています。

それがないと、言い放しになりかねない。

「聖地巡拝参加者」さんの言葉を借りれば、自分の投稿が、〝時の腐食に耐え得る〟か、そういうことを何ら意識しなくてもいい…。

その時々、思ったことをただ書けば好い…。

過去に言ったことと自己矛盾しようが、一向に構わない…。

それが「掲示板」が荒れる誘引にもなっているのではないのか。

この「掲示板」では、過去記事が検索できるので、私にとっては実に有難い…。

重宝させていただいています。

今後とも、〝時の腐食に耐え得る〟ような投稿を、心がけていきたいと思っている次第です。



投稿は「祈り」の一種(の筈) (14138)
日時:2022年02月11日 (金) 01時31分
名前:聖地巡拝参加者

破邪顕正 様

合掌 ありがとうございます。
大変お忙しいなか、レスポンスを頂き誠にありがとうございます。
仰る通り、私もまた、この掲示板の利点によって
様々にお陰を被り、大変ありがたく思っております。

書き込ませて頂くのは本当に稀なのですが、
毎日必ず拝見し、それが信仰生活の必須の一齣になっています。

今、投稿者の誰が、どんな意見を発しているのか。
これは現象界の最も微妙で前駆的な「啓示」だと思います。

テレビ、新聞、ネット等、様々な情報ツールはありますが、
ここで得られるものは次元を異にする、信仰、国家、愛国に
関する投稿者の真剣な、裸の想いです(の筈です)。

そうでないものが紛れ込んでくるのは、それなりの
現象界への實相投影のレンズに曇りが生じている時であって、
みずからへの神様からの御知らせであると思います。

でき得れば、精進潔斎のうえでの投稿が望ましくは思いますが、
そうもいかないのが現実、現象世界でありましょう。

残念なのは「議論」と称しての荒々しい、無神経な
言葉、投稿です。
神様の前に、人として自らの想いをささげようという、
慎み、誠意が感じられません。

「投稿」は祈りの一種であるはずです。

以前、コスモスさんの米国大統領選についての真剣な
ご投稿のお陰で、現在のマスコミ報道の欺瞞に気付き、
それが今のコロナ報道にも如実に表れていることを知りました。
社会のあり方に対する、正当な實相覚に基づく意見には
耳を傾けたく思います。

真理、實相を把持するとともに、
現象界の抜け目なさには、「蛇のごとく敏く」あらねばならぬと
改めて思っております。

引き続き、よろしくお願い申し上げます。

再拝

聖地巡拝参加者さま 有難うございます (14139)
日時:2022年02月14日 (月) 13時25分
名前:コスモス

 合掌 有難うございます。
 
 聖地巡拝参加者さま

 私の拙い投稿にご賛同頂き有難うございます。拝見するのが遅くなり失礼いたしました。

 以前にもありましたが、管理人さまからこの掲示板のルールを守って、意見を二分するような事柄に対しては、特に生命に関わるような重大な事に対しては、賛成意見と同時に、反対意見も取り上げるのがルールであると教えられていたにも拘らず、

 今回も、一方的に賛成意見のみを、それもかなり激しい意見のみを取り上げたために、管理人さまには大変なご迷惑をお掛けしてしまいました。

 賛成意見を取り上げてはならぬという事ではなく、ルールに従って取り上げて下さいねという事を未熟な私は後期高齢者でもあり(笑)、また同じ失敗を繰り返したのでした。

 ルールに従っていれば、管理人さまも認めて下さったに違いありません。深く反省しております。

 今回、聖地巡拝参加者さまに温かいご意見を頂き、心から感謝申し上げます。本当に有難うございます。

 今後はルールを守りながら、私なりに投稿させて頂きたいと思っております。

 聖地巡拝参加者さまにはいつも極めて良心的な素晴らしいご投稿を拝見させて頂き、勉強させて頂いております。

 本当にこの掲示板への投稿が少しでも心からの祈りに近づくよう私も心して今後の投稿を続けさせて頂きたいと思っております。

 励まして頂き、本当に有難うございました。感謝合掌


天長節を前にして三島由紀夫(敬称略)の「守るべきものの価値」について思う (14147)
日時:2022年02月22日 (火) 08時30分
名前:破邪顕正

『谷口雅春先生を学ぶ』誌の2月号に、皇學館大学教授・松浦光修先生が「神武建国と敬神崇祖」と題してご寄稿くださっています。

その中に「宮中三殿」のことが触れられています。

〈陛下が日々、祈りを捧(ささ)げられているのは、いうまでもなく、宮中三殿です。宮中三殿とは、アマテラス大神をお祭りする賢所(かしこどころ)、歴代天皇・皇后・皇族の御神霊をお祭りする皇霊殿(こうれいでん)、八百万の神々をお祭りする神殿(しんでん)の三殿です。もっとも……、よく考えてみると、アマテラス大神のご子孫である初代・神武天皇の、その男系のご子孫が歴代の陛下なのですから、じつは賢所と皇霊殿は、〝ひとつづきのもの〟といってよいでしょう。その上、わが国の神代の物語では、多くの神々が、イザナギの命(みこと)、イザナミの命(みこと)からお生まれになっているのですから、じつは神殿も、賢所や皇霊殿と〝ひとつづきのもの〟といえるのではないでしょうか。〉

この「宮中三殿」で思い出したのが、『尚武のこころ』という本です。

この中で、先に逝去した石原慎太郎と三島由紀夫とが、「守るべきものの価値」について論じ合っています。

まず、石原がこういいます。

〈戦後の日本の政治形態があいまいだから、守るに値するものが見失われてきているけど、ぼくはやはり自分で守るべきものは、あるいは社会が守らなければならないのは、自由だと思いますね。…何のために死ねるかといえば、それは結局自分のためです。〉

それに対して、三島はこういうのです。

〈ぼくはそういう点では、つまり守るべき価値ということを考えときには、全部消去法で考えてしまうんだ。つまりこれを守ることが本質的であるか、じゃここまで守るか、ここまで守るかと、自分で外堀から内堀へだんだん埋めていって考えるんだよ。そしてぼくは民主主義は最終的には放棄しよう、と。あ、よろしい、よろしい。言論の自由は最終的に放棄しよう、よろしい、よろしいと言ってしまいそうなんだ、おれは最後に守るものは何だろうというと、三種の神器しかなくなっちゃうんだ。〉

それに対する、石原の反応と三島とのやりとりが実に興味深い…。

〈石原 三種の神器って何ですか。
 三島 宮中三殿だよ。
 石原 またそんなことを言う
 三島 またそんなことを言うなんていうんじゃないんだよ。〉

因みに、三島由紀夫は昭和41年1月、『豊饒の海』の取材で宮中三殿を見学しているそうです。

果たして、命をかけるに値するものは何か。

「民主主義」なのか。

はたまた「言論の自由」なのか。

今の世界情勢を見ていると、食えるのであれば「人民民主主義」でも構わない…。

監視カメラで監視され、「言論の自由」が阻まれても、それはそれで仕方ない…。

「痩せたソクラテスより太った豚でいい」

「奴隷の平和でも構わない」

今の経済界の重鎮たちの中国詣でを目の当たりにすると、案外、そういう心理が働いているのではないのか…。

三島由紀夫は、その炯眼によって、戦後日本の落ち行く先をそこまで見抜いていたのではないのか、そんな気がしてなりません。

この三島由紀夫の言葉を紹介したのはほかでもありません。

「宮中三殿」のことに、改めて思いを致すべきであると思ったからです。

松浦先生は、前掲書で、こう書いておられます。

〈皇太子時代の平成二十六年、今上陛下は、歌会始で、こういう御製を詠まれています
「御社(みやしろ)の 静けき中に 聞え来る 歌声ゆかし 新嘗(にいなめ)の祭り」
 宮中祭祀のなかでも、もっとも重要な新嘗祭は、毎年、十一月二十三日の夕方から、深夜にかけて行われますが、その時、皇太子殿下は、隔殿で御控えになられます。この御製は、その時のようすをお詠(よ)みになったもので、歌意は、こうです。「宮中の新嘉殿(しんかでん)には神座が設けられていて、そのまわりには、静かな時が流れていきます。その静寂のなかから、古式ゆかしい神楽(かぐら)歌(うた)が聞こえてくる……、そういう今日の新嘗の祭りです」〉

いのちを賭けてお守りするに値するもの、それはまさしく、この「宮中祭祀」ではないのか。

三島由紀夫は、自決することによって、私たちに常に、「命を賭けて守るものとは何か」を問いつづているのだと思います。






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