時の腐食に耐え得る「真理」 (14129) |
- 日時:2022年02月04日 (金) 14時14分
名前:聖地巡拝参加者
合掌 ありがとうございます。
破邪顕正様の記事を、ありがたく拝見しました。 私もまた、あの「三島・石原」の公開討論を当時興味深く読み、 時代の移り変わりのなかで、折に触れ思い出してきました。
やはり三島は「諌死」がすでに前提となった発言でありましたし、 石原は自身の政治家としての行動原理を述べていた、 ということを、時の経過につれて再確認してきました。
今、石原の逝去に伴い、その人生・行動の回顧が盛んですが、 彼が作家・政治家として、どれだけのことを成し得たか、は 歴史の判断に委ねたく思います。
(個人的には、豊饒な文学遺産と、その理念を体現した 最期の行動を果たした三島に対して、 石原の数編の文学、パフォーマンス主体の政治活動、しかし そこに愛国の理念も感じさせた存在感、といった 「功績」を感じます。ただそれが、時間の腐食に耐え得るかどうか。)
今、雅春先生亡きあとの「生長の家本流思想」の継承を巡って、 本来、本流派として一本化しているべき各団体の間において、 改めて軋轢が表面化しているようです。
現象的な利害や、時々の判断に左右されて執る行動や、 それにより形成される状況の奧にある 「本質(實相)」を見誤ることさえなければ、 時の腐食にも耐え得る行動・判断が できるはずで、そうありたいものと思います。
また現在の混乱した状況のなかでは、 一人ひとりが自らの「信仰」「本流思想(真理・實相)」に 対する立ち位置を鮮明にすべき時期を迎えているようにも 思います。 「真理」は永遠です。 それが時の腐食によって消え去ってしまってはならない、 そのためにこの有限な「人生の時間」を使いたいと思います。
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