《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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管理人から、投稿者様と閲覧者様に緊急の連絡です。 (14103)
日時:2022年01月29日 (土) 14時45分
名前:管理人

投稿人、閲覧者の皆様、ありがとうございます

ここ一か月ほどの間、本掲示板は混乱を極める状況に陥っていました。

今もまだその混乱が収束していません。

この混乱は本管理人の無能から発生したもので、本掲示板を期待してくださっている方々には深くお詫びを申し上げます。

ただ、管理人の無能の他にも混乱の原因があるようです。

それで、三年半ほど前に管理人が掲示した記事
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2251
を、そのまま下に再掲します。


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「本掲示板の初心」および「トキさん掲示板」について、管理人の考えを申し上げます。(9650)

本管理人が「トキさん掲示板」についてどう考えているか、ご説明する必要があるかもしれません。それで、一言もうしあげます。

まず、本掲示板の初心について。

本掲示板の初心については、最近たまたま半月ほどまえに機会があったので本管理人が
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2225
の子記事「管理人からのお願いです。ご理解をお願いいたします。 (9546)」に書かせていただきました。

この掲示板は「谷口雅春先生に帰りましょう」という名前どおり「谷口雅春先生の教え」を伝えて広め、さらに「生長の家」教団がこのような考え方と軌を一にしていただきたいと願っている掲示板です。本掲示板が存在する理由はこれだけです。

だから

かりに「生長の家」教団が谷口雅春先生の教えを弘めてくださるようになったならば、

あるいは教団とは別の組織群が谷口雅春先生の教えを弘めてくださるようになったならば、

本掲示板は「お役目終了」と判断してさっさと消えます。





この初心のうえに立つと、本掲示板のなかに「トキさん掲示板」の記事が宣伝あるいは自己主張の目的で入ってこられることは大変な迷惑です。

なぜかというと、「トキさん掲示板」は「議論すること」が目的の掲示板であるからです。

……と言っても解かりにくいかもしれませんが、

たとえば、「生長の家『本流復活』について考える(続したらば版)」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2.html
の最初に、

>この掲示板は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするために作成したスレッドです。生長の家に関連する話題なら、広く受け付けます。

と書いてあります。つまり、トキさんの掲示板は「議論をする」ことが目的です。「トキさん掲示板」のほとんど全部のスレッドも同じです。

ところが、本掲示板は上記のような明確な目的を持っています。この点が「トキさん掲示板」と異なっています。




さて……ここから反発が出るかもしれませんが……世の中にあるもので「議論をする」ことを目的とする物は、ほとんど存在しません。

たとえば会社で社員が議論する。これは要するに会社がもうかることを目的として議論しています。

国会で政治家が議論する。これは与党や野党が自分の政策を実現する目的で議論します。

世の中に「議論をする」ことを目的とする物事は、ほとんど存在しません。……もっとはっきりと言うと……「議論すること」が目的となることは本来ありえません。まんいち「議論すること」が目的となったら、それは何も生みません。なぜならば、議論をする目的がはじめから存在しないからです。その結果、「議論することのための議論」が無限につづきます。


その実例が……トキさんには失礼かもしれませんが……「トキさん掲示板」の多くのスレッドです。「トキさん掲示板」は、トキさんや訊け君たちが長年強力に主張してきた「和解」の具体案、「和解案」さえ今になってもまとまっていません(少なくとも本管理人は見たことがありません)。


それにもかからず、「トキさん掲示板」に安住できる方々は、それをオカシイと考えない(本管理人は、オカシイという声を「トキさん掲示板」に見たことがありません)。おそらく安住できる方々は、「自分たちは何らかの意義ある会話あるいは議論をしている」と考えておられるのでしょう。




そのような人たちの意見やそれらの人たちが本掲示板に入ってこられたら、こちらとしては大変な迷惑です。なぜならば、本掲示板は明確な目的をもっているのに、その目的を実現しようとする真剣な発言が「議論することを目的とする議論」の声によって揉みくちゃにされてしまうからです。

たとえば昔、「本流宣言掲示板」があり、今もその一部が残っていますが、その最初のころ、「訊け」君が当時の管理人に、「おたくの掲示板の『目的』を議論しよう」と呼びかけたことがありました。おそらく当時の「訊け」君には掲示板の「目的」をつぶす(あるいは、変更させる)意図があったのでしょうが、かりにその意図が彼になかったのならば、彼の発言は、「議論が自己目的化した発言」の典型的な一例です。

くりかえしますが、

本掲示板は明確な目的をもっています。その目的を実現するための真剣な議論ならば、よほどのことが無いかぎり管理人は禁止しません。

しかし、「目的をもった議論」と「議論が自己目的化した議論」との区別が解っていない人(あるいは「利用する人」)が本掲示板上でものを言い出したら、すぐにエンドレスの議論になります。その結果、本掲示板はグチャグチャになって、存在意義そのものが消滅してしまいます。




このような根本的な理由で、本掲示板は「トキさん掲示板」の記事を肯定的に引用・紹介することや、「トキさん掲示板」に長年安住して「議論が自己目的化した議論」に違和を感じなくなった人の投稿をお断りしています。今後もお断りします。これは、はっきり申し上げておきます。

よろしく御理解ください。



管理人 拝


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管理人の以上の意思は少しも変わっておりません。

この意思を今後も維持して本掲示板の管理を行うことを改めて申し上げます。


管理人 拝



「管理人」さんの投稿に刺激されて、「夢七訓」を! (14142)
日時:2022年02月18日 (金) 09時38分
名前:破邪顕正


私の知人が、「居酒屋談義」について教えてくれました。

ビジネスの世界で、目標設定の重要性がよく指摘されます。

その目標設定において、ともすれば荒唐無稽な目標を立てることがある。

ここに言う、荒唐無稽な目標とは、実現する手段が自分の手の中にない目標のことです。

達成する手段がないのに、ああでもない、こうでもないと議論をする。

これが、言うところの「居酒屋談義」というわけです。

「管理人」さんの指摘で、「居酒屋談義」にうつつを抜かすことが、如何に勿体ないことかと改めて痛感しました。

結局、「和解」派は、実現する手段も構想力も持ち得ていなかった…。

この10年、「和解」派は、いったい、どんな成果をあげ得たというのでしょうか。

少なくとも、私たちは、現教団に取って替わる〝受け皿〟をつくるという具体的な目標を立て、その構想力のもとに、着々と組織をつくりあげてきました。

そして、念願の宗教法人の認証を得ることもできました。

それぞれの、この10年の歩みの違いが、すべてを物語っているのではないでしょうか。

本年、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、創立20周年を迎えます。

この時に当たり、改めて、渋沢栄一が遺した名言の一つと言われる「夢七訓」を掲げ、大いに精進してまいりたいと思っています。

〈夢なき者は理想なし
 理想なき者は信念なし
 信念なき者は計画なし
 計画なき者は実行なし
 実行なき者は成果なし
 成果なき者は幸福なし
 ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず〉


「阪田氏」はかくも厳しく〝分派〟批判をした以上、『誰でもできる「石上の行」』への論評を書くべきではありませんか。 (14144)
日時:2022年02月19日 (土) 14時00分
名前:破邪顕正


中島省治「谷口雅春先生を学ぶ会」代表は、挨拶や講話をされる際、必ずと言っていいほど、本会の理念を唱えてから話されます。

この理念を朗唱することで、何のために「谷口雅春先生を学ぶ会」が創立せられたのか。

その原点に立ち返る意味があるのだと思います。

それを拝する度に思うことは、私たちは、ただ単に尊師の教えを学ぶだけではなく、それを広く普及伝達する使命を持って誕生したのだということであります。

教団信徒の皆さんから〝分派だ〟〝別派だ〟との蔑みを受けながらも、それでも起ちあがらざるをえなかったのは何故であるか。

現教団に、尊師の教えが息づいていないと見切ったからに他なりません。

「谷口雅春先生を学ぶ会」が潰れたら、もはや尊師の教えはこの地上から潰え去ってしまう、私どもがその最後の砦である…。

その自負があればこその、この20年ではなかったかと思うのです。

ところが、「阪田氏」は、『光明の音信』を発刊するに当たり、その第1号において、「谷口雅春先生を学ぶ会」と「ときみつる會」が宗教法人となったことを挙げて、こう難じたわけです。

〈とうとう『生長の家』も、〝分派〟が出来てしまったのかと、なんともやる瀬無い気持ちと尊師谷口雅春先生、輝子先生に申し訳なく断腸の思いで一杯になりました〉

ここで、重要なのは、「阪田氏」は、「谷口雅春先生を学ぶ会」だけではなくて「ときみつる會」も同列に批判していることです。

ご存じのように、谷口恵美子先生は、「ときみつる會」を主宰されている宮澤潔先生のところに身を寄せておられるわけです。

その「ときみつる會」に対して、「阪田氏」は、〝尊師谷口雅春先生、輝子先生に申し訳なく断腸の思いで一杯になりました〟と書いたわけです。

だったら、そういう「ときみつる會」に身をよせられた谷口恵美子先生の行動もまた好くなかったということになりはしませんか。

それより何より「阪田氏」は〝分派〟が好くないというのであれば、だったら、どうしたら好かったのか、それをきちんと言うべきであります。

結局、「阪田氏」もまた、そのまま教団に残り続けるべきだったと言うしかないのだろうと思うのです…。

〝分派〟批判の、それが論理的帰結だからです。

であれば、ぜひ、「阪田氏」には、『誰でもできる「石上の行」』を読んでほしいものであります。

「石上げ教団」と化した現教団に、それでも残ることの意味、意義を誰にでも納得のいくように、説明してほしいと思うものであります。

おそらく、そう言われれば、「阪田氏」は、それなりの教団批判の文章を書くのかもしれません。

それならば、敢えて伺います。

批判するところに残り続ける意味は何かと…。

「内部批判」をし続けろということですか…。

それを以て瞑すべし、それで満足せよ、とでもいうのでしょうか。

そういう生き方の結果を、私たちは、既に「内部批判」の先駆者、「トキ」さんによって、見せつけられているわけです。

今回のことで、私には「トキ」さんも「阪田氏」も同じであるということがよーく分かりました。

だから、ここにきて、お互いの間に協力関係が生まれてもいるのでしょう。

「内部批判」で、いったい、何が生まれるのか。

三島先生ではありませんが、そんな「内部批判」であたら人生を終えるのは何とも勿体ない…。

第一、そこには潔さがない…。

「内部批判」して〝憂さばらし〟するのみでは、何もそこからは生まれ得ない…。

それが、「阪田氏」と袂を分かつに至った、決定的な理由だと申し上げておきます。





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