《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「tapir」さんもまた「トキ」さんと同じような〝論点のすり替え〟を行うのですか。こんな〝屁理屈〟が最高裁判決の前に罷り通るとでも思っているのですか… (14061)
日時:2022年01月23日 (日) 13時11分
名前:破邪顕正


「tapir」さんについては、皇統問題について、客観的な証拠を示さず、〈天皇陛下が切望されて来たのは、女性天皇の成立、女性宮家の創設です〉というようなことを、所謂「天皇陛下の政治利用」を平然と行う姿勢に、とてもついていけないと思い、これ以上、関わり合うことはすまいと決めておりましたが、しかし、次のような投稿を見ると、さすがに黙過しえなくなりました。

黙過すると、勝手に「回答がないのは認めたものと解釈してよろしいですね」などと宣言されてしまいかねませんので、ここはきちんと反論しておきたいと思います。

まずは「tapir」さんの投稿の趣旨を引きます。

…………………………………………………………

1、最高裁判決文に「社会事業団が完全な著作権者である」という文言はありましたか?裁判の中で、「完全な著作権者」という文言が、取り上げられていましたか? 

「社会事業団が完全な著作権者」というのは、最高裁判決から連想した、社会事業団内部だけに通用する「造語」ではないですか?

2、あるいは、完全な「著作権」が谷口雅春先生から生長の家社会事業団に「託された」という文言が、最高裁判決文に書かれていましたか?

最高裁判決文に2、が書かれていなければ、阪田先生が最高裁判決を否定したことにはならない、判決を否定したという理屈は成り立たないと思いますが…。

……………………………………………………

まず、申し上げておきますが、私や「護法の天使」さんが、「完全な著作権者」と書いたのには、理由があります。

そこには〝制限や留保はない〟それを誰にもわかりやすく説明したいと思ったからです。

だって、今回の問題の発端は何でしたか。

「阪田先生」がこう書いたからでしょ。

〈「生命の實相の著作権が生長の(筆者註…〝家〟の脱字)社会事業団に託された」は間違いで、先生は事業団の運営のために著作権収入即ち印税を寄付されたのであって、著作権を託されたのではありません〉

つまり、「阪田先生」は、ここで〝著作権収入即ち印税を寄付された〟という〝制限や留保〟つきの著作権だと主張したわけです。

当然、そうであれば、最高裁判所の決定により最終確定した判決(以下「最高裁判決」といいます)は、決して印税を寄付されただけではない、そういう制限や留保などはないのだということを差し示す必要があるわけです。

そういう意味で、誰にでもわかりやすく「完全な著作権者」という表現を用いただけのことです。

私どもが、いつ、どこで、〝「社会事業団が完全な著作権者である」そのことは最高裁の判決文に書いてあります〟というようなことを言いましたか。

こちらは言った覚えがないのに、それを恰も判決文に「社会事業団が完全な著作権者である」と書いてあるかのような印象づけを行い、その上で、そういう文言がなければ、これは自分達に都合の良い「造語」であって、それは問題だというように意図的に揚げ足とろうとする…。

これまた、事の本質を眩まそうとする、非常に汚いやり方だと私は思います。

「託された」も同様です。

こちらは、最高裁判決に「託された」と書いてあるなどとは言ってもいないのに、まるでそう言っているかのように捏造し、その返す刀で、それが〝最高裁判決文に書かれていましたか〟などと作為的に誘導質問をしてくる…。

実に、嫌らしいやり方だと私は思います。

なお、この「託された」ということの意味については、「護法の天使」さんが、(14047)で、丁寧に「谷口雅春先生は、国家と人間の救済の大運動の中心機関を目指して生長の家社会事業団を設立されたのであり、そのために完全な著作権を託された(「与えた」の敬意を込めた表現です。「躍進する生長の家社会事業団」第3面の見出しに、「谷口雅春先生はなぜ『生命の實相』の著作権を与えられたか」とありますから、当然おわかりでしょう。)」と説明しています。

そういう説明があるのに、それが判決文にあるかないかをもって、それがなければ〝阪田先生が最高裁判決を否定したことにはならない〟などと屁理屈を言う…。

もう、ここまできたら、そのまま判決文を紹介するしかありません。

実は、これについても、「護法の天使」さんが、(13953)で、判決の全文を閲覧できるようにしているのです。

「tapir」さん、何か言いたいことがあったら、まずはそれをしっかりと読まれることをお勧めします。

これをもって「tapir」さんへの回答に替えてもいいのですが、折角の機会ですから、「阪田先生」の書いたことが、最高裁判決を否定するものだという、その確たる論拠を差し示しておくことにいたします。

その揺るぎようのない論拠とは、これです。

〈「イ 被告日本教文社の主張

本件①の各書籍の著作権は,原告社会事業団に帰属していない。その理由は,以下のとおりである。

(ア)
本件寄附行為5条の「一.基本資産」中の「ニ.A著作「生命の實相」ノ著作権」にいう「著作権」とは,著作権そのものではなく,著作権収入を取得する権利と解すべきである。」〉

「tapir」さん、どうです。

これはまさしく「阪田先生」の書いたことと同じですよね、それは認めますよね。

これに関して、どういう判断がなされたか。

〈「第4 当裁判所の判断 
(略)
上記認定事実を総合すると,亡Aが保有していた亡Aを著作者とする「生命の實相」の著作権は,亡Aが行った本件設立行為の寄附財産であって,昭和21年1月8日に原告社会事業団が設立されたことにより,亡Aから原告社会事業団へ移転し,原告社会事業団の「基本資産」となったことが認められる。そして,「生命の實相」の著作権の対象である著作物の利用を許諾することにより得られる著作権使用料は,「基本資産ヨリ生スル收入」として「流動資産」に該当すること,原告社会事業団の本件寄附行為には,「基本資産」は人為的には消費又は消滅せしめることができず,原告社会事業団の経費は「流動資産」をもって支弁する旨規定されていること(上記②)からすれば,亡A作成の「設立趣意書」中の「恒久的流動資金として,「生命の實相」の著作権收入を寄附行為す。」との記載(上記④)は,「基本資産」である「生命の實相」の著作権から得られる著作権使用料(著作権収入)を「恒久的流動資金」と表現し,亡Aが「生命の實相」の著作権を「基本資産」を組成する寄附財産として出捐することを「著作権収入」という観点から比喩的に説明したものと理解するのが自然である。したがって,原告社会事業団は,昭和21年1月8日,亡Aから,亡Aを著作者とする「生命の實相」の著作権の移転を受けたものと認められる。」〉

言うまでもなく、ここに言われる「亡A」とは尊師・谷口雅春先生のことです。

今、ご紹介した箇所の最後の文章。

〝原告社会事業団は,昭和21年1月8日,亡Aから,亡Aを著作者とする「生命の實相」の著作権の移転を受けたものと認められる。〟

もし、被告・日本教文社が勝訴していたら、おそらく〝「著作権」とは,著作権そのものではなく,著作権収入を取得する権利〟と判決文に記載されたのではありませんか。

しかし、ここにはっきりと〝著作権の移転を受けたものと認められる〟とあるわけです。

さればこそ、「阪田先生」の書いたこと、もう一度、引きますよ。

〈「生命の實相の著作権が生長の(筆者註…〝家〟の脱字)社会事業団に託された」は間違いで、先生は事業団の運営のために著作権収入即ち印税を寄付されたのであって、著作権を託されたのではありません〉

これは、最高裁判決を否定するも同然と見なされても致し方ないことだと申し上げているのです。

何度も書いてきたことですが、とにかく、モノ申したいならば、最高裁判決を前提にしてからにしてほしいと思うものであります。





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