《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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頭注版の生まれた經緯は理解しますし編輯者には敬意を表しますが、そのままでの再出版には反對いたします(頭注版で改變された尊師の正當國語表記の恢復は惡いことでせうか) (14001)
日時:2022年01月15日 (土) 22時58分
名前:立葵

合掌
『生命の實相』の新編の未刊部分の拜讀が新刊購入以外の方法によらなければならないことは殘念です。しかしながら、頭注版のそのままの再出版には反對です。

"頭注版は、もう◯年も使つてきて定着してゐる、親しんできた、手をつけてはいけない(新しい版などを編輯・出版する必要はない)"
 これも至極ごもつともなお考へであるとは思ひます。

 しかし、この新春に發刊九十周年を迎へた『生命の實相』の歷史の中で、頭注版は他の諸版とは大幅に出自を異にする版です。
 語弊がありますが、頭注版も數ある版のうちの一つに過ぎません。誤解を恐れずに申し上げますなら、自分が親しんできたからといつて見直すべき點を放置して次の世代にまでそのままそれを押し付けることは、ある意味で自分達の世代のエゴではないでせうか。

 谷口雅春先生は終生歷史的假名遣と正漢字とを大切に守つて執筆してこられました。ところが戰後の國語政策によつて聖典『生命の實相』が讀めない人々が續出したため、それでも讀んでもらへるやうにとの葛藤の末に戰後敎育世代のために書き換へられたのが頭注版です。

 例へば、『生長の家』誌昭和三十七年八月號の裏表紙には、現在すでに人の齡で申せば還曆(六十周年)を迎へる頭注版の廣告として次の紹介文が附されてゐます。

「舊かなに親しめない人にも讀めるやうに當用漢字新かなとし、誰にも理解できるやうに中學三年生を基準に字句の解釋をつけた頭注版」

と、歷史的假名遣と正漢字とを使つて説明されてゐます。(ここに、當時の編輯部があくまでも雅春先生の原典の文字表記こそが『生長の家』誌の本來の表記であるといふ意識であつたことを垣間見るやうな感があります。)

 一點のみ、關聯した別の廣告も紹介させていただきます。昭和三十四年刊、谷口輝子先生著『わが心の窓』卷末にあります「聖經『甘露の法雨』〈当用漢字新仮名〉」の廣告の説明文です。
「聖経として数多くの神秘的な功徳を謳われている「甘露の法雨」がこんど青少年向きとして新版になりました。これからは御一家お揃いで聖経がお誦げになれます。」

(ちなみに頭注版が約1900萬部を売上げたとの御説をお述べの方がいらつしやいましたが、それは間違ひのやうです。
 昭和七年一月一日に滿を持して發行された初版の聖典・黑革表紙版『生命の實相』から平成令和の新編に至る迄の累計が約1900~2000萬部と傳へられてゐます。
 その途中經過を示す史料の一例ですが、初の四十卷本全集である昭和三十一年初版發行の布裝携帶版は「『生命の實相』八百萬部突破感謝出版」であることが、その第一卷の卷末廣告等に明記されてゐます。
 このやうに、九十年の間に樣々な版で幾世代にもわたつて讀み繼がれてきた積み重ねが約1900萬部超といふ數字となつてゐます。勿論その中でも頭注版の占める部數は大變多いことでせうし、それは素晴しいことだと思ひます。)

 頭注版が普及した時代に偶々生まれ合はせて共に御敎へを學んでこられた數知れない方々、そして頭注版をもテキストとして御敎へを説いて下さつた德久克己先生をはじめとする數多の先師先達の御信仰の御姿を仰ぎまつりこそすれ、決して頭注版の御使用を傲慢にも否定したり見下したりするものではありません。況んや頭注版の各卷の卷頭に戰後二十年前後の時勢に鑑みた「はしがき」を書き下ろして下さった谷口雅春先生に物申す氣持などは毛頭ありません。(戰前からの舊版の「序文」や「はしがき」等を蹈襲された「はしがき」の卷もあります。)

 ですが、これも誤解を恐れずに申し上げますならば、戰後の國語敎育の象徴とも云へる頭注版の無惨な書き換へは、まるで現行の憲法のやうです。(今の憲法は「現代かなづかい」の制定前でしたので歷史的假名遣ですが。)良いものだと敎へ込まれて慣らされて、失つたものがあることを自覺できず、本來の相(形の奧に流れる、目に見えないかけがへのないもの)への囘歸をなぜ悲願とするのかが共有されづらくさせられて參りました。

 歷史的假名遣や正漢字は、「ことだまのさきはふ國」日本の永い歷史の中で培はれてきた、美しくて文法的に理に適つた傳統的な國語の表記法です。それゆゑ、戰後の出版物に於ても谷口雅春先生のその御確信と御實踐とを尊重して能ふ限り歷史的假名遣や正漢字が守られて參りました。

 その一方で、ひとへに若い世代に讀んでほしいといふ心願から、逸早く新假名や「当用漢字」を採用した書物をもお出しになられました。
 神誌では、『生長の家』と『白鳩』は昭和五十年まで傳統表記を守つてきました。その間、その書き方は間違ひだと讀者が怒つてきたり、何故新カナや「当用漢字」に改めないのかといふ質問や抗議の聲が常に寄せられたりした中で、各編輯部はその都度誠心誠意應へてこられました。
(一例:「なぜ『白鳩』は本漢字・歷史的假名遣ひを守つてゐるのでせうか」『白鳩』昭和四十六年八月號80頁・同四十七年三月號58頁)

 さて、『生命の實相』は戰後に刊行された版だけでも多くの種類があります。
 占領下の壓力の下で内容に重大な干渉や制約を蒙りながらも發賣された新修版(それも林武畫伯による美しい見返し畫のある新修特製版と廉價版の新修普及版とがありました。)に始まり、同じく林武畫伯による薔薇を描いた見返しの豪華版全集(以上は全二十卷本)、
 豪華皮表紙版(全十卷の豫告のところ二卷迄)、
 持ち歩きの便のために新修版の各卷を二分割した全四十卷本である布裝携帶版が前述の通り「『生命の實相』八百萬部突破感謝出版」として誕生しました。それから頭注版、新裝携帶版(以上全四十卷本)、愛藏版(全二十卷本)、新編へと續きます。

新修特製版 昭和24~28年
新修普及版 昭和26~28年
豪華皮表紙版地の卷 昭和28年
豪華皮表紙版水の卷 昭和30年、昭和33年
布裝携帶版 昭和31~35年
豪華版 昭和35~37年
頭注版 昭和37~42年
新裝携帶版(豪華携帶版) 昭和42~45年
愛藏版 昭和45~48年
新編 平成24年~

 これらの中で戰後の假名遣と漢字の表記法のものは頭注版と新編です。他は戰後であつても谷口雅春先生が書かれた通りの歷史的假名遣や正漢字が守られてきました。
 とりわけ、谷口雅春先生の御存命中の最後の全集である愛藏版が、頭注版の完結後にその正當な表記を恢復された(戻された)ことに、谷口雅春先生の國語表記への御信念がうかがはれます。

 以上のことから、私は『生命の實相』全集は中學三年生を基準とした戰後の國語表記に改められた頭注版だけを出版し續ければよいとか、それだけを讀めば事足れりとは思ひません。他の版に創刊以來一貫して守られてゐる、谷口雅春先生がこだはられた原文の表記をも是非とも忘れずに手に取つて心讀して味はつてみることは大切なことだと考へます。

 ただ、現在の日本國民の多くが古典的な表記法や文法に對して外國語のやうな距離感を持つに至つた現實から目を逸らすことも出來ません。

 その中で、谷口雅春先生御存命中の最後の全集である愛藏版を底本とする新編の用字の試みに注目してをります。
 歷史的假名遣や正漢字そのままでは今や受け容れられないことによつて「現代仮名遣」「常用漢字」に改めつつも、頭注版のやうな中學三年生が基準といふ、つまりは義務敎育の範圍といふ束縛からはより自由に、谷口雅春先生の原文の表記に戻せる言葉は極力戻してゐることが窺へます。

 以下はこのやうな問題意識を抱くやうになつてから書き留めて參りました、頭注版で變へられてしまつた表記の恢復のごく一部の例です。數字は新編の卷數です。新編(愛藏版等の原典)→頭注版の順です。

21
爾来→以来

21
轍(わだち)→車輪

21
註文→注文

24
線であるかの如く→線であるごとく
※文語的表現「かの如く」への無理解か?

24
迷わぬ人ほど悟りにくく→迷わぬ人こそ悟りにくく
 ※意味が似て非なる變更?

24
視え触れ→見え触れ

24
現実世界→現実社会

24
発揮する所以→発揮すること

24
掲ぐるは→掲げるのは

24
大天文学者にして→大天文学者で

24
畢竟→つまりは、つまるところ

24
根を卸したとき→根を下したとき

24
果を実ぶ→実を結ぶ

25
永らく→長らく

25
障礙物→障害物

25
纂める→集める

29
硝子→ガラス

29
喜びの詞を述べて→喜びの言葉を述べて

30
火が熾る→火がおこる

31
逢う→会う

32
金龍殿→金竜殿
その他すべて「龍」→「竜」

33
鳩合→糾合

33
瑣細→些細

32,33
蠟燭→ローソク

32
泪→涙

32
薔薇→バラ

33
火焰→火炎

35
林檎→りんご
43
林檎→リンゴ

35
宏大→広大

36
お友達→お友だち

37
僻見→偏見

37
愬え→訴え

37
昂ぶった→高ぶった

37
葡萄酒→ブドー酒

38
詮じつめて→煎じつめて
※「詮ずる」=筋道をたどって深く考えること、
  「煎じる」=煮出すこと

43
讃歎→讃嘆

47
拡める→ 広める

47
顚倒→転倒

 最後に、誤つた頭注の修正された脚註の一例です。
 頭注版が「参考篇」の説明として現在の「参考篇 心が肉体に及ぼす力」(筆者註:戰前版では「新思想篇」とも稱したニューソートの紹介の篇)だと記すのに對して、新編の脚註は本文の内容(精神分析の症例)から、ここでの「参考篇」は現在の精神分析篇に篇名が變はつたものであることを指摘してゐます。
新編46卷19頁の脚註
<ここでは本全集第十一巻「精神分析篇」を指す。昭和七年発行の『生命の實相』初版革表紙版の構成には現在と異同があり、「参考篇」が二篇あった。「参考篇 精神分析による心の研究」及び本全集第三十七巻所収の「参考篇 心が肉体に及ぼす力」>

 以上、長文にお附合ひ下さいましてありがたうございました。
再拜



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