《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「トキ」さんや「阪田先生」に感ずるのは、どうして現教団から抜けきれないのか?結局、教団に対しての忠誠心があるからではないのか… (13950)
日時:2022年01月03日 (月) 13時14分
名前:破邪顕正

ご存じのように「トキ」さんは、一貫して現教団に留まるという生き方を選択し続けています。

また、「阪田先生」も、「光明の音信」第1号で、「谷口雅春先生を学ぶ会」と「ときみつる會」が宗教法人になったことをさして、「とうとう『生長の家』も、〝分派〟が出来てしまったのかと、なんともやる瀬無い気持ちと尊師谷口雅春先生、輝子先生に申し訳なく断腸の思いで一杯になりました」と書いています。

つまり、こう書いたということは、「阪田先生」にしても、色々と現総裁を批判する言論を発してはいても、現教団から抜け切れてはいない…。

なるほど、「トキ」さんが「阪田先生」に共感、感銘を覚えるのも宜なるかな。

同じ立ち位置を確認し得たからなのでしょう。

「トキ」さんはともかくとして、一緒に研修講座に取り組んだ「阪田先生」までもが、どうしてそうなるのか。

結局、忠誠心の対象が現教団にあるからではないのか。

だから、現教団から脱会した私どもを指して、「尊師谷口雅春先生、輝子先生に申し訳なく断腸の思いで一杯」と書くのだと思います。

即ち、「阪田先生」のような教団に忠誠心を抱く人から見れば、尊師が創始せられた教団を脱会することは、そのまま尊師への裏切りだと見なしてしまう…。

しかし、私ども信仰者の忠誠心は尊師の〝御こころざし〟への忠誠であって、教団への忠誠ではありません。

現に尊師は、「日本の為になるならば、生長の家の一つや二つ潰れてもいい」とまで仰ったではありませんか。

「阪田先生」は、尊師の、このお言葉をどう受け取めているのでしょうか。

それとも何ですか、「阪田先生」は、現総裁のやっていることを尊師が了とせられているとでも思っているのでしょうか。

①生長の家の大神である「住吉大神」を、所謂、〝造化の三神〟に取って替えたことは許されることなのですか?

②神殿である『生命の實相』を教義の中心から外したこと、それから「聖経」に取って替わるものとして「讃歌」を造ったことを、どう思っているのですか。

③尊師の御名を隠そうとし、尊師の歩まれし歴史とその膨大な著書を隠蔽し、尊師が精魂込めて建立された本部会館を破壊し、数々の組織を解散させ、追放してきたこと(具体的には、生政連、生学連、生高連、ジュニア友の会、生長の家幹部学校、養心学園、新教連)等、尊師はこれを悲しまれてはいないとでもいうのですか…?

④〝占領憲法〟を護持する護憲団体に変え、いわゆる〝立憲共産党〟を支持し、「生長の家」を愛国団体から左翼リベラル団体へ変貌せしめたことを、どう思っているのですか?

私どものことを〝分派〟というのであれば、ここまで堕した現教団こそは、尊師の創始せられた「生長の家」とは似ても似つかぬ別宗教団体なのではありませんか。

「阪田先生」が、私どもを〝分派〟として難ずる以上に、本来ならば現総裁・現教団をこそ難ずべきなのではありませんか。

『生長の家五十年史』から見て、その後の現教団の歩みは、果たして正当・正統なる歩みだったと言えるのですか?

どんなに教えの中身が変わろうとも、看板が「生長の家」なれば、それに忠誠を尽くす、それが「阪田先生」の、あるべき生き方なのですか。

教団に忠誠心を抱くあまり、脱会した信徒を敵視して攻撃したこと。

尊師の創始せられた本来の、本当の「生長の家」を取り戻そうとして、そのために日々、人生をかけて精進、挺身している、あまたの同志・仲間を後ろから鉄砲で撃つような行為をなしたこと。

これは「阪田先生」の、自己中心の自己喧伝的アピールに他ならず、まさに敵対的行為以外のなにものでもありません。

これまで社事団主催の「生長の家教義研修講座」に賛同し、講師として出講してきた自分自身の行為と照らし合わせ、今回の言動にどう片をつけていかれるか。

尊師の「生長の家」を取り戻すために、一体、何が大切なのか。

「社会事業団」や「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる會」を批判し、潰すことが、本当にそれに叶うことなのか。

ぜひ、考えていただきたいと思うばかりです。


「阪田先生」が批判すべきは、現総裁であり現教団の左傾化なのではありませんか。 (13956)
日時:2022年01月05日 (水) 11時53分
名前:破邪顕正

「阪田先生」並びに「トキ」さんは、忠誠の対象を現教団に置いているのではないのか…。

それがために、今、何が本当の問題なのか。

論すべき、批判すべき対象は何なのか、それが見えなくなっているのではないのか。

判りやすく、忠誠の対象を教団におくことの問題点を指摘しておきます。

例えば、日本が中国共産党に呑み込まれて、第二の香港になってしまったとします。

それでも、日本は祖国だからと忠誠を誓いますか。

これで思い出すのが、『占領憲法下の日本』にご寄稿された三島先生の言葉です。

〈谷口雅春師の著書『生命の實相』は私の幼時、つねに病める祖母の枕頭に並んでゐた。燦然たる光明の下に生命の芽の芽生えるその象徴的デザインは、幼ない私の脳裏に刻まれてゐた。
 それから四十年、俄かに身辺に、谷口師に私淑してゐる人たちを見出すやうになつたのである。つい先頃も、「生長の家」の信仰を抱く二三の学生が、私の自衛隊体験入隊の群に加はつたので、親しく接する機会を得た。かれらは皆、明るく、真摯で、正直で、人柄がよく、しかも闘志にみちみちた、現代稀に見る好青年ばかりであつた。そして、「もし日本に共産革命が起きたら、君らはどうする?」という私の問に、「そのときは僕らは生きてゐません」といふ、最もいさぎよい、もっともさわやかな言葉が帰つてきた。これだけの覚悟を持ち、しかもかういふ明るさを持つた青年たちはどうして生れたのだらうか、と私は愕いた。…〉

これこそが、「生長の家」の信徒としての、あるべき姿なのではありませんか。

〝占領憲法〟を護持するような、〝立憲共産党〟を支持するような「生長の家」になったのであれば、それこそ「そんな生長の家ならば潔く脱退します」というのが当然の帰結なのではありませんか。

どうして、そういう生き方を目指した信仰者を〝別派〟だとして、「尊師谷口雅春先生、輝子先生に申し訳な」いと言われなくてはならないのか、とても納得のいくものではありません。

それは、尊師の教えをねじ曲げた者に向けてこそ、言われるべき筋合いのものではありませんか。

批判、批難すべきは三代目総裁であって、私どもに対してではないということです。

だって、「阪田先生」も「教義研修講座」でそう仰ったではありませんか。

それは、尊師の教えを永遠に護り、遺していくために企画、開催されたものであり、「阪田先生」もそれに賛同されたからこそ、講師を引き受けられたのでしょう。

そのときの思いをぜひ、取り戻していただきたい。

その思いでいっぱいです。


「阪田先生」も「トキ」さんも、だったらどのようにして尊師の教えを後世に伝え遺そうとするのか、その展望、構想を提示すべきではありませんか? (13971)
日時:2022年01月10日 (月) 15時41分
名前:破邪顕正


「阪田先生」の問題は、「社会事業団」を批判するばかりで、尊師の教えをどう伝え遺していくのか…。

その展望、構想について、何一つ、提示しえていないことにあると私は見ています。

与党批判ばかりで、それに対する対案を提示しえない、それが〝立憲民主党〟の限界だとは、先の総選挙で盛んに言われたことですが、同様のことを、私はこの度の「阪田先生」にも感じています。

こういうと、「阪田先生」は、「光明の音信」を出しているではないかと抗弁されるかもしれません。

しかし、何度も申し上げて恐縮ですが、それとても「阪田先生」が執筆できる間だけの話でしょ。

果たして、それでいいのかということです。

自己満足で終わってはいけない、そこが「阪田先生」と私どもとの決定的な違いなのだと私は思っています。

これから先、直に尊師の謦咳に接したという信徒は、加速度的に減少していきます。

今のうちに、しっかりと尊師のお志を伝え遺していく必要があるのです。

それが私どもに課せられた、喫緊の、最重要使命なのです。

そして、そのための時間はそうさして残ってはいません。

だからこそ、「阪田先生」の今回の投稿は残念で、無念でならないのです。

私どもに牙をむいて、それでどうするのですか。

どうやって、尊師の教えを永遠に伝え遺すことができるのですか。

もしかして、「阪田先生」は、「トキ」さんと同じように、現総裁、現教団が眼を覚まして、尊師の教えに帰るなどということを期待しているのですか。

そこに願いを托して、現教団が言うところの〝分派〟(私どもからすれば〝本流復活派〟)を批判する側に立つようにしたということですか。

それで、現教団から抜けきれないままであるというのであれば、そういう姿勢は、現教団に〝幻想〟を抱いている、実におめでたい〝教団幻想派〟だというほかはありません。

そんな〝幻想〟に酔いしれ、あたら人生をそこに賭けてしまうというような、そんな博打を打つような生き方だけは絶対に御免被る…。

〝教団幻想〟に、この大切な人生を委ねてなるものか。

それより現教団と分かれてでも、自ら信ずる道を営々と切り拓いていく…。

そちらの方が、よほどやりがいがあるし、使命感だって湧いてくる…。

そこの一点が、「阪田先生」や「トキ」さんとは、決定的に違うところだと、改めて実感している次第です。




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