《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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尊師が現総裁の説いていること、現教団の実態をご覧になられたら、きっと教団脱退の道を選ばれたであろうと思う所以を… (13916)
日時:2021年12月18日 (土) 09時48分
名前:破邪顕正


よく、私どもは、〝別派〟とか〝分派〟だとか言われます。

なるほど、現教団から見ればそうかもしれません。

しかし、尊師・谷口雅春先生の教えから見れば、果たして、どちらが〝分派〟であり〝別派〟でありましょうか。

私はここに、はっきりと、今の教団こそが〝別派〟であり〝分派〟であると自信をもって断言させていただきます。

看板は「生長の家」であっても、その説いているところは、尊師の教えとは全く違う〝雅宣教〟に堕していると思うからです。

その理由は、多々あれども、簡単に言えば、次の3点に尽きるかと思います。

①神様が変わった!

『生長の家』誌・昭和16年12月4日の法語にこうあります。

《生長の家の教えは住吉大神より来る。私の教えではないのである。自分はただ喇叭である。スピーカーである。自分は大先生ではないのである。大生命は住吉大神である。》

この住吉大神から尊師は神啓を受けられ、「神想観」も「神示」も「聖経」も授けられたのです。

ところが、現総裁は、その住吉大神に取って替わって、所謂「造化の三神」を勧請してしまいました。

神さまが替われば、もうそれは別の宗教と言っても差し支えないのではありませんか。

実際、尊師は、その神観の違いで、大本教を脱退されたのですからね。

そのことは、『光の泉』誌・昭和39年11月号にもこう書かれています。

《私が或る宗教におりました時代に、その宗教では、愈々近いうちに神様が此の世界を建て替える最後の時が来ると申しておりまして、神様の気に入らないところの不良の人間を、「地震、雷、火の雨降らして」滅亡せしめて、神様の気に入る人間だけを地上に残すというようなことを説いている教えであったのであります。
 ところが私は或る日の事、自分の家の庭を見ておりますと、一匹の蛇が出て来て蛙を呑んでいたのを見たのであります。…「どうしてこんな不調和な世界を神様が拵らえたのであろう」と私は考えました。互いに食い合い殺し合いをしなければならないような、不完全な世界を神様は拵らえたのは誠にもって怪しからん。これに創造主(つくりぬし)があるなら創造主の責任である。そんな不完全な創造神が、人間が争い、食い合い、殺し合い、不徳な行いをするからといって、人間に罰を与えて神様自身の気に入らぬ人間は、皆殺しに殺してしまうというような、そんな不合理な事があるだろうか。神自身が不完全じゃないか。そんな不完全な神は「神」と称するに足りないものである。そんな神は存在しないのである。ついに私はこう考えたのであります。そうして私は、その宗教から脱退した。そして此の世界はそういう神様が拵らえた世界ではない、これは人間の心が拵らえた世界なのである。つまり人間自身の心が展開してそれが時間・空間面に現われている世界が、この肉眼で見える現象世界である、こういう風に私はその時考えたのであります。》

大本教という教団にお世話になっているから…。

「先生」と言われて、信徒からも慕われているから…。

一つの立場をいただいているから…。

そんな価値観など、本当の神を求める信仰の前には何の意味もなさない…。

尊師は、それを御自らお示しになられたのではありませんか。

だったら、本当に尊師の弟子として御跡を慕いたいと思うのであれば、尊師と同様に、教団を脱退するというのが当然の道ではありませんか。

②『生命の實相』『聖経』がない!

現教団には、神殿とも言われる『生命の實相』がない、「聖経」がないのです。

その上に、「聖経」は〝補強〟されなければならないとして、現総裁は勝手に「讃歌」なるものを拵えたわけです。

で、現教団にいる限りは、好むと好まざるとに関係なく、やはり読誦しなくてはならない…。

「讃歌」が好きであればいいのです。

嫌なのに読まなければならないとなったら、これはどう考えても、オカシイでしょう。

そもそも御教えからして、こんなことをしていれば心の影、身の回りに良くないことが起きてしまうでしょう。

嫌なら読まない…、「それでも読め」と言われるのであれば辞めます!

それが、〝潔い〟信仰者の姿勢というべきものではありませんか。

③尊師・谷口雅春先生の御名を隠す!

何故、尊師の聖典を出版しようとしないのか。

〝それは、創始者の教えが、現総裁の今の教えにそぐわないからです〟

日本教文社での株主総会での、これが正式回答だったと聞きました。

現総裁の説いていることは、尊師の本来の教えとは違っている…。

もはや、それが現教団の幹部の共通認識だと言うことです。

さればこそ、その心の影として、来年度の現教団発行の『日訓』から、尊師の御名も消されるということが出来したのでもありましょう…。

尊師の御名を隠し、尊師の教えとは違うことを説いているのであれば、それは、もはや紛う事なき〝別派〟であり〝分派〟ではありませんか。

私どもに呈せられた〝別派〟〝分派〟は、そっくりそのまま現教団=雅宣教団にご返上させていただきたいと思う次第です。


「生長の家がこんなにも変わってしまって…」 (13920)
日時:2021年12月22日 (水) 17時24分
名前:破邪顕正


表題は、最近、「谷口雅春先生を学ぶ会」をネットで知って、入会してくださった方の言葉です。

その方は、以前、「生長の家」の信徒でありましたが、色々とあって信仰から長いこと、離れておられたそうです。

ところが、身辺に問題が生じ、もう一度、信仰に戻ろうと決意され、伝を頼って現教団の集まりに参加された…。

ところが、そこで見たものは、かつての生長の家の教えとは全然、違ってしまっていた世界…。

とても、問題や悩みごとを相談できるような雰囲気ではなかった…。

で、一体、生長の家で何が起きているのだろうと思って、ネットで調べていて、「谷口雅春先生を学ぶ会」と出会った…。

そういう話でありました。

この方と話をしていて、尊師の教えからすれば、現教団の方が、やはり〝分派〟であり〝別派〟なのではないか…。

そう思った次第です。

それと同時に、やはり、宗教は救う力がなければならない…。

『生命の實相』「聖経」こそがその拠り所です。

来年は、『生命の實相』発刊90周年。

原点に帰って、『生命の實相』拝読に尽力していきたいと思っております。



日本共産党は占領軍の手先となって、尊師を〝売って〟いたということを知らしめてまいりましょう… (13929)
日時:2021年12月24日 (金) 08時42分
名前:破邪顕正

表題は、昭和45年3月23日「月曜随想」にあります。

ここで、尊師は「隠れたる日本再建の功労者」として、宮川和子さんのことをご紹介されています。

その中に、こうあるのです。

《終戦直後、共産党員が占領軍の司令部に、大東亜戦争中には日本が勝利するように愛国運動をした各界の首脳者の名簿をつくって提出し、これらの人物は「A級戦犯者」に該当する者であるから巣鴨の戦犯裁判にかけて処罰するようにと告発しており、その名簿の中で、宗教人としては、大谷光照、大谷智子、谷口雅春…と、私の名はその三番目に記されているということを知らされていた…》

占領期間中、占領軍の片棒をかつぐことをやっていたのが日本共産党であります。

最近、現教団に残っている信徒の方から、機関誌『生長の家』12月号をもってきて、こんな憤慨の言葉を聞かされました。

そこには、性懲りも無く、憲法改正に反対しましょう。

実質的に〝立憲共産党〟を支持しましょうという趣旨の政治文書が記載されていました。

〝占領憲法〟を護持するなんて、尊師が説かれたことと全然、違う…。

こんなのは「生長の家」でも何でも無い…。

ひとしきり、その方は憤懣をぶちまけられたのですが(憤慨するくらいならば退会したらよさそうなものを…と、つい思ってしまいましたが、その方に言わせれば、長年、連合会長をやっていて、そのときの人間関係だけは大事にしたい…、だから退会まではできないとのことでした)、ともあれ、機関誌の内容を見ても、現教団こそが〝分派〟〝別派〟であることは、この元連合会長さんのように判る人には判るということです。

とても残念でなりませんが、尊師を〝売った〟という前科のある日本共産党に気に入られるような現教団になってしまって、本当にこれでいいのか…。

日本共産党がどんなことをしてきたか、この事実をしっかりと伝えて、何とか眼を覚ましてほしいと願わずにはいられません。




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