《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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生長の家は、「生態系と食物連鎖」を賛美する教えではない。 (13890)
日時:2021年12月08日 (水) 18時25分
名前:清流の民


久しぶりに投稿します。
前回の投稿の後、破邪顕正様からは賛同の投稿を頂きました。有難うございます。
また愛国掲示板のほうからも賛同の投稿を頂きました。有難うございました。

これから述べることはこれまでの投稿でも書きましたが、もう一度深く掘り下げて書いてみたいと思います。

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自然界には蛇が蛙を食べるとか、猛獣が走って鹿を倒すというようなことがあります。それをどのように観ずるのかということが問題です。
谷口雅春先生は《弱肉強食の悲惨な世界である、「生命」と「生命」の同士討ちの世界である。このような世界は神の創造の世界ではない》と観ぜられました。
これに対して雅宣総裁は「蛇が蛙を食べるのは当たり前である。猛獣が走って鹿を倒すのも当たり前である。自然とはそういうものだから仕方がない」という考え方です。
さらに総裁は生物学を持ち出してきて、《雅春先生は弱肉強食と言っているが、これは「食物連鎖」というほうが適切である。食物連鎖によって生態系が成り立っているのだ。生物学者も環境倫理学者もそう言っているから私の言うことに間違いはない。間違っているのは雅春先生の方だ》と、口に出しては言いませんが、本心・本音ではそう思っているのです。

この「食物連鎖」という言葉を、私の知る限りでは、総裁は一度も使っていませんが、教団の機関誌や普及誌ではチラホラ見ることがあります。”生態系(食物連鎖)”という記述もあります。(平成30年10月1日発行生長の家誌28頁)その通りです。生態系と食物連鎖は切っても切れない関係にあるのです。そして機関誌や普及誌に出てくる「食物連鎖」という言葉はすべて「必要なもの、好ましいもの」として肯定的に書かれています。

雅宣総裁は食物連鎖という言葉を「自然の与え合い支え合いの仕組み」とか「生命与え合いのシステム」とか「いのちの環」とか「定められたる法則」という抽象的な美しい言葉、どのようにも解釈できる玉虫色の言葉にして表現しています。

大自然讃歌には「生物種互いに与え合い、支え合い」という文章がありますが、これは生物種が食物連鎖によって、生態系を支え合っているという意味でしょう。しかしこれを読誦する人でそう考えている人はおそらく少ないと思います。

「総裁先生は実相世界または実相の投影する世界のことを書いておられるのだ。」と思っているのでしょう。教団信徒の方は善意の誤解をしているのです。

現総裁のほうにも「誤認期待」の心があるように思われます。つまり自説を主張して、しかもそれが「雅春先生の教えと同じだ」と信徒が誤認・誤読することを期待しているフシがあります。総裁にすれば「誤認でも誤読でも何でもよい。とにかく私の書いたものを読誦すれば良いのだ。そうすれば雅春先生を批判・否定する私の思想に同意したことになる」と考えているのです。


生態系と食物連鎖について書いておきます
食物連鎖の上に成り立つ生態系というものは「神」から来ているのではなく、「宇宙意識の迷い」から来ていると思うのです。

確かに世間一般でも生態系を守れと言っている。それに対して殊更に反対するものではありませんが、自然界には長い年月のうちにある種の秩序が出来上がっており、(生物学では生態系ピラミッドとか生態系のバランスとか言っています。)そのバランスを崩さないように「現実対応」としてそう言うのであって、食物連鎖の上に成り立つ生態系というものはどこまでも仮相であって、実相大調和の世界ではないということは、生長の家信徒としては心得ておくべきであると思います。

谷口雅春先生は動物が草を食べることや、微生物が動物の死骸を分解することは否定されていませんが、肉食動物が他の動物を殺して食べることは迷いであるとして明確に否定されています。

『生命の實相』の人生問答篇“『みんな一體』の信仰を語る”の中で、谷口雅春先生は「本當に人類の大多數が最高限度の悟りの状態に達したらイザヤ書に書かれてゐるやうな羊とライオンとが仲良く生活し、猫と鼠とが仲良く相戯れてゐるやうな世界が出現するのです。人間は萬物の靈長ですから、人間の心境が萬物を支配するのです。」と仰っています。
(引用文など原文通り正漢字・歴史的仮名遣いにしました。以下同じ。)


現総裁の大自然讃歌には、「生物は殺し合いではなく、生かし合いと棲み分けによって多様な生態系を築き上げしこと、生物学者も認むるところなり。生かし合いと棲み分けこそ、神の愛と無限の表現なり。」と書かれています。

谷口雅春先生の「生かし合い」と雅宣総裁のいう「生かし合い」とは言葉は同じであっても意味内容が異なります。
谷口雅春先生は弱肉強食の現象世界を否定した後に、実相世界を観て「生かし合いの世界である」とされているのです。
しかし雅宣総裁は弱肉強食の現象世界を否定せず、「これは食物連鎖である。食物連鎖は殺し合いではなく、生かし合いの世界である」と言っているのです。しかも総裁の生物学は肝心の「食物連鎖」という用語を封印しているので読者には意味がよくわからないのです。なんとなく、雅春先生の教えと同じだと思ってしまうのです。

それから「棲み分け」ですが、生物学者のいう棲み分けとは例えば、ワシとフクロウの関係を言います。ワシは昼間活動します。フクロウは夜に活動します。活動の時間帯が違うのでワシとフクロウが衝突することはありません。棲み分けができているのです。しかしワシの世界でもフクロウの世界でも、弱肉強食は行われているのであり、小動物は犠牲になっているのです。生物学者の言う棲み分けとはそういうことであって、生長の家で云う「一切の生物處を得る」とは別のものです。

2020年3月22日 (日)の唐松模様「コロナウイルスは何を教える」に現総裁は次のように書いています。

《ここにあるように、地球上の生物種と生物種の関係は、何億年、何十億年もの進化の過程で“天敵”と共存してきた。この“天敵”という用語は誤解を招きやすい。これは、「相手の絶滅を期して死闘する相手」ではない。前掲の文章にあるように、「時間が経つうちに相手に合わせて致死率を下げる」などして共存してきた捕食ないし寄生関係にある他の生物種のことだ。》

ここに総裁の思想がハッキリと読み取れます。総裁のいう共存共栄とは「一切の生物處を得て争ふものなく、相食むものなく」ではなく、「肉食動物が他の動物を殺して食べるのは仕方がない。絶滅に追い込まないように致死率を下げれば良いのだ。致死率を下げれば、蛇も蛙も猛獣も鹿も共存共栄の世界だ。」と言っているのです。大自然讃歌にある「これら生態系はすべての生命の共栄圏にして」とはそういう意味なのです。弱肉強食を容認・肯定しているのです。

総裁はこの『唐松模様』の中で、食物連鎖のことを《宇宙広しといえども、この「地球」という小惑星にしかない生命与え合いのシステム》であるとして絶賛しています。(生物学者でも環境倫理学者でもそこまでは言わないと思うのですが・・)

谷口雅春先生は蛇が蛙を食べるのを「弱肉強食の悲惨な世界である。」と観られましたが、現総裁は「弱肉強食という言葉は不適切である。これは生命与え合いのシステムだ。蛙は蛇に生命を与え、鹿は猛獣に生命を与えている。殺し合いではなく、生かし合い・与え合いの世界だ。」と言っているのです。

谷口雅春先生の思想と雅宣総裁の思想とは決して両立することのない思想であることが判ります。

大自然讃歌には、天の童子の「弱肉強食は生物界の原則ではないのか」という問いに対して、《天使答え給う――汝ら、目に映る自然を神の創造となすなかれ。現象を実在と見誤るなかれ。》とあります。
生長の家の教えのようなことが書かれていますが、しかし、これはおかしい。
讃歌の天使は「天使、自然界を讃えて歌い給う――」から「地球生命の繁栄の過程は 神の知恵と愛と生命の表現なること 自ずから明らかとならん。」に至るまで、長々と、目に映る現象の自然界をあたかも神の創造の世界であるが如く賛美してきたのです。その中には生物界の弱肉強食・食物連鎖も含まれているのです。(抽象的な美しい言葉に変えて、解読困難にしてありますが)
それが急に掌を返すように現象の自然界を否定するようなことを書いている。・・

総裁の書いた文章は本心・本音の部分と、それをカムフラージュして生長の家の教えらしく見せる部分とが実に複雑に入り組んでいるのです。結果的に総裁の文章は思想が混線混乱しています。

2020年3月11日の唐松模様には、《異種の生物間に物理的な距離があり、それが守られているということが「自然」なのであります。また、それが「生命の法則」だと考えることができます。》と書かれています。
それでは『観世音菩薩讃歌』の「猛獣走りて鹿を倒し カマキリの鎌、小虫を捕らうれども、その結果、必ずしも悪に非ず、善に非ず、定められたる法則の産物にすぎざるなり。」の文章はいったい何だったのか。明らかに矛盾している。総裁は「本音を書きすぎた」と思って、軌道修正したのだろうか。

生長の家は「一切の生物處を得て争ふものなく、相食むものなく」という実相大調和を説く教えであって、仮相の「生態系と食物連鎖」をあたかも神の創造の世界であるがごとく賛美する教えではないのです。
合掌   

「清流の民」さんの投稿に、心から感謝申し上げます。現総裁の問題点が鮮やかに喝破されていると思うからです… (13892)
日時:2021年12月10日 (金) 09時44分
名前:破邪顕正

久しぶりの投稿、今回も本当に素晴らしい、心から首肯できる内容でした。

現総裁は、「聖経」を〝補強〟せんとして、『讃歌』を拵えたわけですが、補強どころか、それが却って仇となって、尊師がお悟りになられた「実相世界」を眩ます、迷いの『讃歌』(だから『惨禍』とまで仰る向きもあるのだと思うのですが)となってしまったのだと思うのです。

今回の投稿は、どこがどのように、その〝迷い〟を生ぜしめているか、きちんと整理してお伝え下さった、私はそのように捉えさせていただきました。

何かのご参考になればとの思いで、『光の泉』誌(昭和39年11月号)「地上に天国を建設するには」と題するご文章を引かせていただきます。

《…この世界を造ったのは「吾々の心」であるが併し「吾々を救う処の何か偉大なる者」が何処かにあるに違いないーー。何処かにその偉大なるものがなかったら、こうして切実に魂の底から〝救いを求める心〟が起って来る筈がない。私の心の底は、何処かにその救いを求める尚一層大なるものにつながっていて、それを感じているのである。既にそれを暗黙のうちに感じ知っているからこそ、それを求めるのではなかろうかーー。「救いの本尊」が何処かにある。それを「神」と言えば「神」と言える、しかしその「神」はこの悲惨な弱肉強食の現象世界を拵らえたんじゃないんだ、という直感が這入って来たのであります。ここに現象世界の創造者と、実在の世界の創造者とをハッキリ分けて考えなければならぬことに気がついたのであります。
 その直感が今、生長の家の教えの奥底にあるのでありまして、その「救いの本尊」は何処にあるかと言うと、それは「実相の世界」にあるという風に今では生長の家では説かれているのであります。此の肉眼で見るところの世界は、殺し合いの世界は、奪い合いの世界は、食い合いの世界は、それは吾々の〝心〟のあらわすところである。〝心〟が変ればそれは変わる。けれども、その現象世界の、殺し合いの世界のその彼方に、もっと「超越した処」に完全な実相の世界があって、そこはイザヤ書に書いてあるように、蝮(まむし)のすむ孔(あな)に子供が指を突込んでも蝮と子供とはたわむれ遊んで蝮が子供を傷つけない。ライオンと羊とは仲良く草を食っているようなそういう世界が既にある。既にあるからこそ吾々の求める気持が、自己の生命の奥底から押し出してくるのである。実相の世界にはすべての生きとし生けるものが互いに完全に調和した姿において、そこに既に在るのだ。その世界はどうしたら出て来るか、どうしたら現象化して出て来るかという事に、私は思い悩んだのであります。
 そうして遂にそれを発見したのであります。それは現象世界は心のあらわす所でありますから、心を媒介として、心をレンズとして、その心を澄み切らして、完全に心を透明にして「実相の世界」の光が射し入るようにした時に、その心を媒介として心のあらわす処の現象世界に、実相世界の完全な相(すがた)が投影して、諸法がこのまま実相となる。この「実相の世界」のことを「仏の世界」と言ってもいい、「神の世界」と言ってもいい、天国と言ってもいい、「お浄土」と言ってもいい、それこそが本当に実在する世界である。その実在の既存の完全な世界が、心を媒介として吾々の現象世界にそれがあらわれて来させるーーこれが地上天国建設運動であります。》

尊師は、ここではっきりと生長の家の目指すものが「地上天国建設運動」であると仰っておられます。

そして、そのためには、〝心を媒介として、心をレンズとして、その心を澄み切らして、完全に心を透明にして「実相の世界」の光が射し入るように〟することが肝要であるとまで仰っています。

まさしく、その〝澄み切ら〟すためのハタラキを司っていらっしゃる神様が「住吉大神」でありましょう。

その神様を脇神へと貶め、あまつさえ「宇宙浄化の祈り」まで実修しない、実修させ得ないのであってみれば、尊師の願われた「地上天国建設運動」など出来ようはずがありません。

尊師の折角のお悟りを、いったい、現総裁は何と心得ているのであろうか。

現総裁へのかかる不信、それこそが、私をして教団を脱退せしめた根因と言っても決して過言ではありません。

その道の選択に一切の後悔はありませんし、それどころかこれで良かったのだと、自らの生き方にますます自信を深めている次第です。

今回の投稿で、なぜ現総裁への不信が募ったのか、それを見事に裏付けしていただいたように感じ、心からの感謝を申し上げる次第です。

ぜひ、またの投稿を期待しております。

感謝、深謝、多謝!




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