《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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現総裁への違和感の正体は、そこに〝日本的思惟〟が欠如している、それに背反していることにあるのではないのか… (13870)
日時:2021年11月26日 (金) 13時01分
名前:破邪顕正


表題は、『限りなく日本を愛す』などの聖典を通じて尊師の神話解釈を学んでいて特に痛感したことであります。

《高天原と云う容器(いれもの)の中に天之御中主神が発生したと云うのではなくして、高天原そのままが「中(みなか)」の顕現であるのである。「中心」と「周辺」とを分断するような思想は、日本的なものではない。
 天皇と臣民とを分割するような思想は、日本的なものではない。日本人は 天皇に於いて自分の生命の本源の象徴を見出し、 天皇はみずからの手身(たみ)であるところの国民を見出したのである。頭首は手身なくして生きないし手身は頭首なくして生きない。君民一体の生命把握が、日本民族の最初の中枢的自覚であったのである。》(『前掲書』89~90頁)

およそ、真理を目玉焼きになぞらえて、黄身(中核)と白身(周辺)とに分けて捉えるという発想自体が〝日本的なものではない〟のです。

あまつさえ、何が黄身か、何が白身か、それを具体的に明示もせず、あろうことか主宰神まで変えてしまったのでは、もはや何をか況んや…。

また、現総裁は、「ムスビ」を強調して、所謂、造化の三神を勧請したわけですが、これまた、「日本的思惟」からはあり得ないことと言わざるをえません。

『生長の家』誌・昭和46年11月号にこうあるからです。

《「神、天地を創造(つくり)給えり」という考え方は、西洋的思惟であって、創造主と被造物との相対的関係をあらわすのであるが、「高天原に成った神」というのは、神そのものが高天原に成ったのであって、神と高天原、創造主と被造物との対立はないのである。このような考え方が日本的思惟なのである。…
天之御中主神の次にタカミムスビノ神、カミムスビノ神の名が掲げられて、いずれも独り神すなわち〝唯一絶対神〟と書かれている。唯一絶対神が三柱ある。これは唯一者たる神をわれわれから見た場合の三つの面を神の名として表現して造化の三神としたのであって、絶対神が三神もあるというわけではないのである。ムスビノ神は結合(むすび)の原理であって、結びということが可能なのは〝本来一つ〟であるからなのである。本来「陽陰不二」の〝中(みなか)〟の原理が、内に陽陰の原理を孕んでそのままに一体なのである。それは一筋の紐に〝左〟と〝右〟の両端が、そのままに含まれてあるようなものである。その〝左〟と〝右〟との両端が両方からムスビ合わされると、子供その他新たなる生命の発展があるのである。この〝結びの原理〟というものが絶対神のなかに、既に内包されているのであって、〝天地の創造〟とか、〝国生み〟とかいうものも、絶対神の内に内在する〝結びの原理〟の展開としてあらわれて来るのであって、日本的思惟においては、神のほかに何か他物があり、その他物に神がはたらきかけて、天地を創造するというようには解しないのである。すべて〝一〟をもって〝創造の本源〟とするのである、そこに〝中心帰一〟の大和(やまと)の日本的思想の根元が見出されるのである。》

ご存じのように、現総裁が支持を表明している「立憲民主党」は、夫婦別姓を推進してい政党です。

現総裁が、心底、「ムスビ」の真理を弘めたいと思っているのであれば、「結びということが可能なのは〝本来一つ〟であるからなのである」という真理に照らして、夫婦別姓は当然、否定してかかるべき筋合いのものではないでしょうか。

ともあれ、尊師の神話解釈を学べば学ぶほど、現総裁の言っていること、やっていることはとても首肯し得るものではありません。

であれば、自ら尊師の教えを護るべく、現教団とは別の道を歩むしかない、それが当然の論理的帰結ではないでしょうか。






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