《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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現教団の来年度の「運動方針」について〝これはカルトだ〟という非難、抗議の声が沸き起こっているそうです… (13851)
日時:2021年11月18日 (木) 08時45分
名前:破邪顕正


所謂、「トキ掲示板」にて、「トキ」さんが新たな教団情報を紹介してくれています。

「トキ」さんの思いとは裏腹に、どんどん現教団は、あらぬ方向に進んでいるようです。

まずは、その注目投稿をご覧ください。

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来年度の運動方針 (45411)
日時:2021年11月17日 (水) 22時35分
名前:トキ

 19日に来年度の運動方針が決まりますが、その内容を読んだ人たちから、「内容がひどい」「これを書いた人は、おかしい」という感想を聞きました。特に、石組みとかの信仰を推進するに至っては、「石を拝むなんて、どこのカルト教団か」という嘆きが出てきております。過去、総裁は「宗教目玉焼き論」と展開し、教義の中核は変えないと約束をしていましたが、この運動方針が通ったら、約束を破ったと断言してもいいでしょう。

 ところが、そういう疑問を教化部長にぶつけると、怒鳴りつけられるというのが常態になっています。正論を持って迫られると返答に窮するので、そのような卑怯卑劣な手段に出ていると思われます。

 そう言えば、最近の生長の家の狂態に疑問を感じた人が教区五者の一人の大幹部に疑問をぶつけたら、

 「私は100万運動の時代に青年会を熱心にしていた人間です。そういう人間が、総裁が正しいというのですから、信用してください!」と怒鳴りつけられたそうです。その人が青年会時代にどんな活動をしていたのか、他の教区から転居してきた人なので実態がわからず、返答ができなかったそうです。

 ところが、ある日、その人が所用でその大幹部が青年会時代を過ごした教区をおとづれ、その大幹部のことを地元の人に尋ねたら、

 「ああ、あのひとは、青年会には所属はしていたが、活動は何もしていなかったよ。行事にも來たり、来なかったりで、いい加減な人でしたね。役職も付いていなかったしね。」

とあっさりと言われたので、てっきり、バリバリと活動をしていたと思い込んでいたその人は、とても驚いたそうです。

 こういう正論が通用しない組織では、とても持たないです。信徒の皆様は、怒鳴られても、正論を持って反論をしましょう。

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これほどの重要投稿を紹介してくれた「トキ」さんには、ただただ感謝の思いしかありませんが、強いて不満を言わせていただけば、「トキ」さんは、どうして自ら戦おうとはしないのですか?

「トキ」さんは、信徒の皆さんを煽るだけなのですか?

そこまで言うのであれば、自ら「正論を持って反論」すればいいのではありませんか。

「隗より始めよ」というではありませんか。

何かを為そうというのであれば、最初に言い出した者がまずは取り組むべきで、行動に移した結果がどうであったか。

それを「掲示板」に投稿されたら、もっと「トキ」さんへの注目が集まるように思うのですがね…。

自らは手を下さず、ただ「べき論」を繰り返すのみでは、何も変わらないのではないかと、ついつい思ってしまいます。

それはそれとして、現教団が〝カルト化〟していくというのは、現総裁のブログ記事からして既に予見されていたことでした…。

以前、私はこういう投稿をしています。

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現総裁によって、今や「生長の家」は〝石を拝む宗教〟となってしまった!これは「神観」の3度目の変遷である… (13294)
日時:2021年04月09日 (金) 15時04分
名前:破邪顕正


現総裁が教団に乗り込んでやってきたことを振り返ると、大まかに、二つに分類されるように思います。

一つは、愛国者の教団追放です。

その嚆矢 (こうし)となったのが生政連の活動停止という名の実質上の〝解散〟であり、愛国聖典の相次ぐ絶版であります。

これについては、これまで繰り返し繰り返し、投稿してまいりましたので、屋上屋を重ねることは差し控えたいと思います。

今一つが、表題に掲げた「神観」の根本的変更であります。

まず最初は、住吉大神を脇神にするために行った、所謂「造化の三神」の勧請です。

次に、現総裁は、「實相」額の前に、「造化の三神」を祭ったお社と七重塔を設置し、信徒にそれを礼拝するよう強要しました。

そして、今回、とうとう現総裁は、〝石ころ〟を拝ませるということまでやってのけたのです。

もう完全に、これは生長の家の「神観」の変質、変更という表現ではすまない…。

はっきり言って、これは宗教的堕落であるとすら私は思っています。

(略)

〝石ころ〟を拝んでいては、この宗教的な荘厳さ、いのちの響きは少しも理解されないのではないでしょうか。

だって、〝石ころ〟を拝むのは、唯物論信仰であり、偶像崇拝以外の何ものでもないと思いますから…。

で、私が思うのは、ここまで来たら、真の信仰者はもはや現教団に留まることは出来得ないのではないのか、ということなのです。

まず、愛国者が追放され、今度は本当の信仰者までもが教団から離れるしかない…。

それを予見させるのが、今回の〝石ころ〟崇拝ではないのか、そう思うものであります。

……………………………………………………

石を拝ませることが「運動方針」にまで出て来たら、尊師の教えを大切に思う信徒は、如何に何でも、現教団に留まるのはオカシイ…。

「怒鳴られる」ぐらいならば、潔く、退会して抗議の意思を指し示す、そういう行動もあり得るのではないでしょうか。


「トキ」さんの、現教団に対する姿勢の変化を歓迎いたします… (13853)
日時:2021年11月19日 (金) 16時23分
名前:破邪顕正


今回の「トキ」さんの投稿は、遅ればせながら、これまでの姿勢とは少し違っているように感じましたので、それを多くの読者の皆様にお知らせしたいと思います。

以前、私はこういう投稿をしていたのでした。

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「トキ」さんは、何故、〝和解〟論者から、ただ待つという〝待機〟論者へと変わったのか… (13639)
日時:2021年08月07日 (土) 15時41分
名前:破邪顕正

ご存じのように、「トキ」さんは、以前は〝和解〟を言い募ってきました。

しかし、今回の投稿で明らかになったように、「トキ」さんは、尊師の教えが復活するのを、ひたすら〝待つ〟という立場へと変わってしまいました。

どうして、かつての持論であった〝和解〟論が影を潜めてしまったのでしょうか。

それには、二つの理由があると思っています。

一つは、これが大きいと思いますが、「谷口雅春先生を学ぶ会」が新たに宗教法人格を取得したために、〝和解〟論の実質的な根拠を失ってしまった…。

宗教法人となった以上、その存在は公的に認められたものであり、今更、〝和解〟のために解散するなどということはあり得ない…。

つまり、〝和解〟の道は閉ざされたも同然となった…。

結果として、〝和解〟論に終止符を打つことになったのが宗教法人の取得であったということです。

今一つの理由は、〝和解〟論の前提としてあった、尊師の教えに帰るということが、現教団の現状を見る限り、それはあり得ないことである…。

そういう認識が広がったことが大きいと私は見ています。

昔は、「教えの真髄は何も変わっていない。ただその説き方が変わっただけだ」という論を信じていた人が多かったように思いますが、今やどうでしょう。

現総裁の説いていることは、尊師の教えとは明らかに違っている、そう思いはじめた信徒が増えてきているのではないでしょうか。

そういう事情が背景にあるからこそ、「トキ」さんは、持論の〝和解〟論を取り下げざるを得ず、その代わりに、尊師の教えに帰る日をただ〝待つ〟という立場に変わったのだと私は見ています。(以下、略)

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で、今回、「トキ」さんは、驚くべきことに、現教団に対して、抗議の声を上げる〝行動派〟〝煽り派〟に変わっていたのです。

ひたすら〝待つ〟という姿勢から、一転して、抗議の声を挙げようという扇動を行うに至った背景に、一体、何があるのか。

私は、その変貌ぶりに、注目したいと思うのです。

そうです、「トキ」さんも、もうこれでは「生長の家が元に戻る」ということは望み得ない…。

待っていても、その日は来ない…。

かくなる上は、現教団のどこがどのようにオカシイか、それをどんなに難じられようが、怒鳴られようが、堂々と指摘していくべきだ…。

裏を返せばそれほど、「トキ」さんの、現教団に対する絶望感が広がっているという、これは何よりの証左ではないでしょうか。

とにかく、聞いて驚きます。

現教団の五者のレベルが酷すぎるからです。

「トキ」さんは、現教団の中にいて、それを嫌というほど見せつけられているのでしょうね。

だから、その絶望感が日増しに大きくなってきている…。

いつかは目が覚めると期待していたが、今の五者のこの信仰レベル、それからすれば、もはや目が覚めるということ自体、困難である…。

「トキ」さんなりに、そう見切ったからこそ、今回の投稿となったのではないのか、私はそう捉えています。



「異教徒」より「異端者」の方が憎しみが強くなるようですね… (13931)
日時:2021年12月25日 (土) 09時07分
名前:破邪顕正


「トキ」さんがこういう投稿をしています。

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気にしないで下さい。 (46570)
日時:2021年12月24日 (金) 21時47分
名前:トキ

 退会にあたり、悪罵されたとのことで、本当に気の毒です。現在も教団に残る人間の一人として、大変、申し訳なく思います。

 現在、生長の家本部は、教義を歪曲し、谷口雅春先生のお名前だけを悪用して、現在の総裁の思想を信徒に押し付けようと試みております。その結果、部内の雰囲気も悪くなり、ギスギスした雰囲気になっています。

 教区の幹部の質も勢い低下し、本部の歪曲した教えを盲信する狂信者が跋扈するようになっています。このような人達は、生長の家の教えの勉強もせず、自転車や園芸や工作をすれば良いと思い込んでいる気の毒な人達です。ただ、その人たちも、訳も分からずに動いているのですから、どうか気にしないで下さい。そのうち、自分の間違いに気がつく日が来ると思います。

 ご神示にも、人間は間違うものである、とはっきりと書かれています。

 20年も活動をされたのは、大変な徳を積まれていると思います。神様はご存知です。どうか、一部のおかしな人達の言動に動揺せず、大きな気持ちで大道を歩んで下さい。そして、落ち着いたら、その人達は気の毒な人達ですから、早く本当の真理に目覚め、本当の幸福に出会えるように祈ってあげてください。同時に、今後も生命の実相を熟読し、時間があれば自主的な勉強会や輪読会を組織して、ご自分の周囲の人たちに正しい真理を広めるお手伝いをしてください。

 今後のご活躍をお祈りします。

…………………………………………………………

「トキ」さん持論の〝待機論〟「そのうち、自分の間違いに気がつく日が来ると思います」…。

確かに、信徒がそれに気づくことはあると私も思いますが、肝心なのは、現総裁がそれに気づくか否か、なのではありませんか。

現総裁が気づかないのでは、今のまま、その路線がずっと続いていくしかないでしょうから。

私は、もはや現総裁が自己反省して、「尊師の教えに帰ろう」などということはあり得ない…と見ています。

そう見切ったからこそ、現教団を退会するしかないという道を選んだわけです。

しかし、「トキ」さんは、ここに書いてあるように、〝本流〟の思いを抱きつつも、現教団に残り続けるという道を選択しているわけです。

ということは、私からすれば、そのあり得ない、教団が尊師の教えに帰るという「トキ」をひたすら待ち望み、その「トキ」の来たらんことを日々祈り続ける…。

そういう人生を選んだのだろうなと思うわけです。

よく、「現総裁の実相を祈ります」ということを仰る信徒さんと出くわすことがありますが、そういう方も「トキ」さんと同じ気持ちなのだろうと思っております。

閑話休題。

今回、私がいいたいのは、どうして「退会者」への悪口がやまないのかという点にあります。

私も「退会」した際、いろんな悪罵を投げつけられた経験があります。

裏切り者、恩知らず、罰当たり…等々。

その凄まじさを目の当たりにして想ったのが、表題にありますように、異教徒よりも異端者の方が憎まれてしまうという現実でした。

実際、ある会員は、「○○学会に入るのは許せるけど、学ぶ会だけには行かせない」と言われたそうです。

そこまで、所謂〝分派〟〝別派〟は「異端者」として敵愾心を抱かれてしまう…。

そして、教団信徒は、退会すればどんな言われ方をするか知っているから、その恐怖心から、なかなか退会に踏み切れないでいるという話も漏れ聞いております。

で、今回、私が思ったのは、「正統」「異端」という見方ではなくて、もはや、現総裁並びに現教団は「異教徒」であると見たがいいのではないのか、という提案なのです。

現に、「トキ」さん自身、こう言っているわけです。

〝本部の歪曲した教えを盲信する狂信者が跋扈するようになっています。このような人達は、生長の家の教えの勉強もせず、自転車や園芸や工作をすれば良いと思い込んでいる気の毒な人達です〟

ザックリ言わせていただけば、今の教団は「自転車や園芸や工作をすれば良いと思い込んでいる」宗教団体なのです。

であれば、これは生長の家の「異端」どころか〝別宗教〟と言ったがいいと思うのです。

「異端」と思うから、とごがどう違うか、「あちらは悪い、間違っている」と言って、自ずと感情が高ぶってしまうわけです…。

しかし、「異教」と見れば、「そもそも違う教えだから」と、自分と他者とを分けて見ることができる…。

至極、冷静になるし、「ああいう教えに嵌まって、気の毒だなあ」と思うぐらいですむ…。

いたずらな敵対心を抱かないで済むというところが実にいいと思うのです。

また、「異教」と見れば、棲み分けの道も出て来ると思うのです。

谷口雅春先生の教えを学びたい人、現総裁の教えを学びたい人…。

「教え」が違うわけですから、そのように受け止めていけばいい…。

そして、どちらを学ぶかは、信徒が決めることで、それに恫喝など加えたりしない…。

そういうようにできたらいいのではないかと思った次第です。




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