「實相」額の前にモノを置くことそのものが、尊師の教えに反するという事が少しもわかっていない… (13838) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 10時39分
名前:破邪顕正
今回の「通達」は、七重塔や造化の三神の社殿の高さを若干修正するだけであり、それらの設置を撤回するものではありません。
ところが、「通達」は、平然と、こういうことを言ってのけるのです。
〈生長の家の礼拝の対象は一定の形をもたない「実相」であり、七重塔やお社は、あくまでもその実相を象徴する「形」です。実相が本体であり、形はそれを思い起こし、心の焦点を合わせるための形式です。礼拝の際、形だけが目立ち、その形が象徴するものが隠されてしまうと、次の3つの問題が生じる可能性が増します: 1.生長の家の礼拝の対象が不明確になる 2.文化的様式に固着する信仰に傾く 3.偶像崇拝に陥るリスクが増える〉
噴飯なのは、だから、「實相」の文字が見えるようにすればいいという、この考え方なのです。
上の危険性については、昨年の「通達」が出て以来、一貫して指摘してきました。
事の本質は、「實相」の文字が見えなくなってしまうこと以上に、そこにモノを置いていいのかということだったのです。
そして、更に重大なのが、礼拝の際の言葉まで変えたことにあります。
ご存じのように、生長の家では、立教以来、一貫して“『實相』額を通して宇宙の大生命に礼拝いたします”と言ってきました。
それをしも、昨年の「通達」では、次のように変えると言ったのです。
「万物調和のムスビの働きを表した造化の三神と、神の創り給いし無限多様の実相世界を象徴する七重塔を通して、宇宙の大生命に礼拝いたします。」
意図的に、見事に“『實相』額を通して”を外しているではありませんか。
それで、いくら「實相」という文字が見えようとも、「實相」額を通しての礼拝とはならないのですから、一体、何の意味があるのか。
結局、モノを通して礼拝するということには何の変更もありはしないのです。
本当に、本気で、上の3つの危険性を排除したいのであれば、『實相』額の前にモノは置かない!
これでスッキリするし、それに尽きるのです。
「実相」の文字が見えれば良い、そういう安直な、安易な考え方そのものが、実に視覚主義、唯物主義であり、尊師がお説きになられた教えとは根本的に相容れないと思うものであります。
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