《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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三島由紀夫先生が自決された理由を尊師はかく語られり… (13823)
日時:2021年11月07日 (日) 11時57分
名前:破邪顕正

11月は尊師のお誕生月であるとともに、三島先生が自決された月でもあります。

で、表題について、『神宮の森』(明治神宮崇敬会・発刊/昭和47年6月1日発行)に、尊師が「天皇陛下と三島由紀夫」と題して、こういうご文章を寄稿されています。

《…今上陛下が、占領軍の圧迫に抗することを得ず「人間宣言」の詔勅を下し給うたことを歎いたのは三島由紀夫氏であった。》

実は、この、所謂「人間宣言」について、尊師もまた「愕然」とされたということを心に留めておきたいと思います。

尊師は、大東亜戦争の〝終戦〟については、「ついに来るべきものが来た」「ニセ物の日本」が滅び「真(まこと)の日本」がいよいよその姿を現わす時を告げるものというご認識であられました。

しかし、その一方で、尊師は、「人間宣言」の〝この詔書を新聞で読まれた時「愕然とした」と言はれてゐる〟(『生長の家五十年史』362頁)のです。

「愕然とした」とまで仰る、その一端を、「入龍宮不可思議境界録」の中に看取することができます。

《天皇はみずからの神性を否定し給い、釈迦はみずからの神性を肯定して、天上天下唯我独尊と云い、キリストみずからの神性を肯定して吾れ神の子也と宣言し、生長の家諸友諸氏も『我れ神の子也』の自覚に入りて、多くの病気が自消自壊しているのである。
 いずれか是なる。いずれか非なる。
 我れ是を語らず、語らんと欲して能わず、我れ眼を蔽って、真実を視ざらんと欲す。此頃、迷妄しきり也》(『大和の国日本』109頁)。

所謂「人間宣言」にかくも「愕然」とせられた尊師なればこそ、三島義挙に関しても深い洞察をもって、その本質を語っていられると思うのです。

先の文章の続きを記します。

《氏はその作『英霊の声』の中で、「いかなる強制、いかなる弾圧、いかなる死の脅迫ありとても、陛下は人間なりと仰せらるべからざりし。世のそしり、人の侮りを受けつつ、ただ陛下御一人、神として御身を保たせ玉ひ……祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに、宮中賢所のなほ奥深く、皇祖皇崇のおんみたまの前にぬかずき、神のおんために死したる者らの霊を祭りて、ただ斎き、ただ祈りましまさば何ほどか尊かりしならん。などてすめらぎは人間となりたまひし(繰返し)」と二・二六事件の英霊をして歎かしめているのは、三島由紀夫自身の歎きを天皇にぶちまけたものなのである。》

ご存じのように、この詔書は、昭和21年1月1日に発布されたもので、「人間宣言」とは俗称に過ぎません。

正式名称は「新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」であります。

これをよく読めば、「天皇の祖先が日本神話の神であること」を否定してはいないし、加えて歴代天皇の神格も否定されてもいません。

しかし、「人間宣言」として流布されたために、現人神から人間天皇へ、というように人口に膾炙されることになってしまったという問題があるわけです。

そのことを最も憂慮なされていたのは、実は他ならぬ昭和天皇でありました。

だからこそ、敢えて、陛下は、昭和52年の記者会見でこうお述べになられたわけです。

〈それ(五箇条の誓文を引用する事)が実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題だった。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。〉

陛下は、日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思しめされて、日本民族としての誇りを忘れさせないためにという御思いであの詔書をご発表になられたのです。

しかし、『英霊の声』は、陛下がどう思し召されていようと、世間に流布されたのとは如何に違っていようとも、或いはGHQの圧力を無視はしえないという状況下に、たとえあったにしても、この「人間宣言」を発表してはならなかったのだというわけです。

ここまで言ってしまった『英霊の声』、一体、その責任はどうなるのか。

尊師はそこに関心を払われていきます。

これについては、また稿を改めて書き進めていくことにいたします。




死をもって責任を果たす… (13824)
日時:2021年11月07日 (日) 13時19分
名前:破邪顕正

「天皇陛下と三島由紀夫」というご文章は、その後、こう続きます。

《三島由紀夫氏はこの作品を発表した後、ある人に、「これを天皇に対する言葉として発表した以上は、必ず私は責任をとる」と話されたことがあったさうである。
 氏が割腹自決をとげた最後に「天皇陛下万歳」と叫んで息が絶えた死は、まさに、その責任をとるために、あらかじめ準備された死であったに相違ないのである。》

『英霊の声』という作品は、まさしく三島先生の命と引き換えてのそれであったと尊師は仰います。

天皇のご存在とは、かくも大きなご存在としてあるのだということ。

それを思うと、勝手に陛下の御意志はこうだと決めつけ、断定することはとても畏れ多いこと、本当に慎まなければならないと思うばかりです。

更にこう続きます。

《三島氏は唯一の深い理解者として親友なる伊沢甲子麿氏に時々乃木大将のことを話されたさうだが、乃木大将は旅順の攻略戦に於いて、明治天皇の股肱である陛下の軍人を多く戦死せしめた責任をとって自刃する日を待ちつつ準備していられたのか、恰度、明治天皇崩御せられ大喪のご発引の時を期して自刃せられたのである。》

三島先生が乃木大将をどれほどまでに畏敬していられたか、ここを読んで感得いたしました。

武人にとって、乃木大将のご存在は実に大きかったのだと改めて思います。

『限りなく日本を愛す』の中に、こういうご文章が出てきます。

《この『山下裁判』の書は群集の盲動やマッカーサーの指令にも屈せざる民主主義者の典型的記録として、また日本の良心は、世界の考えているような残虐なものではない-山下将軍は唯、運悪く悲劇の場面に登場した人物であることを知って、日本の武士道良心を知らしてやりたい本として、一般の、そしてあなたの如き愛国の人たちに一層多く読ませたい本だと思ってをります。》(82~83頁)。

ここにある山下将軍とは、シンガポール攻略を指揮した山下奉文(ともゆき)中将のことであります。

で、英軍から降伏交渉をしたいとの軍使を迎えた夜のことを山下中将は次のように記しています。

〈いよいよ英国軍の降伏となったのですが、実はその前の晩、恥ずかしい話だが、わたしはもう嬉しさで一杯で寝れなかったくらいだった。むかし評判であった乃木大将とステッセルの会見の場面を、夜中に何度も思い出したりした。そして、乃木将軍のように敵将をいたわり、慰めてやろうと、ひそかに考えていました。軍人として、一生の間にこの日をもった自分は、何という幸せ者だろうと、私は涙が出るほど嬉しかった。〉

乃木大将とは、武人にとって、このような存在としてあったのだということを改めて思い知らされました。

山下将軍が詠まれた辞世、3首をご紹介させていただきます。

○野山わけ集むる兵士十余万 かへりてなれよ国の柱と

○今日もまた大地踏みしめかへりゆく 我がつはものの姿たのもし

○待てしばしいさを残して逝きし戦友(とも) あとをしたひてわれもゆきなむ

尊師は、占領後の日本に対して、このような武士道精神を決して忘れてはならないのだと仰っていたのです。

三島先生、乃木大将、そして山下中将…。

生命を賭して護るべきものがある…。

それが日本を貫く魂の歴史ではないのか、そう思えてなりません。

更に続きます。


〝万世一系の天皇〟は父系継承によって成り立つ… (13826)
日時:2021年11月08日 (月) 10時29分
名前:破邪顕正


「天皇陛下と三島由紀夫」と題しての、尊師のご文章の最後は、こうです。

《三島氏にとっては、天皇は〝神〟であらせられ、絶対者であらせられる。その天皇に対し「天皇の人間宣言」について天皇の赤子の歎きをぶちまけて、再び「神としての御宣言」あること要請し奉った以上、それは肉体人間として許さるべきことではなかった。三島氏自身が「肉体」であるといふ「仮面」を棄てて、自己が霊となり「神の子」として天皇の玉座の前に跪くほかなかったのである。そして氏はその日を十一月二十五日陰暦に換算すれば吉田松陰が小塚原で処刑された日と定め、松陰の死が明治の王政復古の原動力となったよう自己の死をもって〝万世一系の天皇これを統治す〟という〝大日本帝国憲法〟復原の原動力たらんことを欲したのである。きっとその日の来らんことを庶幾ふ。(昭和46年3月)》

吉田松陰の御子孫にあたられる小田村四郎・元拓殖大学総長の言葉が眼に止まりました。

〈三島と吉田松陰の関係に特別なものはなく、著作の中でも松陰に触れたものは見つけにくい。ただ、共通することとして、松陰は明治維新を見ることなく亡くなった。三島も辞世にあるように、松陰同様に「先駆けて」亡くなった。何に先駆けたのか。檄文にあるように、曲げられた国の大本を正すことに先駆けて死んだのである。〉

尊師もまた、三島義挙について〝万世一系の天皇これを統治す〟という「国体」の本義が復興すること、その「先駆け」となることを心から期待されていたのだということが、これでわかります。

ここで尊師が〝万世一系の天皇〟と仰っていることに改めて注目したいと思います。

考えてみれば、尊師ご在世中、今、言われているような〝女系天皇〟などという言葉はなかったように記憶します。

つまり、〝万世一系の天皇〟と言えば、取りも直さず126代、男系=父系によって連綿として続いてきた皇統をさすというのが当然の理解であったと思うのです。

女系でも皇室は続くという方もあります。

その証拠としてイギリス王室を挙げる向きもあります。

なるほど、イギリス王室は今も続いてはいますが、しかしその間、幾たびか王朝の変遷はあったわけです。

王朝の変遷を容認してしまえば、もはや〝万世一系の天皇〟とは言えなくなる…。

それこそが、女系天皇の、最も重大な問題なのだと私は認識しています。

尊師がご教示くださった〝天皇信仰〟の中核は、126代の歴代天皇を遡れば、一ついのちで神武天皇、そして天照大御神…という神話の世界にまで繋がっているというところにこそあるというのが私の認識です。

そのために、尊師は〝言霊学〟をもって『古事記』『日本書紀』の意味を解釈してくださったわけです。

その〝言霊学〟の解説が、『真理』第4巻に出てまいりますが、〝「チ」の音霊(おとたま)〟について、こう示されています。

《「チ」というのはこの霊(チ)という字を現します。…血又は霊は血統又は霊統として続くものでありますから「続く」という意味がある。…父は霊統(霊のツヅキ)の表現でありますから、「チチ」と呼びます。》(新装新版『真理』第4巻「青年篇」214頁)

これからみても、尊師が示された〝万世一系の天皇〟とは父系継承であってはじめて成り立つと考えるのが至当であると思うものであります。

〝万世一系の天皇〟を永遠に護持する、それが尊師のお志であり、「生長の家」立教の大いなる使命であります。

その使命に生きるためにこそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」は生まれたのだというのが私の理解です。





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