死をもって責任を果たす… (13824) |
- 日時:2021年11月07日 (日) 13時19分
名前:破邪顕正
「天皇陛下と三島由紀夫」というご文章は、その後、こう続きます。
《三島由紀夫氏はこの作品を発表した後、ある人に、「これを天皇に対する言葉として発表した以上は、必ず私は責任をとる」と話されたことがあったさうである。 氏が割腹自決をとげた最後に「天皇陛下万歳」と叫んで息が絶えた死は、まさに、その責任をとるために、あらかじめ準備された死であったに相違ないのである。》
『英霊の声』という作品は、まさしく三島先生の命と引き換えてのそれであったと尊師は仰います。
天皇のご存在とは、かくも大きなご存在としてあるのだということ。
それを思うと、勝手に陛下の御意志はこうだと決めつけ、断定することはとても畏れ多いこと、本当に慎まなければならないと思うばかりです。
更にこう続きます。
《三島氏は唯一の深い理解者として親友なる伊沢甲子麿氏に時々乃木大将のことを話されたさうだが、乃木大将は旅順の攻略戦に於いて、明治天皇の股肱である陛下の軍人を多く戦死せしめた責任をとって自刃する日を待ちつつ準備していられたのか、恰度、明治天皇崩御せられ大喪のご発引の時を期して自刃せられたのである。》
三島先生が乃木大将をどれほどまでに畏敬していられたか、ここを読んで感得いたしました。
武人にとって、乃木大将のご存在は実に大きかったのだと改めて思います。
『限りなく日本を愛す』の中に、こういうご文章が出てきます。
《この『山下裁判』の書は群集の盲動やマッカーサーの指令にも屈せざる民主主義者の典型的記録として、また日本の良心は、世界の考えているような残虐なものではない-山下将軍は唯、運悪く悲劇の場面に登場した人物であることを知って、日本の武士道良心を知らしてやりたい本として、一般の、そしてあなたの如き愛国の人たちに一層多く読ませたい本だと思ってをります。》(82~83頁)。
ここにある山下将軍とは、シンガポール攻略を指揮した山下奉文(ともゆき)中将のことであります。
で、英軍から降伏交渉をしたいとの軍使を迎えた夜のことを山下中将は次のように記しています。
〈いよいよ英国軍の降伏となったのですが、実はその前の晩、恥ずかしい話だが、わたしはもう嬉しさで一杯で寝れなかったくらいだった。むかし評判であった乃木大将とステッセルの会見の場面を、夜中に何度も思い出したりした。そして、乃木将軍のように敵将をいたわり、慰めてやろうと、ひそかに考えていました。軍人として、一生の間にこの日をもった自分は、何という幸せ者だろうと、私は涙が出るほど嬉しかった。〉
乃木大将とは、武人にとって、このような存在としてあったのだということを改めて思い知らされました。
山下将軍が詠まれた辞世、3首をご紹介させていただきます。
○野山わけ集むる兵士十余万 かへりてなれよ国の柱と
○今日もまた大地踏みしめかへりゆく 我がつはものの姿たのもし
○待てしばしいさを残して逝きし戦友(とも) あとをしたひてわれもゆきなむ
尊師は、占領後の日本に対して、このような武士道精神を決して忘れてはならないのだと仰っていたのです。
三島先生、乃木大将、そして山下中将…。
生命を賭して護るべきものがある…。
それが日本を貫く魂の歴史ではないのか、そう思えてなりません。
更に続きます。
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