「雅春先生よりも、雅宣先生の方が上なのよ」 (13779) |
- 日時:2021年10月25日 (月) 13時03分
名前:破邪顕正
知人の、信徒とのやりとり、その第2弾です。
「尊師・谷口雅春先生は、ずっと自民党を支持してこられたではありませんか。どうして生長の家は変わってしまったのですか」
「あなたは、すぐ雅春先生、雅春先生というけど、今は雅宣先生の時代なのよ。雅宣先生の方が雅春先生よりも上なのよ」
知人は、この言葉にも、大変なショックを受けたようです。
でも、考えてみれば、これは決して驚くには当たらないことなのかもしれません。
だって、ご存じのように、現総裁は「聖経は補強されなければならない」として、自ら「讃歌経本」を作成したわけです。
尊師に天降った「聖経」を、どうして〝補強〟し得るのか…。
尊師よりも、自分の方が上だと思わないのでは、とても為しえる所業ではありません。
同様に、聖典を絶版できるのも、神様を取り替え得るのも、「實相」額の前に〝モノ〟をおけるのも、これらすべて、生長の家の創始者よりも自分の方が上だと思っている、その何よりの証左とは言えないでしょうか。
そういう所業を度々、見せつけられれば、信徒としても、尊師よりも雅宣先生の方が上なのだと見ないことには、とてもついてはいけない…。
それこそ、「総裁先生に中心帰一せよ」とは、換言すれば「雅宣先生が尊師よりも上」と同義である…。
そう、信徒が受け止めたとしても何ら不思議はありません。
だからこそ、「讃歌経本」を堂々と読むこともできるのだと思うのです。
「雅宣先生は尊師のお孫さまだから」ということ以上に、今や、信徒は、尊師よりも雅宣先生の方が上だと信じ込んでいる…。
それが、今回、はからずも知人とのやりとりの中で浮かび上がってきた…。
もはや、これでは、現教団の中にあって、尊師に帰れ!と叫んでも、時既に遅し、そんな気がしております。
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