《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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映画「ONODA 一万夜を越えて」を見てきました… (13754)
日時:2021年10月09日 (土) 14時00分
名前:破邪顕正


最初、上映時間が3時間と聞いたときは、長いなと思いましたが、実際、見てみたら、アッという間の3時間でした。

カンヌ国際映画祭でのワールドプレミア上映で、約15分もの、スタンディングオベーションが会場を包んだというのも、なるほどと頷けました。

ほとんど日本語の作品なのに、それがフランス人監督・脚本によるものというのも驚きでした。

映画のワンシーンに、陸軍中野学校で「佐渡おけさ」を歌う箇所が出てきます。

日本人だからこそ、そこにある重要なメッセージを理解することができると思うのですが、それをよくフランス人監督が描ききったものだと感嘆しきりでした。

映画を見て、心に響いたのは、小野田少尉が次から次と死んでいく仲間を「いつまでも忘れない。」と回想するシーンです。

翻って、今の私たちはどうでしょうか。

靖国の英霊のことを忘れてしまっているのではないでしょうか。

今回の総裁選でも、靖国神社に詣でると言い切ったのは、高市候補のみでした。

日本に帰還された小野田少尉が、何故、ブラジルに渡られたか。

日本の現状を目の当たりにして、「一億総裏切りではありませんか。そういう国には住めない」

自分が生きていた時との余りの違いに、小野田少尉は、今の日本は狂っている、そこまで歎かれたのでした。

ブラジルに渡って、そこで生長の家の信徒さんたちと出会われます。

それがご縁で、生長の家の「相愛会全国大会」でお話をしてくださったこともありました。

この映画を見て、在りし日の小野田少尉を思い起こし、とにかく、日本国民が、靖国の英霊を「決して忘れない」そういう日を取り戻すこと、それがせめてもの小野田少尉への慰霊になるのではないかと思った次第です。


追記 (13755)
日時:2021年10月09日 (土) 14時37分
名前:破邪顕正


小野田少尉のことで、忘れてはならないのが、「日本会議」の活動にご協力、ご尽力くださったことです。

戦後の日本が、全部が全部、靖国の英霊のことを忘れ去ったわけではない…。

「日本会議」という組織があったことは、小野田少尉にとって心安らぐものではなかったでしょうか。

小野田少尉の奥様は、「日本会議」の「女性の会」の会長まで拝命なされたと伺っております。

毎年、8月15日には、靖国神社で「戦没者追悼中央国民集会」が開催されています。

こういう運動が、今回の総裁選でも力を見せた保守本流を下支えしてきたことは間違いありません。

その淵源を辿れば、尊師がその結成にご尽力された「日本を守る会」にゆきつくわけです。

護国の英霊が、必ずや祖国日本を神界より、お護り、お導き下さるものと堅く信ずるものであります。

小野田寛郎さんが遺した言葉 (13766)
日時:2021年10月18日 (月) 08時38分
名前:破邪顕正


22歳でフィリピン・ルバング島に行った小野田少尉は、次から次と部下や仲間を失って、その後は、ずっと一人だけの島暮らしが続きます。

帰国後、「その孤独にどうやって耐え抜いたのですか」と訊ねられて、小野田さんはこう語っています。

〈一人になったからといって昔を懐かしんでは、かえって気が滅入るだけですから、一人の利点、それを考えればいいんです。一人の方がこういう利点があるんだ。それをフルに発揮するように考えていれば、昔を懐かしんでいる暇もなかったです。〉

常に利点だけを見ていく。

これが逆境を生き抜く秘訣なのだと思いました。

これで教えられたこと。

それは、どんなときでも、どんな環境でも、どんな運命にあっても、必ず、利点、善い面はあるということ。

小野田さんは、後に「生長の家」の御教えと出会うことになるわけですが、利点のみを見ていくという、この考え方が、常に光明面を見よ、という教えに合致、共感されたのではないのか、そう思った次第です。


〝国の恩に報ゆる勉め〟 (13767)
日時:2021年10月19日 (火) 09時50分
名前:破邪顕正


表題は、今年、結成50周年を迎える「日本青年協議会」が、40周年を迎えたときに、小野田さんが寄稿されたものです。

〈結成以来四十年、敗戦後の我が国の行方を危惧し結成されてより今日まで、国の誇りを保たんと、偸安(とうあん)に傾く社会に敢然と奮起せられた多くの方々の御苦労御苦心に対し、深い敬意と感謝の意を表します。
 過ぐる日、私は士官学校在学中の兄弟と密かに『汨羅の淵に波騒ぎ…』と又、『天の怒りか地の声かそも啻(ただ)ならぬ響あり』と歌い、後に徴兵により軍人となり戦闘に従事しました。
 明治天皇は軍人に『概そ生を我が国に享くる者誰かは国に報ゆるの心無かるべき』と仰せられ又『義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ』と諭されました。
 軍人に非ずとも、この国に日本人として生れた者は国の恩に報ゆることは当然の勉めである筈でありますが、これを忘れ去っている獣の如き人非人の多く存在する憂うべき現況でありますが、今次の災害は何か往時を思わせます。
 気は逸(はや)れども体意の如くならず残念ながら若き諸君にその活動をお願いする腑甲斐なさを噛みしめています。宜敷お願いします。
 諸君の御健闘と御多幸をお祈りします。〉

文中にある言葉について、少し説明させていただきます。

〈汨羅の淵に波騒ぎ…〉

〈天の怒りか地の声かそも啻(ただ)ならぬ響あり〉

これは「青年日本の歌(昭和維新の歌)」にある歌詞の一節です。

「汨羅の淵」というのは、中国の戦国時代の政治家・詩人である屈原が、秦の張儀の謀略を見抜いて、それに踊らされようとする懐王を必死で諫めるものの、懐王はそれを受け入れず、ために屈原は楚の将来に絶望して入水した…、そこの場所のことです。

〈概そ生を我が国に享くる者誰かは国に報ゆるの心無かるべき〉

〈義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ〉

この二つとも、「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」所謂「軍人勅諭」にあるものです。

小野田さんが、どうして、こういうことを書かれたのか。

「獣の如き人非人の多く存在する憂うべき現況」にあっては、自分を支えた精神をいくら語っても伝わらない…。

しかし、この「日本青年協議会」の青年諸君には伝わる、わかってもらえる…。

そう思われたからではないでしょうか…。

〝国の恩に報ゆる勉め〟

私も、その勉めを果たすために、尊師のお心、お志を後世に伝え抜いていきたいと思います。

それが何よりも、〝国の恩に報ゆる〟道であると信じて…。





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