「トキ」さんには悪いですが、もはや組織に留まっていても〝ナスすべナシ〟ではないでしょうか… (13690) |
- 日時:2021年09月01日 (水) 08時50分
名前:破邪顕正
表題は、「トキ」さんの以下の投稿を読んでの感想です。
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ナス (43679) 日時:2021年09月01日 (水) 01時10分 名前:トキ
現在、生長の家本部は、本来の使命を忘れて、農作業を推奨したりしております。
ある日、そのような理由で植えられた茄子が暑さで枯れてしまいました。もう引っこ抜こうと言う声が出ましたが、哀れに思って、そのまま他の農作物と同様に水を与え続けました。
ところが、ある日、枯れたと思った茄子が、新芽を出し、それがどんどん大きくなって、また昔のように青々とした葉っぱを繁らせました。
これを見て、感じたのは、生長の家も、今は惨憺たる姿を見せているが、目に見えないところで生命は息づいており、やがて新芽を出して再生するだろう、と言うことです。率直に言って、こうなったのは、現在の総裁だけが悪いのではなくて、色々とおかしな垢が組織にはびこり、いつの間にか職員が使命感を忘れて、「生業」となってしまい、神様の御心から外れたからであると拝察しております。そう言う垢を全部、この際に削ぎ落とすことが大事だと感じます。間も無く、組織は、息詰まるでしょうが、そこから新生するのであります。
今は、総裁がやることでも、間違いは間違いですから、そんなことに従うことなく、自分の信仰に従って、正しく生きることが大事だと思う次第です。
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「トキ」さんとしては、組織に残る〝大義〟を「ナス」の再生をもって説明しようとしたのだと私なりに解します。
結局、組織に残り続けて、いずれは再生するからと、それを頑なに信じつづけて、〝正しく生きる〟よう心がけましょう…。
従来からの「トキ」さんの持論である〝待つべし〟論の、これは焼き直しと見ました。
しかし、このたとえには重大な勘違い、見落としがあると私は思います。
それについて、私の思うところを書いておきます。
まず、ここに言う「茄子」の再生は、なぜ成ったのでしょうか。
なるほど「茄子」は一見、枯れたように見えるけれども、しかし、その根は死んでいなかった…。
眼に見えない部分の根が生きていたからこそ、再生したのだと思うのです。
問題は、現教団に、果たしてここにいうところの根が生きているのか。
折角ですから、判りやすく、この「茄子」を引き合いにして、現総裁が〝確信犯〟であるということの意味をお話してまいりましょう。
私の見るところ、現総裁は生来の「茄子」嫌いだった…。
しかし、後を継ぐには「茄子」嫌いを表明することは憚られる…。
もし、「茄子」嫌いということが判れば、ひょっとすると血縁者による集団指導体制ということにもなりかねない…。
現総裁にとっては、それは何としても避けなければならないことであった…。
であれば、ここしばらくは辛抱のしどころである…。
しかし、その辛抱にも限界がある…。
そこで、しびれを切らした現総裁は、跡目が自分であるよう、強硬手段に打って出て、そして見事、その賭けに勝った…。
三代目であることが確定したら、もはや何も恐れるものはない…。
ということで、後は一瀉千里。
もう誰憚ること無く「茄子」嫌いであることを隠そうともしなくなり、自分の本当に好きなものは「赤ピーマン」だったのだと表白し、それのみならず、信徒にも「赤ピーマン」を食するよう強要しはじめた。
それが現教団の実状ではないのか…。
何を申し上げたいか。
もはや、現教団には、残念ながら「茄子」の根は、根こそぎ掘り返されてもはや無いということなのです。
それは、かつて本部会館があった原宿の跡地を見れば明らかでしょう。 〝確信犯〟である現総裁は、そこまで見越して、原宿から八ヶ岳へと本部を移転し、それまでの「茄子」に取って代わるものとして「赤ピーマン」を植えるように奨励したのです。
「茄子」の根がないのに、どうしてそこに「茄子」が再生しえましょうか。
ここに言う根とは、言うまでもなく「理念」のことです。
もはや、現教団には、尊師のお説きになられた「理念」は無い!
神様を取り替え、「聖経」を完全無視するようになったら、そう言われても致し方ないでしょう…。
で、『生命の實相』はこういわけです。
《理想--理念を失ったものは、すでに内容のない形骸ばかりのものになっているのだから、今はまだ生き生きしていようとも、それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはないのである。どんなに小さくとも生ける理念を内部に失わないものは、時期が来れば生長するほかはないのである。それは生命の種子であり、機会ごとに伸びるのだ。》(『生命の實相』第38巻12~13頁)
「トキ」さんは、まだ現教団に「茄子」の根は生きていると思って、残る意味があるというわけですが、私はその根は既に〝断ち切られた〟と見ている…。
そこに自ずと立ち位置の違いが出て来る、そう思うものであります。
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