《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「保守」という尊師の教えから、「夫婦別姓」について考えてみます (13229)
日時:2021年02月08日 (月) 13時05分
名前:破邪顕正


先頃、政治問題化した「夫婦別性」に関して、悲しいことに、自民党内からも賛成議員が生まれました。

これで果たして「保守党」と言えるのか、本当に残念でなりませんでした。

しかし、それでも、辛うじて、自民党の心ある議員の方々のご尽力で、今回はそれを阻止することができました。

ご存じのように、現教団は「与党支持せず」の立場を鮮明にしていますが、であれば、結果的に、現教団は「夫婦別性」を容認するということになるほかはありません。

野党は、その推進側にあるからです。

そこで、この「夫婦別姓」の問題についても、尊師の「保守」の教えからして、果たして容認し得るのかどうか、それを考えてみたいと思います。

『光の泉』誌・昭和38年新年号に、「正月の餅飾りの意義を語る」と題する御文章があります。

その中で、伊勢海老について、尊師は、こうお示しくださっています。

《…伊勢海老は何を象徴するかと言いますと、海老は「海老(かいろう)」と書いて「偕老同穴」の「偕老」と発音が同じであります。すなわち「偕老同穴」を象徴したのであります。偕老同穴というのは、夫婦が仲良く偕に老いて、死に到る迄一体であるということでありまして、新年の決意としましては先ず自己の生命の本源が神から来たり、代々の祖先を通じて神の子として誕生し、そこに夫婦の因縁を結んだならば、共白髪に到る迄、仲良く生活しようとの決意を為す事であります。》

〝死に到る迄一体である〟というお言葉からして、「夫婦別姓」はあり得ないと解するのが当然でありましょう。

「夫婦別姓」ということは、結婚した、その端っから、一緒の墓には入りません…。

そう宣言するも同然のことではないかと思うからです。

また、鏡餅についても、尊師はこう仰っています。

《…鏡餅とは、心の鏡とする餅と云うことであります。これは上も下もまん丸くなっているのであります。上も下もまん丸くなるには、お米のままや御飯粒のままではまん丸くならないのでありまして、自分という個々別々の粒を潰して、自我を主張する事なしに全体につながらなければなりません。バラバラの御飯粒のままでおりますと、それは腐りが早いのでありますが、一粒一粒という自分というものが無くなって、餅という形に団結致しますと、中々腐らない、もち(保存)が良いのであります。それで「餅」というのであります。我々善人はもっと団結して、善を進め、愛行をつくして行こうと決意しなければなりません。》

「夫婦別姓」を主張する方は、ここに言われる〝自我を主張する事〟の意思表明のように思えてなりません。

それでは〝まん丸くならない〟ということになりはしませんでしょうか…。

ここでも「夫婦別姓」はあり得ないということになると思われます。

更に続けて、尊師はこうも仰います。

《又、この餅はどうして出来るかと考えてみますと、陰陽の調和に依って出来るのであります。先ずお米を洗って一昼夜程水に漬けて置きます。あまり長時間水に漬けても、あまり短時間でもいけないのであります。水は陰陽で謂えば「陰」で、女性であります。その水に漬けて置いたのを蒸篭(せいろ)に入れて水平にならし、それをお釜の上に置いて下から火を燃やすのでありますが「火」は陰陽で謂えば「陽」で、男性であります。女性は水平に横たわって男性なる火がそれを縦に貫ぬくのであります。その陰陽の結合を「結び」と申します。その「むすび」の結果、美味しい「うまし」という味が出て来るのであります。
 日本の古典の『古事記』に於いては高御産巣日神、神産巣日神の次に宇麻志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこじのかみ)と称する神が生れて来ております。すべて陰陽の「むすび」によって「うまし」という味が出て来るのであります。これが宇麻志阿斯訶備比古遲神であります。陰陽を愛によってむすぶという事が大切であります。》

ご存じのように、現教団は「造化の三神」を合祀しました。

その理由として〝むすび〟が大事だからと申しました。

〝陰陽を愛によってむすぶ〟

結ばれたら一つになります。

陰と陽とは別々というのが「夫婦別姓」の考え方でしょう。

ということは、「造化の三神」を合祀した現教団は、当然、「夫婦別姓」には反対という立場をとらなくてはならないのではないでしょうか。

今度は、ぜひ、谷口雅宣総裁には、〝「夫婦別性」に断乎、反対します〟という「意見広告」を出していただきたいと思う次第です。


「霊々妙々 夫婦の縁(えにし) 一霊同魂なり」 (13233)
日時:2021年02月09日 (火) 12時34分
名前:破邪顕正


表題は、尊師が結婚する職員のために贈られたお言葉だと伺っております。

「一霊同魂」であれば当然、「夫婦別姓」はあり得ないというのが御教えの立場だということになります。

「正月の餅飾りの意義を語る」で、尊師は、最後をこう結ばれています。

《夫婦、陰陽、天と地、周囲と中心は本来一体であり、本来一体であるものが陰陽にわかれて各々のわけ前を受持つ事によって生命が産み出され、家庭が調和し、子供が生長するのであります。どちらも持ちつ持たれつであります。だから家長たる良人も決して家族に横柄に暴君振りを発揮することが中心たる役目を果すことではないのでありまして、中心は周辺を拝み、周辺は中心を拝むことによって天地自然の法則に叶い、家庭は調和し、国家は興隆するのであります。鏡餅に私達の新らしき年の希望の象徴を見て、鏡餅の如き円満な家庭を築き、健全な国家の基礎たらんことを期待しつつ、皆さんに対して祝福の祝いの言葉を送らして頂きました。皆さん、有難うございました。》

よく言われますように「夫婦別性」とは「親子別性」に他なりません。

子ども達が、どちらの姓を名乗るのか。

それで揉めてどうするのですか。

普通に考えても、わざわざ、家庭争議の種を持ち込まなくてもいいと思うのですが…。

結局、こう考えていくと、「家」というものを個々バラバラに解体してしまおうというのが、「夫婦別姓」の背景にある考えのような気がしてなりません。

「家」の解体から「国家」の解体へ。

それが「夫婦別性」を画策する人達の、隠された〝本音〟ではないのか、そこまで勘ぐってしまいます。

尊師は〝家庭は調和し、国家は興隆する〟とお諭しくださいました。

その教えからして、やはり「夫婦別姓」を容認してはならないと思うものであります。




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