『白鳩』誌・2月号を読んで、これだけは、白鳩会総裁に申し上げたいこと (13183) |
- 日時:2021年01月26日 (火) 15時00分
名前:破邪顕正
白鳩会総裁の言わんとすることを、私なりに、一言で要約するならば、たとえ、6名が、菅首相にとって受け容れがたい左翼的言辞をとっていたとしても、言論の自由、思想信条の自由の見地からして、公的立場から排除してはならない、ということに尽きると思います。
だったら、白鳩会総裁には、以下の2点について、私なりに物申さざるをえません。
@白鳩会総裁は、谷口雅宣総裁が強行した『聖典』の絶版、及び、愛国者を現教団から排除したことを合わせて非難すべきではありませんか?
よし、百歩譲って、白鳩会総裁の主張を了としましょう。
だったら、同じ理由をもって、白鳩会総裁は、谷口雅宣総裁がやったことを非難しなければなりません。
尊師の『聖典』を絶版することは、それこそ、検閲そのものであり、言論の自由に根本から抵触するものであると思われるからです。
更に、現総裁は、尊師を心からお慕いし、「天皇国・日本」の喜びに生きる愛国者を次から次へと左遷したり、退職へと追い込んだり、事実上の排除に動いてきました。
当然、これなどは、菅首相と同じ権力者≠フ「横暴」と言っていいのではありませんか。
果たして、白鳩会総裁は、菅首相を難ずる論理をもって現総裁を批判の俎上に上せたことがあったでしょうか。
それどころか、逆に、現総裁と一緒になって、排除に動いて来たのではありませんか。
つまり、白鳩会総裁の言っていることは論理矛盾、紛う方無き、典型的なダブルスタンダードというほかはありません。
だって、菅首相がやっていることは許せないが、しかし、現総裁のそれは許すというのですから…。
現総裁と全く同じ、左翼の言論の自由は大事だが、愛国のそれは排除されてもよい…。
そういう考え方が果たして通るのでありましょうか。
A白鳩会総裁は、いつから加藤陽子教徒≠ノなったのですか?「生長の家白鳩会総裁」というのであれば、まずは、その創始者の尊師の教えを信徒に弘めるのが先決なのではありませんか?
白鳩会総裁は、自分の立場を少しも理解してはいません。
これは大事なことなので、はっきりと申し上げますが、「生長の家白鳩会総裁」それが貴女の立場なのではありませんか。
そうであれば、まずは、尊師の御教えを弘めることが何よりも優先されるべきことなのではありませんか。
それなのに、どうして、加藤陽子さんの本を紹介するのですか。
率直に申し上げて、尊師・谷口雅春先生の歴史観、具体的に言えば、大東亜戦争史観と、加藤陽子さんのそれとは相容れません。
ところが、白鳩会総裁は、ここで加藤陽子さんのそれを推奨しているわけです。
ということは、尊師のそれは完全に否定されているということを意味します。
だったら、「生長の家白鳩会総裁」の名称は返上するのがスジというものではありませんか。
尊師を否定して、それで「生長の家白鳩会総裁」を名乗るというのは、どう考えても自己矛盾、自己否定にしかならないと思うからです。
「生長の家白鳩会総裁」ではなく、私は加藤陽子教徒≠ニして書いていますという断り書きがあればまだしも、件の『白鳩』誌・2月号の肩書きを見たら、ちゃんと「生長の家白鳩会総裁」と記してあるではありませんか。
「生長の家」の看板を出して、加藤陽子さんの左翼思想を弘めるというのは、一体、どういう了見なのか。
その有りように、根本的な疑義を感じてしまうのは、決して私だけではないと思います。
それだったら、はっきりと「生長の家」という看板を外してほしい。
その方が、総裁夫妻にとって何の縛りもなくて自由になるし、信徒にとっても様々な苦しみから解放されて助かる…。
それが双方にとって、最もいい道だと思う次第です。
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