〝雅宣教団〟の誕生記念として出版されたのが会員必携『〝新しい文明〟を築こう』である?! (12967) |
- 日時:2020年12月30日 (水) 11時39分
名前:破邪顕正
〝雅宣教団〟の誕生を記念して出版されたのが、会員必携『〝新しい文明〟を築こう』であると私は思っています。
この本の本質を一言にしていうならば、谷口雅宣総裁が自己正当化するために作り上げた〝フェイクヒストリー〟に他ならない…。
そして、その出発点としてあったのが実は「生政連」の〝解散〟にあった…。
谷口雅宣総裁が、あの悪名高き『日本会議の研究』を聖典扱いしたのも、その根底には、「生政連」の〝解散〟問題があった…。
こういうことです。
谷口雅宣総裁にしてみれば、「生政連」を潰して愛国運動と縁が切れたと思っていたのに、名を変え、所を変えて、今度は「日本会議」というところで、愛国信徒がしぶとく生き残っていた…。
生き残っているばかりか、あの、にっくき安倍前政権の中枢にまで食い込んでいた…。
左翼・谷口雅宣総裁にしてみたら、これは断じて許されざることとして映ったと思うのです。
であれば、もう一度、「生政連」を〝解散〟に追い込んだように、今度は「日本会議」を潰してみせる…。
その思いが、菅野完氏をしてあの『日本会議の研究』を書かしめ(少なくとも教団本部からの資料提供なくしては書き得ない本であることは間違いありませんから)、聖典扱いにまでした、本当の、本音の理由ではなかったか。
そう思うと、谷口雅宣総裁の根っこにある、この「生政連」の〝解散〟問題をきちんと押さえておく必要がある…。
果たして、「生政連」の〝解散〟は、谷口雅宣総裁が言うような歴史、即ちそれを善とするような、一方的な見方で簡単に済ませていいものなのかどうか…。
谷口雅宣総裁の言い分をそのまま信徒が鵜呑みにして洗脳されないためにも、ここできちんと総括しておく必要がある…。
その意味で、「生政連」の〝解散〟問題は、今の教団の有りようにも繋がる重要な問題だと私は思っています。
まず、これについて、信徒が絶対に忘れてならないことは、「生政連」は、他ならぬ尊師・谷口雅春先生の願いから生まれたということです。
尊師のご悲願を達成するためには、どうしても政治の世界に進出する必要がある…。
尊師のその切実な、強いお気持ちがわかっていたからこそ、信徒はそれこそ本気になって献身的に頑張ったのです。
そうでなければ、100万票を超えるような得票数が生まれるはずもありません。
ですから、尊師が、生政連の一時的な活動停止に同意なされることはあっても、その〝解散〟にまで同意されるということはあり得ないことなのです。
そもそも「生政連」の〝解散〟とは、具体的に言えば「生長の家として選挙運動はしない」そういうことでした。
ところが、谷口雅宣総裁は、「生政連」の〝解散〟をもって、愛国運動をしない…。
そればかりか、愛国の思想を説くこともしない、そういう方向へと強引にねじ曲げていったのです。
愛国『聖典』の絶版から、愛国講話の禁止へ、そして神様の取り替えへと(=「鎮護国家」の廃止)、それはどんどんエスカレートしていきました。
今にして思うのは、『国のいのち 人のいのち』が何故、絶版になったのか。
左翼・谷口雅宣総裁にしてみもれば、その「はしがき」からして気に入らなかった…。
そこに、こうあるからです。
《生長の家が愛国運動の中心として活躍していることは今や周知のことだが、それは決して近年に始まったことではない。そもそも生長の家の発祥が、兵庫県住吉村八甲田に住んでいた私が、毎朝からだを禊してから近くの本住吉神社にお参りし、日本国の隆昌と皇室の弥栄のために祈っていたとき、霊感を頂いたところにあるのである。そして昭和八年、東京における第一回講演会の演題が「中心(すめろぎ)に帰一する道」であり、東京に本部道場が開設されて最初の十日間の講習会で連日『古事記』『日本書紀』に基づく日本の話をし、現世利益・病気治しの話を第一義に期待し求めて来た受講者が驚嘆したものである。》
つまり、谷口雅宣総裁にしてみれば、生長の家が〝愛国運動の中心〟と言われることが最も嫌悪すべき、忌避したいこととしてあった…。
率直に言わせていただけば、そのためにこそ、谷口雅宣総裁は、教団に乗り込んできたのではないのか…。
そこで、谷口雅宣総裁が意図して用いたのが「かつての愛国運動は冷戦時代の産物としてあった」という論法なのです。
それを如実に物語るのが、『〝新しい文明〟を築こう(上巻)』の中にある〝冷戦の時代〟という見出しに他なりません(29頁)。
谷口雅宣総裁は、ここで、尊師の「明治憲法復原の宣言」も「東西対立」(『前掲書』30頁)への危機感から生まれたものと規定します。
で、その「冷戦」が終焉したのであってみれば当然、愛国運動の時代も終わる…。
それが『前掲書』の中の〝冷戦終結とグローバル化の進展〟です(40頁)
とにかく、谷口雅宣総裁は、時代が変われば教えが変わるのは当然という論法で、尊師の愛国の教えを「冷戦」の産物として過去の世界に封じ込めることにしたのです。
それを正当化するために用いたのが〝今の教え〟という表現でした。
よし、それを百歩譲って容認するとして、だったら、今、どうですか。
この度のコロナ禍によって、世界は「ポスト〝冷戦終結とグローバル化の進展〟」、即ち「米中熱戦とグローバル化の終焉」という時代に突入したのではありませんか。
谷口雅宣総裁の言う〝今の教え〟は、コロナ禍によって、完全に〝過去の教え〟に変わってしまったのです。
結局、「真理」を時代の産物と規定したこと、そのこと自体が、谷口雅宣総裁の犯した大きな過ちだったのです。
尊師の愛国の教えを嫌悪するの余り、谷口雅宣総裁は、却って時代に取り残されてしまった…。
その時代遅れの産物が今回の〝フェイクヒストリー〟であったということです。
確かに、「生政連」は歴史として〝解散〟の憂き目に遭いました。
しかしながら、その精神は、心ある者の中に赫赫として燃え続けております。
尊師の願いから生まれた「生政連」だからこそ、その志の火を断じて消してはならない、私はそう思っています。
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