《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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道を求むる熱き心 (12632)
日時:2020年09月18日 (金) 18時06分
名前:下総の野人

宇治のFBに掲載された榎本一子先生のご文章を紹介させて頂きます。昔はすごかったんだなぁと感心感動しました。


《今から70年も前のこと、
両親が生長の家の御教えにご縁を得て
2、3年経った頃
私達家族は父親の転勤で
山口県の厚狭という街に住んでいました。
終戦間もない昭和23年頃で食料も十分でなく
東京から本部講師の先生に来て頂くことになると、
我が家は講演会場になり、旅館もないので
先生のお宿にもなるという父もさることながら、
母の負担は如何ばかりであったか…
と今にして思います。
でも母は負担に思うどころか、
その準備とお世話に、いそいそと生き生きと
立ち働いていました。
先生に召し上がって頂く魚が手に入った!
これは奇跡!とばかりに
喜んでいた母を思い出します。
隣町の小野田という所では
もっと大きな講演会が催されると両親は
夜の部のお話を聴くため、
汽車で夕方から出かけるのです。
当時は講演が終わるのは10時、
帰りの汽車はもうないので、
相当の距離を歩いて帰ってくるのです。
夜道、道に迷わずに帰るには、鉄道線路を
歩いてくるのが最良と思い付いたらしく、
その方法で、
懐中電灯を頼りに帰ってきていました。
家に帰り着くのは午前2時、3時、
父と母と同じ街の熱心な2、3人の人と、
帰りはさっきまで聴いていた真理のお話に
感激し、興奮して、口々に歓びを語り、
意気揚々と真っ暗な線路を
歩いて帰ってきたようでした。
小学校3、4年生の私でしたが、
両親のその様子と話を聴いて
「身体は大変でも、楽しくて嬉しい事ってあるんだ」
と思ったことを、今もハッキリ覚えています。》



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