《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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今日(6月17日)は尊師谷口雅春先生の35年祭の日です (12205)
日時:2020年06月17日 (水) 08時15分
名前:破邪顕正

尊師が神去りました、午前7時53分、心浄めて黙祷を捧げさせていただきました。

この日は、私にとりまして、誓いを新たにする特別の日でもあります。

尊師いませばこそのわが人生であるからです。

そして、これまではずっと申し訳ないと思うばかりの、歯がゆい思いがこみあげるばかりの日々でした。

大恩を受けながら、恩返しの日々を送ると決意しながら、尊師にお喜びいただける人生を送ると誓いながら、少しもそれが出来ていない…。

本当に辛い、悔しい思いの連続でした。

そういう35年間を振り返って、しかし、今日ほど、喜びいっぱいで、こんな清々しい気持ちで年祭を迎えることができたことはなかったのではないのか、そんな思いが募ってまいります。

そうです、初めて、宗教法人を取得しての年祭を執り行えるからです。

しかも、その報告が来たのが3月2日(月)なのです。

折しも、今年は、「生長の家」が創立してちょうど90年。

その節目の年の立教記念日の次の日に、宗教法人取得の朗報が届いたのです。

何か、尊師から、私どもに教えのバトンは托したぞと仰って下さっているような感動を覚えました。

ご存じのように、教団はあからさまな御教え否定をここにきて加速させてきています。

先の「通達」と言い、今回の『“新しい文明”を築こう』の出版と言い、尊師の御教えを無みするも同然のことを信徒に無理強いしています。

もはや、生長の家教団には、尊師のご精神は受け継がれていない…。

はっきりと、そう断定してもいい惨状を呈しているわけです。

そういうときに、私どもが宗教法人の資格を得たということは、決して偶然ではありません。

住吉大神のお導き、尊師・谷口雅春先生のご守護あってのこととしか思えないのです。

だからこそ、尊師の本当の教え、本来の教えは、宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」にバトンタッチされた…。

そう確信できるのです。

この大いなる喜びのなか、本日の35年祭に臨んでまいりたいと思っております。

今日の日を、尊師の教えを護り抜く、その決意と覚悟を固める、そういう尊い一日にしていただければこれにすぐるよろこびはありません。



「七つの光明宣言」・「人類光明化運動発信宣言」『生命の實相』も掲げない、会員必携と称する新刊本は、谷口雅春先生の御教えを「顴骨奪胎」したものである (12208)
日時:2020年06月17日 (水) 09時29分
名前:毘沙門天

本日、尊師谷口雅春先生の三十五年祭に迎えるにあたり、謹んで谷口先生のご慈導に厚く感謝を捧げさせて頂きます。

 ところで「換骨奪胎」という語があるが、この新しい会員必携と呼ばれる本の目次を見て、その言葉を思い出した。
以前の信徒必携『新編 聖光録』と今回の教団が出版した会員必携と銘打った『新しい文明を築こう』上巻 基礎篇「運動の基礎」を比すと、後半は神示を25あげて、なるべく似ているようにしようと編集されているが、肝心なことがあまりにも削除・消滅させられているということがよくわかる。
 つまり、「七つの光明宣言」・「人類光明化運動発信宣言」も掲げず「聖経」も「聖典」にも触れず、「生長の家大神・住吉大神」にも触れず、「実相」や「神想観」とは何か、念ずる言葉も紹介せず、ということも流してしまって、今行っているのが生長の家の御教えや運動だと説くのは肝心なことを伝えていないということである。

 この書には、これまでの信徒必携書であった『新編 聖光録』に収録されていた「生長の家の人類光明化運動」推進の大きな鍵であった尊師谷口雅春先生の御言葉の数々が、削除されたり軽んずる扱いをしていることがよく分かる。以下、列挙する。(数えた数は多少の間違いがあるかも知れないが、ご容赦の程)

1.「今立て!」の神啓を受けられ、尊師が発行された『生長の家』誌創刊号の裏表紙に掲げられた「生長の家の宣言(6つ)」後の『生命の實相』総説篇の冒頭「生長の家七つの光明宣言」が削除されている。
2.『生長の家』誌創刊号冒頭の「人類光明化運動発進宣言」(「生長の家」出現の精神とその事業)も削除。
3.『聖経』の文字が見られるのはわずか4箇所、『聖典』という言葉に至って は一箇所も無し、さらに『神想観』について同書に収録された神示2つに入るものを除けばたった4箇所しかない。
4.さらに「『生長の家』家族の祈願及び修養」「人類光明化運動のパテントは諸君に譲られた」も削除。
5.『人類光明化運動』という言葉についてもわずか6箇所のみ。しかもどれも光明化運動とは何かの詳しい説明はない。
6.『住吉大神』という語句もたった3箇所。詳しい説明はない。
7.聖典『生命の實相』についての記述は、同書に収録された3つの神示に見られる4箇所を除けば本文中たった1箇所だけ。
8.「神想観」も同様に収録された神示に出てくる2箇所を除けば4箇所のみ。しかも神想観の説明は何もない。新編聖光録には、丁寧に「神想観実修法」から各種神 想観18種ほど念ずる言葉が丁寧に紹介され、日々の信徒・会員の実践には大きな 助けとなっていた。さらに「浄心行実修法」、「祈り合いの神想観実修法」も「実相円満誦行実修法」等々も紹介されていない。
9.「日本国實相顕現運動」という言葉はどこに見当たらない。
10.「三正行」ということも一字もない。「聖典・聖経の拝読、神想観、愛行」の実践ということを重んじていないことが如実に分かる。

   以上のことから、今回の会員必携書が、創始者・谷口雅春先生創始の教義(み教え)・谷口清超先生が監修された『新編聖光録』からどれほどかけ離れた形で編集されているのである。これまで数えきられない人々を救いを生み出した信仰の根幹となる宗教行の実修等を紹介せずして、どうしてこの書が「運動の基礎」と言えるのかと痛切に感じざるを得ない。
 この書のはじめに「立教から国際平和信仰運動までの歴史概観」などと書き立てても、上記のことに触れずして、その運動の歴史を本当に正しく書くことはできないことは明らかである。むしろ、上記の語句、その精神や由来に触れようとはしない強い反発・意図のあらわれであることが浮かんで来るのみである。
『三省堂新明解四字熟語辞典』の【換骨奪胎かんこつだったい】の説明には、「古人の詩文の表現や発想などを基にしながら、これに創意を加えて、自分独自の作品とすること。他人の詩文、また表現や着想などをうまく取り入れて自分のものを作り出すこと。骨を取り換え胎盤を奪い取って、自分のものとする意から。」とある。まさにこれにあたるのではないか。
 尊師谷口雅春先生が掲げられた救いの真理の灯火を守り続け、その灯を他の人たちに転じて自分自身が救われたことへのご恩返しに励まねばならないと、強く心固める次第である。

『“新しい文明”を築こう』は総裁が勝手につくりあげた“フェイクヒストリー”である… (12210)
日時:2020年06月17日 (水) 16時29分
名前:破邪顕正


「毘沙門天」さん、先には「托卵」、今回は「換骨奪胎」。

実に刺激的な、的確なご批評、心から感謝申し上げます。

最近、私は、麗澤大学・ジェイソン・モーガン准教授の「正論」(6月11日付け)の投稿“「フェイクヒストリー」にご用心”に大変、注目しています。

こういう書き出しです。

〈フェイク(偽)ニュースが最近注目されるようになってきているが、ずっと昔から、フェイクヒストリーがもっと大きな問題だ。あったことのない「過去」をでっち上げて国家の神話として政治家に利用されていた。〉

南京大虐殺に、従軍慰安婦…。

まさしく、「フェイクヒストリー」に他なりません。

で、モーガン氏はこう言います。

〈不思議なことに、フェイクヒストリーの方が世界で信じられていることが少なくない。事実による反論を怠れば、歴史をねじ曲げた嘘の宣伝が広がるのは慰安婦問題を例にしても分かる。

日本は、実証研究をもとにしたリアルヒストリーにかじを切っている。慰安婦問題では暴力によって無理やり女性を強制連行したなどと嘘の証言が、現代史家の調査などで否定された。一面的に日本を悪く描く「自虐史観」を見直す動きも進められてきた。

学校現場を支配していた日教組の力が和らぎ、昔の東大、京大などのリベラルやマルクス主義者の影響が弱くなって、健全な日本史が学校や大学で教えられるようになっている。

まだ足りない面はあるが、日本のまともな歴史家の取り組みは世界の模範にもなると思う。〉

これを読んで、私は、今回の『“新しい文明”を築こう』を、総裁が自己正当化するためにつくりあげた“フェイクヒストリー”に他ならない…。

そう指摘していこうと思うにいたりました。

総裁にとっては都合の悪い“事実”を、どんどんつきつけてくしかない…。

それが、尊師の教えを護り抜く力となる…。

心ある信徒を覚醒さすには、“事実”の重みを知らしめることである…。

その思いで、これからも大いに尽力してまいります。

「毘沙門天」さんのような方がいること、本当に心強いです。

ありがとうございました。


中島代表の献歌二首を拝して、改めて覚悟を固める… (12252)
日時:2020年06月23日 (火) 08時39分
名前:破邪顕正


6月17日、日本橋練成道場で、「尊師谷口雅春先生三十五年祭」を執り行わせていただきました。

席上、中島省治代表から二首が献歌されました。

何時(いつ)しかに師の享年(きょうねん)と重なりて
          かくてはならじとひたに畏(かしこ)む

師の悲願未だ実らじ三十五年
          師にまみゆるに顔(かんばせ)もなし


代表は来月7月12日、満92歳となられます。

使命を果たすために寿命を伸ばしてもらっているうちに、いつしか尊師を超える年齢となったという感慨、そして今後への決意を歌に詠まれたものと拝察いたします。

このままでは尊師に合わせる顔がないという、この代表の切々たる思い…。

これこそが、「谷口雅春先生を学ぶ会」の根本精神ではないのか…。

それを代表自らお示しくださった…。

そんな思いで、胸がいっぱいになりました。

思えば、それは尊師のご姿勢そのものでもありました。

『實相と現象』の「はしがき」にこうあるからです。

《神の言に接する毎に、私は畏れ平伏すのである。
そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些かの悔いることなく尽し得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。》

尊師にお会いしたとき、本当に恥ずかしくない自分でありたい…。

尊師の教えを護るために、こういう生き方を貫いてまいりました、そう報告できる自分でありたい…。

代表の献歌を拝して、改めてそう決意したことでした。

宗教法人を取得しての初めての三十五年祭、心に残る御祭りとなりました。



頭隠して尻隠さず! 谷口雅春先生の御言葉を削除しておきながら、その御言葉を都合よく利用する改竄会員必携本『新しい文明を築こう!』には注意を! (12256)
日時:2020年06月23日 (火) 18時54分
名前:毘沙門天

破邪顕正さま、12210の書き込みで「換骨奪胎」のことを言及いただき有り難うございました。

 改竄会員必携本『新しい文明を築こう!』の「第一章 運動の基礎」は「立教から国際平和信仰運動までの歴史概観」と題しての基調から始まっている。そこには教団が今進めようとしている運動を正当化するための言葉が40頁にわたって書き連ねられている。
 そしてこの「歴史概観」の文章の最後には「……私たち生長の家は、今こそ神意を正しく受け、神の子の英知と独創性を結集し、自然と人聞が共に栄える“新しい文明”の構築に向かって力強く進んでいかねばなりません。それこそが、創始者・谷口雅春先生が九十年前、人類光明化運動発進宣言の中に込められた精神の継承者となることです!!「自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなったのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。」と谷口雅春先生の御言葉をいきなり持ち出してきて締めくくっている。

 しかしながら先の(12208)で発言したとおり、この「人類光明化運動発進宣言」はこの新会員必携書に収録しなかった、削除された谷口雅春先生のご文章・神想観類の一つである。それにもかかわらず会員さんたちを揮い立たせるために、突然とってつけたように最後に持ち出してきたのは一体何だ!「頭隠して尻隠さず」という言葉があるが、とにかく“谷口雅春先生”を必要に貶めたり隠したり尊い御文章を切り刻んでおきながら、都合にあわせては「雅春先生」を持ち出して、信徒会員の心を動かそうとする魂胆。こんなご都合主義で編集された乱暴な「歴史概観」などはどれほどあやしいものか。よくよく注意して読むべし。



「毘沙門天」さんの仰る通り“頭隠して尻隠さず ”です。総裁の自己正当化のための本を決して傍観することは許されない… (12258)
日時:2020年06月24日 (水) 08時10分
名前:破邪顕正


投稿、誠にありがとうございました。

『“新しい文明”を築こう』が、教団の“正史”とされていくことに、それこそ居ても立ってもおられない思いで、私なりにその思いを綴っているわけですが、こうして共感してくださる方がいること、本当に有難い限りです。

「文は人なり」と言いますが、総裁がどういう人か。

〈とにかく“谷口雅春先生”を必要に貶めたり隠したり尊い御文章を切り刻んでおきながら、都合にあわせては「雅春先生」を持ち出して、信徒会員の心を動かそうとする魂胆〉

そういう魂胆の持ち主であることが、これによってはっきりしたのではないでしょうか。

私の知人は、この本の巻末にある“著者”というところを指さして、「これが総裁の本性だよ」と申しました。

そこには、こうありました。

〈谷口雅宣 谷口清超 谷口雅春〉

“自分が一番上”そういう潜在意識が、こういうところにも顔を覗かせるのでもありましょう。

神様だって、自分の都合のいいように取って替えて利用する総裁のことです。

尊師だって、或いは歴史だって、何だって、自分を正当化するために利用するということに、総裁は何のためらいもありはしないでしょう。

そういう中で、自分の出来ることは何か。

総裁の都合のいいように決して歴史を弄ばせてはならない…、それに尽きます。

そのためには、総裁が無視した、或いは意図的に曲解した、ねじ曲げた“事実”を掘り起こして、それを多くの方に知らせていくことである…。

そう思っている次第です。

思えば、この30余年、総裁の権力の前に、泣く泣く、自らの本心を韜晦せざるをえなかった方がたくさんおられます。

教団に残るということは、時として、自らの思いとは裏腹なことを言わせられる、書かされる、させられる…そういう苦渋の決断を迫られます。

そういうことに思いを致すことのできないような方が、かつての、その時々の言動を指して色々と指弾されるようなことがあります。

言いたい人には言わせておけばいい、それで気が済むのならば、どうぞご自由に…。

結局、そういうのは腹いせでしかない…。

そこから何か建設的なものが生まれるとは到底、思えないからです。

それより、大事なことは、今、何をしているのか。

私はそれに尽きると思っています。

今、教団と離れて、総裁の絶対権力に従わないでもいいという“自由”を得たことを、私は何よりの価値と思っています。

その“自由”を力にして、今度は所を変えて、総裁の絶対権力に真っ向から対峙していきたいと決意しております。

それは単なる“反権力”という、手垢にまみれた俗っぽい次元の思いからではありません。

総裁の権力の前に、尊師の本来の教えが“改竄”されようとしているからこそです。

これは実に人生を賭けるに値する使命そのものであると私は思っています。

同じ思いの同志がこうしてここにいる、こんなに嬉しいことはありません。

心から感謝申し上げる次第です。




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