生長の家は、何ものにも縛られない教えだから、かえって、謙虚さが求められる。 (12157) |
- 日時:2020年06月11日 (木) 22時20分
名前:そーれ!!
生長の家は、何ものにも縛られない自由な御教え。
だからこそ、そこには自己責任が存在すると
最近、つくずく思います。
私はお酒が大好きで、自己に宿る神に、
毎日、お神酒を捧げます。
でも、これは、妻への言い訳で、
毎日大量に飲み続けると、ヤバいです。
自由な御教えだからこそ、自己責任で、
やってはいけない事も、存在します。
神様には、謙虚でなければいけない。
例えば、雅宣さんの、親不孝。
駄経の制作、御祭神の取り換え、
更には反日の配信、お爺さまへの反逆等々。
雅宣さんは、御先祖の御徳で、
一見、安泰そうに見えますが、
法則も存在する現象界ですから・・・。
今夜も、そーれ!!の、
辛口ひとり言でございます。
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