| 総裁は「生長の家」が無くなってしまってもいいと思っている。サヨク勢力(総裁の思想性から私はそう判断していますが)にとっては、それは願ってもない朗報となるでしょうから… (12056) |
- 日時:2020年05月28日 (木) 14時17分
名前:破邪顕正
表題に掲げたことが、私の考えた第④の理由です。
「エッ」そんな馬鹿なことがあるか。
どうして、「生長の家」の総裁ともあろう人が、自分の基盤である「生長の家」がなくなっていいと考えるか、いいかげんなことを言うな、そういうお叱りを受けることを百も承知の上で、敢えて申し上げます。
結局、そういう反発をなさる方は、総裁が「生長の家」を自らの基盤と考えている…。
だから、その基盤を拡充したいと思うのが総裁としては当然のことではないか…。
そういうことを大前提にされていると思うのです。
もう、そこからして、谷口雅宣総裁という人を見間違えているのではないのか。
だって、考えてみてください。
総裁は、ずっと3代目になることを拒否していたのですよ。
つまり、成りたくて成ったのではない、これが出発点なのです。
その上で、3代目についたということは、私どもが考えているような教団愛に溢れているはずだという思い込み、先入観は、ひとまず外してかからねばならない、そう思うのです。
そして、何度も申し上げて恐縮ですが、〝暗黒の30年〟のその歴史を振り返ってみれば、総裁が「生長の家」に対して、どんな思いを抱いていたか、よく見えてまいります。
その上で、私なりに導きだしたのが今回の第④の理由ということで、これから、その論拠を提示してまいりたいと思います。
教勢が落ちる一途なのに、どうして、打開策を講じようとはしないのか。
実は、結論は明らかなのです。
尊師の教えに帰ろうとしないから、それに尽きるのです。
それでは、どうしてそうしようとはしないのでしょうか。
これまた、結論は明らかです。
総裁が、それを拒絶しているからなのです。
おそらく、そこまでは、多くの方から首肯していただけるのではないでしょうか。
問題はここからです。
それでは、どうして、総裁は尊師の教えに戻るのを拒絶するのか…。
この謎解きをするには、どうしても〝暗黒の30年史〟に立ち戻るしかないのです。
で、私の結論。
総裁は、尊師の教えに戻るぐらいならば、「生長の家」を解散したっていい、そこまで思っている…、そういうことなのです。
「生長の家」が解散して誰がよろこぶか…。
言うまでもなく、サヨク勢力です。
なんだかんだ言っても、戦後史において、「生長の家」は常に愛国運動の中心に存在していました。
だから、サヨク勢力にとって、「生長の家」はいつも邪魔な存在でしかありませんでした。
それが消えて無くなれば、彼らにとって、これほどの朗報はありません。
そのことは、総裁によって「生長の家」が左旋回したとき、どう評されたかを見れば明らかでしょう。
〝あの「生長の家」が〟
どうして〝あの〟がついたのでしょうか。
そうです、それほど「生長の家」とはサヨク勢力にとっては対極も対極、まさか、手を握り合う関係が生じようなどとは想像だにできないことだったのです。
総裁が教団に乗り込んできてからというもの、常に、一貫して狙っていたのも、実は、この一点ではなかったか…。
「生長の家」を愛国運動から手を引かせる。
手を引かせるのみならず、「生長の家」から愛国思想の芽まで摘みとる…。
摘み取った上で、今度は、「生長の家」をサヨク勢力の一員に変えていく…。
よく、こう言うと、尊師の純粋な教えの世界にだけ帰ればいいのであって、何も昔のような愛国政治活動を復活せよ、とまでは言っていないという方がありますが、これは実に浅薄な意見であると私は思っています。
そういう人は、尊師のご人生の最後の大事業が何であったか、それを意図的に忘れようとしているのではないでしょうか…。
何のために、尊師は総本山をご造営なされたのですか…。
「天皇国・日本」を一千万年にわたった安泰にする、それだったのですよ。
尊師の教えを純粋に学べば学ぶほど、その行き着く先は、総本山のご造営なのです。
そのことを、却ってよく分かっていたのが、実は総裁ではなかったかと私は見ています。
尊師の教えに戻ったら、総本山のご造営の精神にまで行き着かざるをえない。
総本山とは何か。
総裁にしてみれば、そこは愛国思想の〝メッカ〟に見えたことでしょうよ。
だって、はっきりと「鎮護国家」が掲げられているのですから…。
この「鎮護国家」がある限り、「生長の家」から愛国思想の芽を摘み取ることはできない。
総裁にとって、その芽を摘み、「生長の家」をしてサヨク勢力下に置換するには、どうしても総本山を否定する必要があった…。
その象徴的な出来事が、顕齋殿を土足履きにするということであったと私は見ています。
これは、尊師の顔に泥を塗りたいという、総裁の潜在願望の現れではないのか。
そうとでも考えなければ、到底、誰しも思いもつかぬ、驚天動地のことだからです。
「総本山を聖地と呼ばせない」とか、尊師の御霊が静まる奥津城まで自転車で駆け上ってヒルクライムに興ずるとか、それらの一連の言動が総裁の潜在意識裡に何があるのかを如実に物語っています。
そして、その極めつけが、鎮護国家の神様である「住吉大神」外しだったわけです。
もうこの段階で、尊師の「生長の家」は完全に解体されていたのです。
今回の「通達」は、それを全教区でやろうとしているだけのことです。
総裁は、尊師の「生長の家」を完全に解体する目的で、教団に乗り込んできました…。
だから、総裁が「生長の家」の解散を宣言したとしても、私は決して驚きはしません。
だって、もう、今の教団を見ていれば、尊師の「生長の家」は無くなったも同然としか私には映りませんから…。

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