《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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尊師の教えに帰れば、ここまでの教勢の落ち込みはなかった。にも関わらず、どうして教団は何の対策も講じようとはしないのか。そこから考えられることとは… (12046)
日時:2020年05月27日 (水) 09時18分
名前:破邪顕正

「トキ」さんが、こういう投稿をしています。

〈私見です (28731)
日時:2020年05月27日 (水) 01時00分
名前:トキ
 数字のごまかしは昔から組織内では、残念ですが、何回も見聞してきました。ところが、この数年以内でも、そのようなことが起きていたのは遺憾な話です。

 ところで、私は、組織の分裂は、いろいろな背景があり、総裁や本流の特定個人などに責任を全て負わせるのは適当ではありません、しかし、谷口雅宣総裁が総裁就任後に組織で起きた事件は、基本的に彼の責任だと思っています。

 基本的に、数年で構成員の数を半数以下に減らした指導部は、普通の組織なら激しい指弾を受けても仕方がないと思っています。特に、従来の方針を独断で変更するようなことを繰り返した場合は、結果責任からは逃れられないです。

 実際のいろいろな数字を見たら、もはや教団の運命は決まったと言えます。ここで、会員である私の歴史における責務は、会員の一人として、声はあげたという事実を残すのみです。私は、歴史的な責任を果たすという観点で、投稿を続けているつもりです。〉

教団組織に残る「トキ」さんの、実に、悲観的な内容であります。

教団の現状を具に見ると、どこにも光が見えない、そういうことなのでしょうね。

そういう「トキ」さんに、私から申し上げたいことを、これから書いていきたいと思います。

教団愛に溢れた「トキ」さんが嘆くように、100万教団と言われた「生長の家」が、今や聖使命会員数は35万人台。

総裁の一人天下となって以来、教勢は右肩下がりに下がり続けています。

今でも忘れ得ない、ある会議での、実に、印象的な光景がありました。

ある人が、勇気を奮って(現教団で、質問すること自体が実に勇気のいることですから…)「どうして教勢が落ちているのか」と問い質したのです。

その時の教団幹部の答えを聞いて、思わず、ひっくり返りそうになりました。

「日本の人口が減ってきていますから…」

よりによって、こういう回答をしますか…。

愚にも付かない回答とは、こういうことを言うのでしょうね。

先見の明のある人であれば、この回答を聞いて、「もう終わっている」と見切ったのではないでしょうか…。

これに象徴されるように、教団にとって教勢云々は、まるで他人事なのです。

危機感というものがないし、本気でなんとかしなければならないという気概も使命感もない…。

実際、本部員からは、こんな声が聞かれているのです。

〈昔のような数字の目標はないし、だから無理して頑張らなくてもいいし、それでなおかつお手当は減ることもない…。

総裁先生の時代になって本当に好かった!〉

サラリーマン本部員にとっては、今の教団のままが一番いいということなのです…。

それが証拠に、どんなに教勢が落ちても、本気で対策、手立てを講じようとはしないではありませんか。

ここからが本質的な問いです。

どうして、教団はこうなってしまったのでしょうか。

答えは3つです。

①先ほどの本部員の声にあるように、今のままが一番いいと思っているから…

②「トキ」さんと同じように、尊師の教えに帰ればいいということは分かっているけれど、それを総裁が許すはずがないと思っているから(もうどうしようもないと諦めているということです)…。

③総裁自身が、自分の言うことを素直に聞く信徒だけが残ればいい。だから、信徒が減っても一向に構わないと思っている…。

確かに、教区の方は、経営的に、信徒の減少に伴い、どんどん追い詰められていくと思います。

しかし、本部はどうでしょうか。

莫大な不動産を有しています。

いざとなったら、それを切り売りしていけばいい…。

実際、既に東京都下にあった不動産を売却していますからね…。

イザとなったら、あの原宿にある不動産だって売りに出すかもしれませんよ…。

とにかく、本部の方は、信徒が例え大きく減少しようとも、経済的にガタつくほどのことない…。

そう踏んでいると私は見ています。

つまり、本部が安泰だったらいい…。

教化部は教化部で、自分たちで生きて行くようにしていけばいい…。

そういうことだろうと思っています。

だから、「トキ」さんには悪いですが、教団が尊師の教えに帰ることはないし、信徒が減ろうともさして問題視されることもないし、教団はこのまま、今のまま、自然と衰退の一途を辿っていくしかないだろうと私は見ています。

だから、「トキ」さんのように教団愛がある人ほど、却って現状への不平、不満、不信が募って、心身の健康にも好くない結果を招くのではないかと憂慮しているのです。

今の教団に恋々としていると、その教団の衰運の渦に、自らの運命までもが巻き込まれてしまいかねませんよ、と警鐘を鳴らしている次第です。

以上、衰退の一途を辿る教団が、どうして挽回のための手立てを講じようとしないのか、私なりに思っていることを申し述べてきました。

しかし、上の③つは、誰しもが考えることであろうと思います。

そこで、実は、これが総裁の潜在意識裡にある、真実の理由ではないのか、ということについて、即ち、私の考える第④の理由について、稿を改めて書いていきたいと思います。



割り込み、失礼します。上の12046で破邪顕正さんがおっしゃっているトキさんの記事「私見です」は、ここにあります。 (12048)
日時:2020年05月27日 (水) 10時22分
名前:破邪顕正さんの愛読者です

トキさんの記事、「私見です」は、
https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=6547
にあります。

上から8番目の子記事です。




総裁は「生長の家」が無くなってしまってもいいと思っている。サヨク勢力(総裁の思想性から私はそう判断していますが)にとっては、それは願ってもない朗報となるでしょうから… (12056)
日時:2020年05月28日 (木) 14時17分
名前:破邪顕正

表題に掲げたことが、私の考えた第④の理由です。

「エッ」そんな馬鹿なことがあるか。

どうして、「生長の家」の総裁ともあろう人が、自分の基盤である「生長の家」がなくなっていいと考えるか、いいかげんなことを言うな、そういうお叱りを受けることを百も承知の上で、敢えて申し上げます。

結局、そういう反発をなさる方は、総裁が「生長の家」を自らの基盤と考えている…。

だから、その基盤を拡充したいと思うのが総裁としては当然のことではないか…。

そういうことを大前提にされていると思うのです。

もう、そこからして、谷口雅宣総裁という人を見間違えているのではないのか。

だって、考えてみてください。

総裁は、ずっと3代目になることを拒否していたのですよ。

つまり、成りたくて成ったのではない、これが出発点なのです。

その上で、3代目についたということは、私どもが考えているような教団愛に溢れているはずだという思い込み、先入観は、ひとまず外してかからねばならない、そう思うのです。

そして、何度も申し上げて恐縮ですが、〝暗黒の30年〟のその歴史を振り返ってみれば、総裁が「生長の家」に対して、どんな思いを抱いていたか、よく見えてまいります。

その上で、私なりに導きだしたのが今回の第④の理由ということで、これから、その論拠を提示してまいりたいと思います。

教勢が落ちる一途なのに、どうして、打開策を講じようとはしないのか。

実は、結論は明らかなのです。

尊師の教えに帰ろうとしないから、それに尽きるのです。

それでは、どうしてそうしようとはしないのでしょうか。

これまた、結論は明らかです。

総裁が、それを拒絶しているからなのです。

おそらく、そこまでは、多くの方から首肯していただけるのではないでしょうか。

問題はここからです。

それでは、どうして、総裁は尊師の教えに戻るのを拒絶するのか…。

この謎解きをするには、どうしても〝暗黒の30年史〟に立ち戻るしかないのです。

で、私の結論。

総裁は、尊師の教えに戻るぐらいならば、「生長の家」を解散したっていい、そこまで思っている…、そういうことなのです。

「生長の家」が解散して誰がよろこぶか…。

言うまでもなく、サヨク勢力です。

なんだかんだ言っても、戦後史において、「生長の家」は常に愛国運動の中心に存在していました。

だから、サヨク勢力にとって、「生長の家」はいつも邪魔な存在でしかありませんでした。

それが消えて無くなれば、彼らにとって、これほどの朗報はありません。

そのことは、総裁によって「生長の家」が左旋回したとき、どう評されたかを見れば明らかでしょう。

〝あの「生長の家」が〟

どうして〝あの〟がついたのでしょうか。

そうです、それほど「生長の家」とはサヨク勢力にとっては対極も対極、まさか、手を握り合う関係が生じようなどとは想像だにできないことだったのです。

総裁が教団に乗り込んできてからというもの、常に、一貫して狙っていたのも、実は、この一点ではなかったか…。

「生長の家」を愛国運動から手を引かせる。

手を引かせるのみならず、「生長の家」から愛国思想の芽まで摘みとる…。

摘み取った上で、今度は、「生長の家」をサヨク勢力の一員に変えていく…。

よく、こう言うと、尊師の純粋な教えの世界にだけ帰ればいいのであって、何も昔のような愛国政治活動を復活せよ、とまでは言っていないという方がありますが、これは実に浅薄な意見であると私は思っています。

そういう人は、尊師のご人生の最後の大事業が何であったか、それを意図的に忘れようとしているのではないでしょうか…。

何のために、尊師は総本山をご造営なされたのですか…。

「天皇国・日本」を一千万年にわたった安泰にする、それだったのですよ。

尊師の教えを純粋に学べば学ぶほど、その行き着く先は、総本山のご造営なのです。

そのことを、却ってよく分かっていたのが、実は総裁ではなかったかと私は見ています。

尊師の教えに戻ったら、総本山のご造営の精神にまで行き着かざるをえない。

総本山とは何か。

総裁にしてみれば、そこは愛国思想の〝メッカ〟に見えたことでしょうよ。

だって、はっきりと「鎮護国家」が掲げられているのですから…。

この「鎮護国家」がある限り、「生長の家」から愛国思想の芽を摘み取ることはできない。

総裁にとって、その芽を摘み、「生長の家」をしてサヨク勢力下に置換するには、どうしても総本山を否定する必要があった…。

その象徴的な出来事が、顕齋殿を土足履きにするということであったと私は見ています。

これは、尊師の顔に泥を塗りたいという、総裁の潜在願望の現れではないのか。

そうとでも考えなければ、到底、誰しも思いもつかぬ、驚天動地のことだからです。

「総本山を聖地と呼ばせない」とか、尊師の御霊が静まる奥津城まで自転車で駆け上ってヒルクライムに興ずるとか、それらの一連の言動が総裁の潜在意識裡に何があるのかを如実に物語っています。

そして、その極めつけが、鎮護国家の神様である「住吉大神」外しだったわけです。

もうこの段階で、尊師の「生長の家」は完全に解体されていたのです。

今回の「通達」は、それを全教区でやろうとしているだけのことです。

総裁は、尊師の「生長の家」を完全に解体する目的で、教団に乗り込んできました…。

だから、総裁が「生長の家」の解散を宣言したとしても、私は決して驚きはしません。

だって、もう、今の教団を見ていれば、尊師の「生長の家」は無くなったも同然としか私には映りませんから…。



総裁が総本山になした数々のことを見ていけば、それは尊師の「生長の家」の解体を企図したとしか映らない… (12059)
日時:2020年05月29日 (金) 11時12分
名前:破邪顕正


立教50年を記念して編まれた『生長の家五十年史』。

それをご覧になられた尊師は、巻頭に「神示」が掲載されたことをことのほかお慶びであったと伺ったことがあります。

そもそも「生長の家」が誕生したのは、この「神示」によるわけです。

そして、それはすべて「七つの燈台の点燈者の神示」として、尊師に天降ってきたわけです。

後に、その内容に応じて、神示に名前が付されたわけです。

そういう経緯から考えて、私は、「生長の家」の教義は、煎じ詰めたところ、総本山にある「七つの燈台」に刻まれた文字に集約できるのではないのかと思っています。

で、問題はここからです。

総裁もそのことに感づいていたからこそ、この「七つの燈台」について“正しい解釈”を施しておかなければならないと思ったのではないでしょうか。

それが、2012年11月22日 (木)付けのブログ記事「“天孫降臨”とは神意の現成なり」であります。

この中で、総裁は、それぞれ、燈台に刻まれた言葉
 ➀天孫降臨皇御国成就燈
 ②伊邪那岐文化成就燈
 ③伊邪那美文明成就燈
 ④三界万霊悉皆実相開顕成仏燈
 ⑤地上天国世界連邦成就燈
 ⑥万物一元万教帰一成就燈
 ⑦君民一体地上天国成就燈
 
を紹介し、こういうのです。

〈実は、谷口雅春先生はそれについて詳しい解説を残しておられないのです。しかし、名前に使われた漢字の意味からそれぞれの燈台の意味を類推することはできます。が、これには誤った解釈をする危険が常に伴います。特に重要なのは、第一番目の燈台である「天孫降臨皇御国成就燈」の意味です。その正しい解釈をこれからお話ししましょう。〉

ここで、総裁は、敢えて〝正しい解釈〟という言い方をしています。
それでは、その〝正しい解釈〟とはどういうものか。

長々と説明していますが、要するに、総裁はこれが言いたかったのです。

〈先生が私たちに託された願いは、「天の下ことごとくに神の御心が満ちひろがる世界が来ること」です。「日本に天皇制国家を樹立する」などと解釈することは、全くの誤りであります。だから、私たちは世界各地に“神意”が拡大していくことを目指さねばなりません。〉

総裁にしてみれば、だから「日本」とか「天皇」とか「国家」とかを排除しないと、間違った解釈をしてしまう懼れがある…。

同様の趣旨で「鎮護国家」を外さないといけないし、ご祭神の「住吉大神」も相応しくないし、「大日本神国観」も実修してはならない…。

そういうことにしたのだと言いたいのでしょう。

私が不思議でならないのは、だったら、その総裁の言う“正しい解釈”によって、「七つの燈台」の教えを広めていきましょう、そういえばいいのではありませんか。

信徒にも、徹底して、この“正しい解釈”を教えていく…それに徹すればいいだけのことなのです。

ところが、総裁は、ここでただ“正しい解釈”を述べるのみで、その普及に努めるわけでもなく、それどころか、逆に、その「七つの燈台」に対して、何と新たに「七重塔」なるものを作って、それをぶっつけてきた(私にはそのようにしか見えません!)わけです。

何を申し上げたいか。

「七つの燈台」こそは、尊師の教義の集約にほかならないと私は申し上げました。

なのに、それをはねのけるように、総裁は「七重塔」をもってきたわけです。

このやり方、「住吉大神」の排除のときと全く同じです。

新たに“造化の三神”なるものをご祭神としてもってきて、「住吉大神」を脇においやり、そして無化してしまう…。

「七つの燈台」もまた然り。

信徒の関心は「七重塔」にばかりに移って(総裁がそう仕向けたわけですが)、信徒は「七つの燈台」について何の関心も抱かなくなってしまいました…。

そして、今回の「通達」となったわけです。

「實相」額の前に、「七重塔」のミニチュア、そして“造化の三神”の神霊符を収めたお社を設置する…。

これによって、総裁は、総本山ご造営に込められた尊師の御心を、完全に葬り去ってしまうことにしたのです。

何故、そこまでやるのか。

そうです、「生長の家」から悉く、愛国思想を排除する…。

その萌芽すらも許さない…。

その思いがあるからなのです。

尊師の畢生の大事業、総本山のご造営をここまで否定してかかるのは、一体、何故なのか。

総裁の潜在意識裡に蠢いているものを見ていくと、総裁は尊師の創始せる〝愛国生長の家〟を何としても解体してしまいたい、その一念で教団に乗り込んできたのだという結論に、どうしてもなってしまうのです。


ふたたび割り込み、失礼します。上の12059で破邪顕正さんがおっしゃっている、総裁のブログ記事「“天孫降臨”とは神意の現成なり」は、ここにあります。 (12060)
日時:2020年05月29日 (金) 20時04分
名前:破邪顕正さんの愛読者です

上の12059で破邪顕正さんがおっしゃっている、総裁のブログ記事「“天孫降臨”とは神意の現成なり」は、
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2012/11/post-0304.html
です。

かなり長い文章です。





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