| 昭和34年5月号の「明窓浄机」より (11934) |
- 日時:2020年05月08日 (金) 14時24分
名前:破邪顕正
家永三郎が仁徳天皇の仁慈は虚構であると断定したことへの、尊師の痛烈なご批判がここに掲載されています。
家永三郎と言えば、教科書裁判で知られます。
氏の声明文の中にこうあります。
〈憲法・教育基本法をふみにじり、国民の意識から平和主義・民主主義の精神を摘みとろうとする現在の検定の実態に対し、あの悲惨な体験を経てきた日本人の一人としてもだまってこれをみのがすわけにはいきません。…昭和四〇年六月十二日〉
あれから既に半世紀が経過したわけですが、教科書問題は今なお尾を引いています。
それは一にかかって、戦後の歴史教育が、言うところの〝自虐史観〟に汚染されているからに他なりません。
この家永教科書裁判もまた、その一つの象徴的な出来事であったと言えましょう。
仁徳天皇の仁慈は虚構、そう言って憚らない人が教科書を書くのですから、それは明らかなる国体の否定というほかはありません。
尊師は、はっきりとこう言われます。
《仁徳天皇の三年免税のことを当然の事実として、歴史的にあったものであり、たとい一歩を譲ってそれが神話的なものであったにしても、日本書紀が編纂された年代から三百年も前に、(それは言い伝えであるにせよ)日本天皇の理想は「民のために生きる」ところの君民一体の理想であったのだと観ているのである。
この「民のために生きる」仁慈の精神が、終戦のときの御前会議で今上陛下が「国民を戦渦の中に苦しめるのは見るに忍びないから、自分の身はどうなってもよいから、ポツダム宣言を受諾して戦争をやめる」と仰せられたところの高き十字架精神となってあらわれたのである。》
仁徳天皇の御聖徳の、この箇所を『日本書紀』から引きます。
〈天皇…朕すでに富めり、豈に愁ふることあらむや。
皇后…何をか富めりと謂ひたまふか。
天皇…姻気(いんき 註・料理をすれば立ち上る気)国に満てり、百姓自ら富めるらし。
皇后…宮垣は壊れて修むることを得ず、殿屋は壊れて衣露を被る。何ぞ富めりと謂ふや(注・雨漏りて御着衣が濡れるほどであるのに、どうして「朕すでに富めりと仰せられるか」という皇后のお尋ねである)
天皇…それ天の君を立つるは、これ百姓の為なり、然らば則ち君は、百姓をもって本となす。是を以て、古への聖王は、一人飢寒すれば、顧みて身を責む。いま百姓の貧しきは、則ち朕の貧しきなり、百姓の富めるは、則ち朕の富めるなり、未だ百姓富みて、君貧しきことあらざるなり。〉
このようなご精神が126代にもわたって、受け継がれてきているということ、それこそが奇蹟でなくて何でありましょう。
尊師がお説き下さった「天皇国日本」の神髄がまさしくここにあるのだと改めて思う次第です。
こういう話をこそ、本来ならば、次代を担う子ども達に伝えていかなければならないのではないでしょうか。
しかし、総裁は、悲しいかな、この発刊を認めなかったのです…。

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