まだまだ生半可です、よろしく御指導下さい (11655) |
- 日時:2020年02月18日 (火) 23時53分
名前:立葵
合掌 明鏡様、そして明鏡様の親記事にて御紹介の亀の子様、過分のコメントをいただき恐れ入ります。
一点だけ、不勉強を顧みず言ひ過ぎたと思ひますことを申し上げます。
國語に左横書きは存在しなかったといふ点は、まだ自分の中でも整理できてをりませんでした。 亀の子様が御紹介下さいました昭和十九年刊の金田一京助博士の御著書のみならず、他ならぬ谷口雅春先生が、御悟りに至られた真理を拡めるための雑誌を出したい願ひと現実の会社員生活との狭間で悩まれ、その御心中を詠じられた詩 「野の百合の生きる道」 は、雑誌『新時代』大正十五年四月號に発表されました。
この『新時代』誌は、左横書きで、「野の百合の生きる道」も左横書きでした。
『新時代』の誌面の写真は以下で拝見できます。 @(求道の御文章) 『生長の家五十年史』207頁 昭和55年11月22日 編纂 生長の家本部 発行 日本教文社 A(「野の百合の生きる道」) 『神ハ愛也』谷口雅春先生九十年の足跡18頁 昭和57年11月21日初版発行 編集・発行 生長の家温故資料館
それですので、左横書きは存在しなかったとまでは言ひきれなかったと思ひました。 ただ、検証課題として、戦前なら左横書きの書物を出版された方々の中には、いはゆるローマ字國字論を唱へた方々や、戦後の國語政策で「現代かなづかい」を推進された急先鋒の方々もいらしたやうです。 つまり、戦前に國語表記について革新的なお考へをお持ちの方もいらしたのかもしれません。
戦前の左横書きの書物(欧米語や理数系方面を除いた純國語で)は実際どのやうな方々が制作されたのか、よくわかってゐないまま発言してしまひました。 引き続き学んで参りたいと思ひます。 再拝
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