呼吸(いき)苦しいほど光明を吸ふ ー「生命の歌」 (10832) |
- 日時:2019年04月05日 (金) 22時25分
名前:立葵
竹内まりやさんの「いのちの歌」や40年間の歌手人生を振り返る番組に私も大変感動しました。
さて、こちらは「生長の家の歌」の中の「生命(せいめい)の歌」です。 桜吹雪のこの季節、詩中の「花」が単にそれを指すとは限らないとは思ひますが、「花が降る」とはどんなふうだらうか、もっと凄いさまなのかもしれないけれども、と散りゆく桜に一応は仮託して謹掲します。
生命の歌
或る日 輝く光明が わが胸に降つて來た。 頭にも、 手にも、 足にも、 花が降るやうに落ちて來た。 わたしは光のうちに埋(うづも)つて 呼吸苦(いきぐる)しいほど光明を吸ふ。 やがてそれが私に「生命」だとわかつた。
周知の通り『生命の實相』全集の「自傳篇」ではこの詩(歌)に題名はなく、谷口雅春先生が
「私はついに神を見出し、本当の自分を見出したのであった。」 (新編第33巻126頁、頭注版第20巻138頁)
とお記しになってゐるお悟りの悦びを表された詩としてお書き下さってゐます。 「自傳篇」の収められてゐない『生命の實相』各種各版の「聖詩篇」や『ひかりの語録』などでは「生命の歌」の題で拝誦できます。
最近「自傳篇」を読み返して以来、
光明が 降って来た いきぐるしいほど 光明を吸ふ それが「生命」だとわかった
といふ、これまで実に当り前のやうに使ってきた「光明」や「生命」の語が、譬へやうのない神々しい、重く深い「真理」を云ひ表したものとして繰り返し繰り返し胸に迫って参ります。 そして神様を想ひ、呼びたい時に常に想ひ起こされる一篇となりました。
合掌
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