「大調和の神示」の中には、どうして師恩に感謝せよ≠ェないのか? (10805) |
- 日時:2019年03月31日 (日) 19時27分
名前:破邪顕正
「総裁先生に中心帰一せよ」というのは、尊師の本当のお心を知らないからこそではないかと私は思っています。
それについては、以前、投稿したことがありますので、これは歴史的に見て、とても重要な資料であると思いますので、改めて、ここに引かさせていただきます。
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「総裁に中心帰一せよ」という信徒には、尊師のこのご文章を味読してほしい (6248) 日時:2017年05月11日 (木) 18時35分 名前:破邪顕正
『理想世界』誌・昭和45年12月号「十五日のことば 与える心≠ニ受ける心=vにかくあります。
《先日も東京の地方講師や伝道員ばかりの実相研鑽会で、地方講師の一人が七つの燈台の点燈者の神示≠ノ「皇恩に感謝せよ、汝の父母に感謝せよ」とあるその次に「師恩に感謝せよ」を是非入れて貰いたいという要求が出されたのであるが、私は「師恩」を書くことを忘れたのではなかったのである。
それは、私自身が「師」という立場に立っているから、「師恩に感謝せよ」とあったら、「私に感謝せよ」といっていることになるので、特にそれを消してしまってあったのである。
愛を施す者は、人から感謝されたいと思ってはならないが、施されて何らかの益を受けつつある者は、「施される権利が自分にはあるんだ」などと高い姿勢をとることなしに、感謝の念を起こすようにすることによって、周囲との調和が得られ、自分自身も幸福感を享受することができるのである。》
尊師がこういうご姿勢であればこそ、信徒は自ずと「尊師に中心帰一」し得たのであろうと拝察する次第です。
声高に「中心帰一せよ」と言わなければならないのは、それだけ却って「中心帰一」できていない現実があるからでありましょう。
なぜ、そういう現実が出来したのか。
本当はそういうところにこそ、深刻な組織上の問題が横たわっていると思うものであります。 ……………………………………………………………………………
「中心帰一」の真理が本来の意味から外れて、組織維持のために援用されてしまったところに、今日の歪な組織の硬直化が出来してしまったように思えてなりません。
大変、失礼な言い方になりますが、そのために盲目的に「総裁先生に中心帰一していけばいい」という考えない$M徒を生み出してしまったのではないのか…。
本来、神示にあった「師恩に感謝せよ」を敢えて消してしまわれた尊師の御心を、今ほど噛みしめなければならないときはないように思うものであります。
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