《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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総裁や教団に対する批判は慎しむべきだという向きへ (10785)
日時:2019年03月29日 (金) 17時58分
名前:破邪顕正


今、『維摩経解釈』をコツコツと勉強させていただいています。

『維摩経解釈』と言えば、将棋の米長邦雄・元名人が書いたエッセイが思い出されます。

〈…買ってきた本が『維摩経解釈』(谷口雅春著)。

著者は生長の家の大先生で誠に素晴らしい書物であった。

とはいえ、こんなに難しい本を読んだのは生まれて初めてである。

書いてあることの本当の1%も分からない。〉

故・米長名人には3人の兄がいてみんな東大。

そのお兄さんたちを指して「兄貴たちは頭が悪いから東大に行った」と豪語した米長名人。

その名人をして「本当の1%も分からない」と言わしめたのが、この『維摩経解釈』に他なりません。

でありますから、正直言って、本当に難しいです。

難しいですが、それでも、私なりにいろいろと教えられたものがあります。

例えば、最近、掲示板を賑わせている総裁や教団に対して、どういう態度で臨むべきかについて、『維摩経解釈』から教えられたことを書いてみたいと思います。

《外道の学を論破し、魔障となる怨念を打ちくだきほろぼし、菩提を育てはぐくみ、道場に安祥としており、如来の行じたまひしみあとを履(ふ)み行ふ》(522頁)

それが「外道」だと思うならば、きちんと、その外道たる所以を明らかにし、何が問題なのかをきちんとお知らせするということは、大切なことなのではないでしょうか。

現に、今、「魔障」とも言うべきことが出来しているのであれば、尚更のこと、決して見て見ぬふりをしてはならないと私は思います。

そういえば、その先にこういうご文章も出てきます。

《…苦相を見るのを好い加減に胡魔化してはならないのであります。

本当の悟りといふものは、ただ明るい方、愉快な方、楽しい方ばかりを見て、その日その日を皮層に胡魔化しているのであつてはならない。》(525頁)

如何ですか。

よく、今の教団の問題点を指摘すると、「現象なし、光明面を見ていきましょう」と言われる向きがあります。

さしずめ、維摩詰がこれを聞けば、「胡魔化すな」と一喝をくらわすのではないでしょうか。

〝皮層に胡魔化しているのであつてはならない〟

私には、この言葉が実に心奥に響きました。

改めて「本当の悟り」を求めて、精進していかなければならないと思ったことでした。

それにしても、不思議なのは、どうして私の投稿だけが目の仇のようにいわれなければならないのでしょうか。

総裁や教団の批判を展開しているのは、何も私だけではないように思うのですが…。

名指しこそ控えさせていただきますが、今の教団の実態を知らせるのだって、十分に教団批判に該当するのではありませんか?

そういう投稿をしている人、パッと思い浮かべるだけでも十指に余ります。

広義の意味において、教団にとって不利なこと、知らせて欲しくないこと、嫌なことを知らせるのを教団批判に入るとするならば、谷口恵美子先生の今のご様子を知らせるのだって、それに当たるのではないでしょうか?

結局、そういう投稿をするのは、大なり小なり、今の総裁、並びに教団の方向性に納得がいかないからでしょう。

納得がいかないからこそ、こういう掲示板がいくつも出てきているのではありませんか。

そのことに思いを致せば、総裁や教団批判を慎めというのは、こういう掲示板を廃せよと言うにも等しいということにはならないでしょうか…。

それを最も願っているのはどこですか?

総裁であり教団ではありませんか。

だから、教団信徒に対して、ネットを見るなというのでしょう!

それで本当にいいのですか?

それが私の言いたいことであります。



本当に明快で、腹の底からすっきりしました。 (10788)
日時:2019年03月30日 (土) 10時23分
名前:ことは

『維摩経解釈』から紹介してある箇所、

いつまでも続くあらぬ批判に対して、まことに明快な答えです。

これを機に、久しぶりに『維摩経解釈』を取出しました。

少しづつ読み進めてみます。難しくて解らなくても、私には、魂が喜ぶ御本です。


尊師の御教えとは真逆な方向に進む教団。

他にも沢山、教団や総裁の間違ったことを指摘している人があるのに

「破邪顕正」さまに批判が集中するのは、ヤッカミもあるし、

近づいてきた「全国大会」のせいもあるでしょう。


今、批判している人たち、まだ参加したことがない方たちは、

ぜひ4月21日(日)の「全国大会」に参加してみて下さい!!

どちらが正しい尊師の御教えなのか、

真理に照らしてご自分の目で、耳で、全身で確かめてみれば判ります。

人から聞いただけでは、絶対に全ては解らないものです。

自分の人生ですから、自分で責任をもって

後悔のない選択をするべきだと思います。





「外道」ということに関して『維摩経解釈』に学ぶ (10794)
日時:2019年03月30日 (土) 18時58分
名前:破邪顕正


こういう掲示板は、玉石混淆で、その中で如何に〝玉〟を発見するか、それが私の楽しみの一つとなっています。

最近の投稿で、これは〝玉〟と思ったのがこれです。

…………………………………………………………………………

和解について、若干の感想 (26219)
日時:2019年03月30日 (土) 15時06分
名前:如来の願船

和解について、少し基本的なことを整理します。

和解は、

①人(対人関係)

②事物(対物関係)

③虚説(誤れる見解)

の三通りについてありますが、人や事物については、実相において和解する、それぞれの処を得るということが出来ます。

しかし、迷いや虚説(誤れる見解)に対しては、和解することはあり得ないのである。

虚説を拒否することで、救われる人も多くなるのです。

朝日新聞は “ 虚説を拡散 ” しているメディアと言っていいでしょう。

教団も「憲法を知ろう」と谷口雅春先生が “ 諸悪の因 ” とまで云われた非真理を拡大拡散している。(以下、略)

…………………………………………………………………………

「和解」をこのように分類して考察していただくと、理解がより深まることと思った次第です。

『維摩経解釈』にも、〝味噌も糞も一緒にしてしまふ人があります〟と、それに警鐘を鳴らす場面が出てきます。

《「天地一切のものと和解せよ」といふ教へを曲解して、善悪正邪をわきまへないで、生長の家は、万教帰一だからどの宗教でも皆よいのだと谷口先生が言はれたからといつて邪教に導く人があり味噌も糞も一緒にしてしまふ人がありますが、そんなのは可けないのであります。

必ずこれは真理、これは非真理と分けなければならない。

これを「外道を制し」といふので、これは菩薩の行であります。》(7頁)

ここの何が重要か。

〝必ずこれは真理、これは非真理と分けなければならない〟

では、それを分かつ基準はどこにあるか。

谷口雅春先生のお説きになられたことをもって「真理」とする、それが「谷口雅春先生を学ぶ会」の立場なのだと思います。

しかし、教団信徒は、総裁先生の言われたことをもって「真理」としていると思うのです。

即ち、「真理」の基準が根本的に違ってしまっているわけです。

で、「如来の願船」さんは、前者の立場だから

〉朝日新聞は “ 虚説を拡散 ” しているメディアと言っていいでしょう。

教団も「憲法を知ろう」と谷口雅春先生が “ 諸悪の因 ” とまで云われた非真理を拡大拡散している〈

そう書いておられるわけです。

しかし、後者の立場から言えば、総裁が推奨する「朝日新聞」や「憲法を知ろう」が「真理」ということになってしまうわけです。

何度も申し上げて恐縮ですが、そもそも「真理」の基準が根本的に違ってしまっているのです。

それで、どうやって〝和解〟が成り立つのか。

話し合えばいいというが、「真理」の受け止め方が違うのに、何を話し合うのか…。

凡そ「真理」とは、話し合いで決めるたぐいのものではないのではないでしょうか。

そこから認識し直さないといけないというのが、私の一貫して申し上げている〝和解派〟への注文なのです。

序でに申し上げておきますが、以前、私のハンドルネームがお嫌いの方がおられて

〝貴方の名前が傲慢なのです (10718)
日時:2019年03月14日 (木) 11時47分
名前:学ぶ〟

という苦情を頂戴しました。

それについては、以前、自分なりの回答を用意していましたので、それをここに引くことにいたします。

これもまた『維摩経解釈』に学んだことでありました。

……………………………………………………………………………

ハンドルネームを“破邪顕正”にしていて良かった! (6018)
日時:2017年04月27日 (木) 18時26分
名前:破邪顕正

『維摩経解釈』の173~174頁に、こういうご文章が出てきます。

《「伏心」というのは、邪なるを見て、それを調伏する心であります。

和顔でなければならないし、忍辱よくたえしのぶことも必要でありますが、いやしくも真理にそむく邪まな説を立てる者に対しては破邪顕正の剣を揮わねばならないのであります。

それが又、自分の魂をみがく道場となるのであります。》

なぜ、ハンドルネームを“破邪顕正”としたのかは、まさしくここにある通りであります。

どう考えても、現総裁の説く“今の教え”なるものは、「真理にそむく邪まな説」以外のなにものでもないと思うからこそであります。

例えば、「童子」さんの次の投稿などは、そう判ずるにたる十分な証拠と言えると思います。

《「私は朝日新聞に私の著書の広告を止めた」 谷口雅春先生 (5959)
日時:2017年04月25日 (火) 08時38分
名前:童子》

この投稿で私がとりわけ注目したのはこの箇所です。

《私は朝日新聞に私の著書の広告を止めた。

こういう左翼思想家に運動費を供給するようなものだからだ。》

ご存じのように、現総裁は、「産経新聞」の購読を止め、「朝日新聞」を読むように信徒に推奨しているわけです。

これが、如何に、谷口雅春先生の御心に背反しているか。

この投稿だけでも一目瞭然であります。

そして、敢えて「組織」に残り続けている方に申し上げたいのは、その行為は、上の谷口雅春先生のお言葉を借りるならば、「左翼思想家に運動費を供給する」ことと同義ではないのかということであります。

それぞれいろんな事情があってのこととは充分、理解しつつも、谷口雅春先生のこのご文章を拝するならば、いつまでも「組織」に残り続けるということは如何なものかなと言わざるを得ません。

ぜひ、ご一考していただきたくお願いいたします。

…………………………………………………………………………

谷口雅春先生の教えをもって「真理」とする立場に立てば、やはり「朝日新聞」を推奨するというのは〝外道〟というほかはないと思うのです。

「憲法を知ろう」もまた然り。

「真理」の基準が根本的に相容れないのでは、袂を分かつしかないというのが、当然の結論ではないかと思うものであります。



妥協は、和解とは言わない (10810)
日時:2019年04月02日 (火) 03時09分
名前:あめのうずめ

私は、最近“教団と学ぶ会が和解すべき”という文章を読むと、心底ウンザリするんですね。

破邪顕正様が、スレッドを立てて下さった 「『憲法を知ろう』を通して、〝現教団の本質(「反日=左翼=護憲」)を知ろう〟 (10583)!」を、ちゃんと読んでいるのかしらと、不思議になります。

雅宣総裁が、共産主義的思想をお持ちなのに、どうして和解など、出来ましょうぞ!

それとも、和解を勧める人達は、雅宣総裁の思想は、谷口雅春先生とは全く相容れないけれど、まぁいいじゃないか。そのうち何とかなる‥なんて思っているのかしら?

とどのつまりは、なんとか妥協して、丸く収めてくれと言っているのと、同じように聞こえます。


そもそもの話が、雅宣総裁が、谷口雅春先生の思想を受け入れなかったのだから、
和解を言うなら雅宣総裁に、進言するのが筋というものです。

しかしながら、雅宣総裁は、谷口雅春先生と和解などしないでしょう。

ご自分の方が、谷口雅春先生より上だと思っているようだし、御夫婦そろって、ガチの左翼ですもの。

だからこそ、『谷口雅春先生を学ぶ会』が誕生したのではなかったでしょうか。



破邪顕正様は、押しも押されもせぬ本流を牽引する素晴らしいリーダーです。

どのスレッドも、わかりやすく状況を解説してくださるとともに、谷口雅春先生に対する深い敬愛の思いが感じられて、いつも襟を正す思いで拝読しております。

格調高い元号もいよいよ決まり、しかも大好きな万葉集から引いたと聞いて、ウキウキの一日でした(笑)

桜も満開で、第七回全国大会も、近づいて参りました。張り切って参加させて頂きます♪

これが共産主義者の発言ですか、あめのうずめさん(笑) (10811)
日時:2019年04月02日 (火) 19時08分
名前:転載

「鈴」の字の旁(つくり)が「令」であるのは、神道の儀式にあるように、鈴は「神を降し、神を送るときの楽器である」からだという。だから、「令」とは「神意に従う」ことなのだ。


生長の家は神意を最大に尊重するから、この古義を積極的に支持したい気持だ。しかし、それならば、安倍首相はなぜ、この「令」の古義について記者会見で何も語らなかったのだろう。


宗教運動としては「“令”とは神意に従うこと」という古義を忘れずに、神の御心の表現に向かって進んでいきたい

転載さん、気の毒ですが、雅宣さんの養護は、もう無理ですよ。 (10813)
日時:2019年04月02日 (火) 23時46分
名前:そーれ!!

雅宣さんが言う、「神意に従う」ですが、彼の神感が、すでに
狂っていることは、あなたもよく解っているでしょう。

  神様を導入する?

  実相世界は、死んでから行くところです?

  あの駄経の制作

  数々の聖典を廃版に

  親不孝、親族との不和

  そして造化の三神祭祀と、数え上げればきりがない。

そもそも今回の雅宣さんのコメントは、安倍さん批判のための
コメントだと思いませんか。

元号そのものに、やんわり刃をつきつける共産党もひどいけど、

元号を利用して・・・・・

もう、書いていて情けない気持ちでいっぱいです。

涙だ出てきます。これが生長の家の総裁なのですからね。

国民こぞって、いや、世界中がお祝いする 新元号を利用して、

安倍さん批判をする。

共産主義も、唯物論と言う宗教である事を、転載さんも

ご存じでしょう。

これが私が45年間在籍していた生長の家教団・・・・

今回の雅宣さんのコメントで、

「谷口雅春先生を学ぶ会」が、本物であることが、

はっきりいたしましたね。



  

『維摩経解釈』から〝本当の法供養〟とは何かを学ぶ (10867)
日時:2019年04月22日 (月) 12時19分
名前:破邪顕正


『維摩経解釈』を学ばせて頂いておりますと、今の教団を見て、どういう姿勢を貫くのがいいのか、その良き導き、指針をいただけるように思います。

今回、ご紹介したいのは、このご文章です。

〈法(真理)の相が本当に正しくあらわれているかどうかをよく見極めて、正しく法(真理)の相があらわれているところに素直に随順(つきしたが)って行くべきであって、一旦入った所(所入)だからとか、一旦帰依した所(所帰)だから、それが邪教であっても、もう離れることが出来ないというようなのは「所入あり」「所帰あり」ということになるのであって、これは「捉われ」の相であります。

此の「所入なく所帰なく」なって真理の相が最も完全にあらわれている教に随順していくのが本当の法供養なのであります。〉(537頁)

〝法燈〟を継承されているのが総裁先生だから、「正しく法(真理)の相があらわれている」として、現教団に残るというのであれば、私は、それもまた一つのあり方ではあると思います。

さればこそ、教団は、総裁先生が唯一の〝法燈継承者〟ということを声高に言うのだろうとも思うのです。

裏を返せば、そこにしか、〝正統性〟の根拠がない…。

「生長の家は中心帰一」に拘るのも、それがあるからでありましょう。

しかし、その一方で、総裁の説いていることは尊師の教えとは違う…。

そう思っているのに、「一旦入った所(所入)だからとか、一旦帰依した所(所帰)だから、それが邪教であっても、もう離れることが出来ない」という方もあるように思うのです。

しかし、信仰は、やはり「法(真理)の相が本当に正しくあらわれているかどうかをよく見極め」ることがとても重要なのではないでしょうか。

そう思うが故に、総裁の説いていることは、こういう点において〝邪教〟ではありませんかとお知らせする必要があると私は思っているのです。

それは、決して〝悪口〟には当たらないと言うのが私の立場であります。

『維摩経解釈』の学びが、そういう私を支えてくれているということを申し上げておきたいと思います。


なるほど、それでは質問です (10871)
日時:2019年04月22日 (月) 20時12分
名前:求道者

〈法(真理)の相が本当に正しくあらわれているかどうかをよく見極めて、正しく法(真理)の相があらわれているところに素直に随順(つきしたが)って行くべきであって、一旦入った所(所入)だからとか、一旦帰依した所(所帰)だから、それが邪教であっても、もう離れることが出来ないというようなのは「所入あり」「所帰あり」ということになるのであって、これは「捉われ」の相であります。

此の「所入なく所帰なく」なって真理の相が最も完全にあらわれている教に随順していくのが本当の法供養なのであります。〉(537頁)

雅宣総裁以前に生長の家に入信した人は、真理の相が最も完全にあらわれている教にふれて入信しました。
それが邪教であっても・・・という例に該当しないのではないですか。

そもそも、邪教であるという定義を貴殿の主観を除いて、雅春先生のご文章に基づいて、ご教示くださいませ。

慎むとは (10872)
日時:2019年04月22日 (月) 20時19分
名前:求道者

慎むとは、批判するなという事とは違うと思います。
あまりにも言いすぎる人に対して慎めという事ではないですか。

慎む・謹む【つつしむ】とは

1.過ちや軽はずみなことのないように気をつける。慎重に物事に取り組む。
2.身の程をわきまえて、調子に乗りすぎないようにする。出すぎることがないように心がける。控えめにする。節制する。
3.神仏や貴人などの前で、かしこまった態度をとる。

何言ってんの? (10873)
日時:2019年04月22日 (月) 22時00分
名前:棍棒

もっともなように上げ足をとる人に言いたいのですが。
この質問に答えたからって、また違う形でクズのような質問を繰り返して他人の時間をとる時間泥棒へ言いたい。


昨日の全国大会でハッキリしたことがあります。

学ぶ会は、ねちねち出てくる論破が好きな手足を動かさない、
ミミズのような人たちを相手にしている時間はありません。
管理人さんも、このような人たち相手に掲示板を作ってはいません。


全国大会の最後に、前原先生が仰いました。

「今、この時に、雅春先生は、何を自分たちに求めていらっしゃるのか。それを一人一人が考えていくことが大切です」と。

日本中を駆け回り、少しお痩せになられ、
涙を拭きながら仰る先生を見て、そして深く合掌される雅春先生のお写真を見て、わたしもしっかり学ぼうと決意しました。

こんな愚かな質問に答える時間は、もうないのです。

昨日の余韻が残っているので、まだこういうのが書き込みするのかと思うと、本当に腸が煮えくりかえる思いです。

目の前にいるなら棍棒で殴ってやりたい。


こういう上げ足を取るあなたたちに言います。


この掲示板の言い方ひとつ気に食わないのであれば、蛇のついた妙なお経と、
汚い辞書片手に、あなたたちに合う場所へ行けばいい。

あなたたちはいったいぜんたい、

どんな思いで運動をしているのか?!

こういう人は全く足を使わない、
光明化運動にも参加しない人です。


本当に不愉快だ!!










おや (10874)
日時:2019年04月22日 (月) 23時09分
名前:求道者

質問しただけで

クズで

ミミズで

愚かな人間ですか

それが全国大会で学んだことですか

やれやれ

その通りです (10876)
日時:2019年04月22日 (月) 23時24分
名前:棍棒

全国大会で学んだことなんて一言も書いて無いですよ。

だから、その頭が悪い質問に辟易してるんです。

二度と書き込みしないように。

「全国大会」は明るく柔らかな光と、真理国家日本を実現せんとする強い意志に満たされていました。 (10877)
日時:2019年04月22日 (月) 23時38分
名前:一求道者

10875に投稿した内容ですが、ここにも再掲させていただきます。

前もってお断りしておきます。私は、上の10871と10872を投稿された「求道者」さんとは全くの別人です。

そのうえで、

私は先日の「全国大会」に参加させていただきました。

竹田恒泰先生のご講演は大変おもしろく、また色々考えさせてくださる貴重な講演でした。

先生はまず冒頭で、「この谷口雅春先生を偲ぶ会にお呼び下さり、ありがとうございます。…あっ…学ぶ会…。…この谷口雅春先生を学ぶ会にお呼びくださり、ありがとうございます。」と言って笑いを誘っておられました。

これが、「つかみ」を狙って先生が放った一発ならば、竹田先生は学者と作家の能力に加えて噺家の素質も十分にあると思います。そのようなことを考えながら先生の話を聞いているうちに、「無礼と思われる内容でありながら、聞いている人たちが笑っている講話」を二つ思い出しました。

一つ目は谷口雅春先生がかなりの高齢になられたころの講話です。それは、ご自分の若き日の求道生活をふり返って先生が語られたご講話です。私は何かの録音テープで聞きました。

話の内容が輝子奥様との新婚のころの話になり、そのために避けられなかったのでしょうが、先生が突然、「輝子の胸は白かった…」と、おっしゃいました。それを聞いていた私は少し驚いたのですが、そのときの聴衆の、特に白鳩の奥様方は声を挙げて笑っておられました。「キャー」という声も混じっていました。

二つ目も谷口雅春先生のご講話です。ラジオ放送「幸福への出発」でした。どこかの御講習会でのご講話を録音してラジオで放送したものです。その内容は、戦後の昭和天皇の全国ご巡幸について先生が解説して、天皇陛下の御徳を讃えられたご講話でした。

県の名前は忘れましたが、昭和天皇が終戦後に東北地方のある県を巡幸なさった。県民が喜び、感激して陛下を迎えた。陛下が村の名家の家に入られて戦災にあった家族を励まされ、いろいろ話をなさった。そのうち時間がきたので、陛下がその家を出ることになった。そのとき、その家の幼い男の子が奥の部屋から突然出てきて、「天皇陛下。もう帰るんか。」と言った。陛下は慈顔でお別れになった…。

戦後日本の急速な復興は日本人の努力もあるが昭和天皇の御徳の賜物である…。というような内容のご講話でしたが、「天皇陛下。もう帰るんか。」には笑ってしまいました。聴衆も一斉に笑っている声がラジオから流れていました。

谷口雅春先生も歴代天皇も厳しい面を持っておられたが、きわめてユーモアに富む一面も持っておられた。それが人格の厚みと深みである……などと思いながら竹田恒泰先生の講話を聞いていたら、先生は「谷口雅春先生を学ぶ会」と「生長の家」教団とを混同されているようで、「生長の家のみなさまは天皇陛下のことを理解してくださっていて、大変ありがたい」と、二回言っておられました。

一回目の時、私はプッと吹きだしただけで終わったのですが、二回目の時にはさすがに笑いながらも、「熱心な会員さんたちは気分を害したのではないか」と思って周りの様子をうかがいました。

しかし不機嫌な様子の人は誰もいなくて、みなさま静かに竹田先生の話を聞いているようでした。おそらく「私たちこそが本当の生長の家!」というお気持ちがあったのでしょう。怒る人も苦笑いをする人もいないように思われました。

その事を今思い出して感じるのですが、「谷口雅春先生を学ぶ会」は決して偏狭な団体ではなく、戦闘的な団体でもありません。「学ぶ会」は「甘露の法雨」にある「闇に対しては光をもって相対せよ」を妥協せずに実行しているから「批判ばかりしている」とか「戦闘的だ」と陰口をたたく人もいるようですが、もし「学ぶ会」が偏狭あるいは戦闘的な団体ならば、二回も「学ぶ会」と教団を混同して発言した竹田先生に対して一人や二人ぐらいは眉をひそめたり抗議の声を出す人が出たでしょう。

しかし実際には会場全体が静かに講演を聞いていました。「谷口雅春先生を学ぶ会」の人達はきわめて柔軟で余裕のある人達がほとんどです。おそらくユーモアも理解できる人がほとんどのはずです。竹田先生が話の冒頭で、「この谷口雅春先生を偲ぶ会にお呼び下さり、ありがとうございます。…あっ…学ぶ会…。…この谷口雅春先生を学ぶ会にお呼びくださり、ありがとうございます。」と、ぶちかました時に、ほとんどの聴衆は笑っていたのです。私も声を出して笑いましたが、会場の聴衆はみな同じでした。

思考が硬直して偏狭になっているのは、おそらく生長の家教団のトップの方です。




ありがとうございます (10878)
日時:2019年04月23日 (火) 00時08分
名前:求道者

一求道者さま

当日の様子をお知らせいただきありがとうございます。

学ぶ会の大会に参加した皆様が素晴らしい人達だと判るお知らせでした。

掲示板の書き込みは極端な方の投稿と理解できました。

ありがとうございます。

谷口雅春先生『新生の書』より学ぶ (10879)
日時:2019年04月23日 (火) 00時17分
名前:求道者

≪私は日本を限りなく愛する。…… 私の限りなく愛すると云った 「日本的なもの」 とは、日本の国号が過去に於いてありし如く 「大和」 であると云うことである。

 私の限りなく愛すると云った 「日本的なもの」 とは、日本の国旗の標識が○(まる)であるように、すべてのものと手をつないで真に丸く、円満完全に、○(まる)の中が空(くう)であるが如く、虚心無我にして、苟(いやしく)も私心を差し挿まない大調和な心と、それより発し育てられ来たった大調和の事々物々を指すのであって、好戦的と云うこととは全く反対(うらはら)のことを指すのである。

 私の信念に於いては本当に 「日本的なもの」 即ち 「大和の理念」 があらわれたら、あの戦争は起らなかったに相違ないのである。今後日本が国連の一員として平和を護って行く上に最も大切なのは 「大和」 の理想の培養であらねばならぬ。

 「天地一切のものと和解せよ」 「天地一切のものに感謝せよ」 との神示によって立教せる生長の家こそ、真に大和の理念を宣布するものであり、これこそ真に 「日本的なるもの」 を育て行く根本教と云わなければならぬのである。≫

「求道者」さんへ、『無門関解釈』から学ぶ (10883)
日時:2019年04月23日 (火) 11時20分
名前:破邪顕正


「求道者」さんの言わんとされているのは、私に対して、総裁や教団に対しての発言を〝慎め〟ということなのだろうと拝察いたしました。

確かに、そういうことを仰る向きがあることは存じ上げております。

その一方で、私の投稿で、納得が言ったという方もあるわけです。

〝本流〟のいいところは、総裁並びに教団のことに一切、関知せず、尊師の教えをただお伝えすることに徹するという団体もあれば、いや、言うべきことは言わせてもらう、見て見ぬフリはできないという団体もある。

そういう巾をもたせているところに、私は〝本流〟の良さがあると思っているものであります。

そして、私は、後者に立つ者であります。

なるほど、前者の方たちから見たら、私などは〝慎め〟という対象になるのでしょうが、しかし、それぞれの立場の違いがあって、それをも含めて〝本流〟であると見ていただければありがたいと思うものであります。

何故、私が後者の立場に立つか。

尊師のご文章で示してほしいというご要望もあるようですので、今回は、『無門関解釈』から引かせていただきます(71~72頁)。

《「正法」と云い、「實在」と云い、「妙法」と云い、「妙心」と云い、大日本の國體であることを知らねばならぬ。

…「引寄せて結べば柴の庵なり解くれば元の野原なりけり」と云うような…旧仏教は放げ棄てられねばならないのである。

…大日本国家はそんな因縁仮和合の国家ではないのである。

若し仏教が一切の存在を「無」と見るならば、日本国家も無なのである。

私は『生命の實相』第十巻「神示を受くる迄」の最後の章に示すが如き過程に於て、既に「無」の門関を超えて、釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「實在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである。》

これは非常に大切なご指摘ではないでしょうか。

先生のお悟りは、既に、このとき、〝金波羅華が象徴する「實在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握〟なさっていたのです。

今回の全国大会で、ブラジル訪日団のリーダー、イバーナさんは、はっきりとこう言いました。

〝金波羅華が象徴的にあらわれた実相の国、日本〟

まさしく、これこそが尊師のお悟りであったのです。

『無門関解釈』は、続けて、こう説破しています。

《若し、「一切は『空』なり、『空』が実相なり、『空』のほかに『実』ありとするが如きは、仏教特有の弁證法に玩弄されたる迷誤なり」と云うが如き仏教家があるならば出でよ。

吾れ汝を折伏摧破せん。

汝は真仏教を汚すものである。

吾れ汝が国賊なることを明かにせん。》

〝折伏摧破〟〝真仏教を汚す〟〝国賊〟…。

尊師は、「非真理」に対しては、かくも強いお言葉をお吐きになっておられるのです。

「求道者」さんにお願いがあります。

教団が出した『憲法を知ろう』をお読みになりましたか?

まだ、お読みでなければ、ぜひ、お読みいただきたいと思います。

「世界聖典普及協会」で取り扱われていますから、読もうと思えば、どなたでも読むことができます。

『憲法を知ろう』の中に、尊師がお説きくださった教えが入っていますでしょうか。

『憲法を知ろう』は、尊師が「諸悪の因」とまで称せられた〝占領憲法〟を擁護するものとして、〝真生長の家を汚す〟ものであると私は見ます。

だから、それについて、そう思う理由を申し上げてきました。

それは〝言い過ぎ〟なのでしょうか。

〝慎〟まないといけないことなのでしょうか。

「求道者」さんは、『新生の書』を引用なさいました。

もしかして、これを引用なさったのは、私どもが〝慎む〟ということにすれば、〝和解〟への道が開かれると思ってのことなのでしょうか。

こういうことを言われるのであれば、敢えて、申し上げさせていただきます。

私どもに対して仰っていることを、谷口家に向けて発せられ、谷口家の〝和解〟へとお導きくだされば、その方が遙かに影響は甚大で、一遍に今の空気は替わるのではないでしょうか…?!

今回の『新生の書』のご文章を、総裁先生にこそご紹介してほしいと思うものであります。



「世界聖典普及協会」のメルマガから見えて来る現教団の〝護憲思想〟 (10888)
日時:2019年04月24日 (水) 08時43分
名前:破邪顕正


以下のメルマガから何が見えてくるか、ぜひ、考えてほしいと思います。

……………………………………………………………………………

憲法の本質と生長の家の教えとの関係をわかりやすく解説!
『憲法を知ろう』谷口純子(監修) 生長の家白鳩会中央部(編集)
定価180円が発売されました♪!

本小冊子は、生長の家の月刊誌『いのちの環』『白鳩』『日時計24』に連載された憲法問題に関する記事に生長の家の機関誌『生長の家』の記事を加えてまとめたものです。

憲法について歴史も踏まえて図解やQ&Aを用いて解説し、基本的な事項をわかりやすく説明しています。

(略)

●『誌友会のためのブックレットシリーズ3“人間・神の子”は立憲主義の基礎――なぜ安倍政治ではいけないのか?』
谷口雅宣(監修) 生長の家国際本部ブックレット編集室(著作)
定価245円

●『「憲法改正」の真実』樋口陽一(著) 小林節(著) 定価821円

(以下、略)
 
……………………………………………………………………………

私が注目したのは、ここに『「憲法改正」の真実』が推薦図書として紹介されていることなのです。

「世界聖典普及協会」から出版されているのならまだしも、この本は集英社から出されている本なのです。

結局、この『「憲法改正」の真実』に記されている内容が、今の教団の考え方、思想性に合致しているからに他なりません。

尊師・谷口雅春先生の憲法についての一連のご著書は、事実上の絶版に処していながら、その一方で、『「憲法改正」の真実』というような本は推薦する???

こういう現実があるのに、そこから目を背け、今の総裁、教団の思想性については不問に付すというようなことは決してあってはならないというのが、私の立場であるということを改めて申し上げておきたいと思います。

だって、そういう現実に耐えられなかったからこそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」は創立せられたのだと思うからです。

オカシイと思うことは堂々とオカシイと言う。

私はそこに共感を覚えたからこそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」で〝本流〟の運動を行わせていただこうと思ったのです。

有り難いことに、それに賛同してくださる方が着実に増えているのですから、それもまた一つのあり方としてあり得ると、それこそ寛容な心で受け止めていただければと思う次第です。




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