「トキ」さんの、根拠を明示しない勝手な決め付けは如何なものか… (9824) |
- 日時:2018年07月25日 (水) 15時24分
名前:破邪顕正
「トキ」さんが、こういう投稿をしています。
《古典の価値 (3523) 日時:2018年07月25日 (水) 00時36分 名前:トキ
(前略)
目の前にいる人を「救うと」言うのが、信仰者の基本的な使命だとしたら、一人一人の人間が本当の意味で幸せにするために何をすれば良いか。
生長の家の場合は、生命の実相に流れる人間神の子の信仰を伝え、広めることが大事だと思います。
現在の講師の方々は頭のいい人が多いので、教団も本流復活派も難しいことに目を向けがちですが、まずは基本に帰ることが大事なのでしょう。》
まず、「トキ」さんに伺いたいこと。
それは、貴兄の言う「本流復活派」とは何を指して言っているのか。
その定義を明らかにすべきだと言うことです。
それをせずして、「教団も本流復活派も」と、まるでミソも○○も一緒にするような表現は、実に不誠実であり、不快感を禁じ得ません。
あまつさえ、貴兄は、「まずは基本に帰ることが大事なのでしょう」とお説教をされているわけですから、当然、そこを明らかにすべきであると思うものであります。
因みに、私から言わせてもらえば「本流復活派」とは、尊師・谷口雅春先生の御教えに帰れ!を旗印にして運動を展開している団体だということになります。
そうなれば、当然、「ときみつる會」さんもそれに入るということになります。
そうなると、「トキ」さんは、「ときみつる會」さんに対して、「難しいことに目を向けがちですが、まずは基本に帰ることが大事」だとお説教を垂れていることになります。
「トキ」さんは、いったい、どんな立場で、そんな物言いが出来るのでしょうか。
なるほど、現教団は、「環境問題」こそが喫緊の課題であって、一人一人を「救う」ような余裕はないなどと言っています。
その限り、「トキ」さんの言い分は、教団には当て嵌まると私も思います。
ところが、「トキ」さんは、そこに「教団も本流復活派も」と「本流復活派」まで入れ込んで、教団と同じだと〝批判〟しているわけです。
どこがどう「教団」と同じなのか?
そう断ずるのであれば、それなりの根拠を明示して、言挙げすべきなのではありませんか。
ところで、「トキ」さんは、「本流復活派」がどういう機関誌を発行し、どういう行事を開催しているか、ご存じなのでしょうか?
私の言う「本流復活派」である、「ときみつる會」さんも、「新教連」さんも、私が所属する「谷口雅春先生を学ぶ会」も、貴兄の言う「生命の実相に流れる人間神の子の信仰を伝え、広めることが大事だ」と思って、活動していますよ。
そういう『機関誌』すら読まずして、一方的に「教団も本流復活派も難しいことに目を向けがちですが…」云々という言い方をしているとすれば、それはやはり「本流復活派」に対する冒涜であると私は思います。
とにかく、「トキ」さんの言い方は、常に、「教団」も悪いが、「本流復活派」も問題だというような傾向にあるように思います。
批判は批判で結構です。
ただ、「本流復活派」と言っても、それぞれの理念をもち、それぞれの思いで組織をつくり、尊師・谷口雅春先生の教えを後世に伝え遺したいという思いで、活動を展開しているわけですから、当然、そこには、それなりの配慮をなすべきであると思い、一筆、認めさせていただいた次第です。
|
|