予感 (9154) |
- 日時:2018年03月30日 (金) 23時11分
名前:中仙堂
学問、技芸の分野で「一子相伝」の言葉があります。
利休以来の茶の湯の精神を守りたいと云う 健気なこころを云うので有りましょう。
「今の教え」には其のような謙虚さの片鱗も存在しないのは、 同門の一人としては、極々極々残念な事でございます。
大聖師谷口雅春先生は其の辺りを相当以前から、心得ていらっしゃった様に拝察されます。
晩年のご講話には釈迦牟尼如来と、迦葉尊者、阿難尊者の法灯継承の件を良くお話し下さいました。
そして、いつも目頭を熱くするのは、御高著「ヨハネ伝講義」の前書に イエスとその弟子の最後の晩餐にて、「汝この者どもに勝りて我を愛する か」の問にペテロは「我が汝を愛する事はなんじ知り給う」と答え、 私はたれよりも我が師を愛します。と言い切れ無かった。 イエスは「我が羊をやしなえ。‥われに従え。」 と仰せられた。 名称がキリスト教徒であるばかりではなく真にイエスの魂に触れ、イエスに従う者のみが真にクリスチャンで有るのである。 と書き記されていらっしゃいますが、 数行前に、私は本書を校正しながら、磔けに釘けられて後に復活したキリストが ペテロと食事のあと、三度たずねられる処に至って ぼうだ(変換できず)として涙せずにはいられなかった。 とあります。 尊師は、その後の教団の姿を予感為されていたのでは無いでしょうか。
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