《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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家族愛、郷土愛、祖国愛(パトリオティズム)のない人類愛は、砂上の楼閣にすぎない (8172)
日時:2017年11月17日 (金) 11時27分
名前:明鏡


「 家族愛、郷土愛、祖国愛は 人間の基本 」である。

「 この三つが固まって初めて、最も崇高な人類愛を持つことができる 」 のである。


< 三つの愛なしの人類愛は 砂上の楼閣にすぎません。

そのうえ、家族を心から愛し、郷土の空、雲、風、山、谷、光、花、鳥、田、畑を

涙ながらに愛し、祖国の文化や伝統を こよなく愛する者は、他国の人々の同じ想いをも

よく理解できます。


すなわち、三つの愛は、戦争の抑止力にもなるのです。

このような情緒の未発達な者は、いざという時に適当な理屈や論理を編み出して

侵略に加担しかねない人です。


三つの愛のないような人間は、世界どこへ行っても尊敬はおろか信頼さえされません。>


『 日本人の誇り 』 94頁 藤原 正彦 著  文春新書





歴史・文化・伝統の基軸をしっかり護る (8173)
日時:2017年11月17日 (金) 17時34分
名前:明鏡


学生の頃、民青系全学連が『 祖国と学問のために 』 という機関紙を

出していた。ここで言っている、祖国は共産主義国家を意味していて、

具体的には、当時のソ連や中国であった。


そもそも、民青は共産党の青年組織であり、共産党はもともと、

コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本支部であった。


共産主義は、大衆路線による暴力革命から 組織の内側から資本主義、自由主義の

欠陥から切り崩してゆく組織路線に変わっている。外から見ると冷戦の時代は

終ったかに見えるが、共産主義の脅威はいささかも変わっていない。


今は 内側から、歴史・文化・伝統の基軸を破壊することで、

共産主義を目指しているのである。そのことは、反安倍と言いながら、

なぜか中国や北朝鮮やソ連のことは、一言も言わない、

むしろ擁護していることからも窺えるのではないか。






愛國書数冊を (8177)
日時:2017年11月18日 (土) 07時43分
名前:中仙堂

キリストは
「汝の隣人を愛せよ」
と仰せでした。
大聖師 谷口雅春先生は
キリストの云う 隣人とは
貴方の両親 家族ですよ。
とおっしゃいました。
人類の中で 最も自分自身に近く
神の恩恵は 先祖、両親の命を通して
頂いています。
人類を愛すると云う事は
父母を愛する事、
眞に自己の生命を愛おしむ事ですね。
隣人無く、直接人類を愛する
等と云う事は あり得ません。
自分をも愛していないと云う事に
他なりません。
職場に 元民青の闘士だったという
七十代の方が、
今では全くの愛国者で
共産主義では 人は救えない。
國は救えない。
とはっきり云ってます。
因に 光明思想社の
お守りを 喜んで受け取ってくれました。
半年程前の
櫻井よし子先生の憲法フォーラムにも
「是非行きたい」
と参加下さり、
愛國書数冊を ご購入されました。








中仙堂様、ありがとうございます。 (8179)
日時:2017年11月18日 (土) 13時05分
名前:明鏡


国を愛するということは、本来、普通の当たり前のことであるはずなのに、
我が国では、なぜか、当たり前でない。

いまなお、占領時のWGIP( 戦争についての罪の意識を日本人に植えつける宣伝計画 )が、
GHQの方針がそのまま、現在でもマスコミを始めとして、継続されているからではないか。

このままいけば、< いつか日本人は、戦争の淵源として、伝統や 「 基軸 」 の破壊に
向かうだろう > という、GHQの深い読み通りになっているのではないかと思います。



祖国愛の視座を欠いた言説は 空虚で、無意味である (8180)
日時:2017年11月18日 (土) 13時16分
名前:明鏡


数学者の藤原正彦氏の 的を射た論説を 『 祖国とは国語 』 より、紹介させて戴きます。


【 パトリオティズム 】( 祖国愛 )


  最近出席した二つの審議会で、愛国心が問題となった。

重要性を主張する委員たちと危険性を憂慮する委員たちの間に、

深い溝が見られた。一般の意見も二分されるのだろう。


祖国を愛すべきかで国論が割れる様は、おそらく世界に類例がなく、

外から見れば喜劇であり、内から見れば悲劇である。


 英語で愛国心にあたるものに、ナショナリズムとパトリオティズムがあるが、

二つはまったく異なる。ナショナリズムは通常、他国を押しのけてでも

自国の国益を追求する姿勢である。私はこれを国益主義と表現する。


パトリオティズムの方は、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもち、

またそれらをこよなく愛する精神である。私はこれを祖国愛と表現する。

家族愛、郷土愛の延長にあるものである。


 英米人が「 彼は ナショナリストだ 」 と言ったら批判である。

一方「 あなたはパトリオティストですか 」 と英米人に尋ねたら、

怪訝(けげん)な顔をされるか、怒鳴られるだろう。

「 あなたは正直者ですか 」 と尋ねるようなものだからである。


 我が国では明治の頃から、この二つを 愛国心という一つの言葉でくくってきた。

江戸時代まで、祖国を意識することはさほどなかったから、明治の人々も

そういうことに大雑把(おおざっぱ)だったのだろう。これが不幸の始まりだった。


愛国心の掛け声で列強との利権争奪に加わり、ついには破滅に至るまで狂奔したのだった。

戦後は一転し、愛国心こそ軍国主義の生みの親とあっさり捨てられた。

かくしてその一部分である祖国愛も運命を共にしたのである。

心棒をなくした国家は半世紀たつとどうなるか、が今日の日本である。

言語がいかに決定的かを示す好例でもある。


 祖国愛は どの国の国民にとっても絶対不可欠の精神である。

正直や誠実などと同じ倫理であり、これなくしてどんな主張も空虚である。


これは宗教と無関係である。


偉大なるキリスト者であり祖国愛の人でもある内村鑑三は「二つのJ」を愛すと言った。

キリスト(JESUS)と日本(JAPAN)である。戦争とも無関係である。

日露戦争を支持する圧倒的世論に抗し、断固反対したのも内村だった。

日露戦争に勝てば、その傲(おご)りがより大きな戦争へ祖国を導く、という理由だった。


 一方、国益主義は一般人にとって不必要なばかりか危険でもある。

良識ある人の嫌悪すべきものと言ってよい。


ただし外国と折衝する政治家や官僚はこれをもたねばならない。必要悪である。

他国のそういった人々がそれに凝り固まっているからである。

イラク問題で発言するイラク、米英、独仏中露などの首脳の腹にあるのは、

露骨な国益追求のみである。よくぞ臆面(おくめん)もなく あのような美辞麗句を、

と呆(あき)れるほどの厚顔無恥(こうがんむち)である。このような人々に対処し、

平和、安全、繁栄を確保するには、こちらにも国益を貫く強い意思が必要である。


 指導層が国益を追うのは当然だが、追い過ぎると、肝心の祖国を傷つける。

戦前のように祖国を壊しさえする。国益主義は暴走し、国益を守るに足る祖国そのものを

台無しにしやすいから、それを担ぐ指導層は、それが祖国の品格を傷つけぬよう節度を

持つ必要がある。国民がそれを冷静に監視すべきことは言うまでもない。


 祖国愛という視座を欠いた言説(げんせつ)や行為は、どんなものも無意味である。

これの薄弱な左翼や右翼は、日本より日中関係や日米関係を大事にする。

これの薄弱な政治家やエコノミストや財界人は、軽々しくグローバリズムに乗ったり、

市場原理などという歴史的誤りに浮かれたりして、祖国の経済ばかりか

文化、伝統、自然を損なって恥じない。

これの薄弱な教師や父母は、地球市民などという、世界のどこでも相手に

されない根無し草を作ろうとする。

これの薄弱な文部官僚は小学校の国語や算数を減らし英語やパソコンを導入する。


 情報化とともに世界の一様化が進んでいる。ボーダーレス社会と囃(はや)される。

各国、各民族、各地方に美しく開花した文化や伝統の花は、確固たる祖国愛や

郷土愛なしには 風前の灯(ともしび)である。


この地球をチューリップ一色にしてはいけない。

一面の菜の花も 野に咲く一輪のすみれもあって地球は美しい。

世界の人々の郷土愛、祖国愛こそが美しい地球を守る。


愛国心という言葉がまったく異質な二つのものを含んでいたことで、この一世紀、

我が国は いかに巨大な損失をこうむったことか。戦後はそのおかげで祖国愛まで失なった。


 現在、我が国の直面する困難の大半は、祖国愛の欠如に帰因 ( 起因 )すると

言ってよいだろう。祖国愛と国益主義を峻別し、すべての子供にゆるぎない祖国愛を

育(はぐ)くむことは、国家再生の急所と考える。


『 祖国とは 国語 』 90~93頁  新潮文庫  藤原 正彦 著
         136~139頁   講談社




日本をとり戻すために (8187)
日時:2017年11月19日 (日) 23時02分
名前:明鏡


数学者の岡 潔 氏といい、数学者の藤原 正彦 氏といい、二人の数学者は、

日本人特有の情緒や美感の大切さを説く。


< 祖国への誇りを持って初めて、先祖の築いた偉大なる文明を承継することができ、

奥深い自信を持つことができ、堂々と生きることができるのです。 >


数学者である藤原正彦氏の『 日本人の誇り 』 ( 文春新書 )より、

< 日本人が祖国への誇りを取り戻すための具体的な道筋 > を探ってゆきたい。


第八章 日本をとり戻すために


【 論理や合理だけでは 人間社会は動かない 】

・・・・・・

とりわけ我が国は、真に誇るべき文明を育んだ国でした。

それに絶大な誇りを持ってよいのです。

十九世紀に英国人スマイルズは、「 国家と国民は、自分達が輝かしい民族に

属するという感情により力強く支えられるものである 」

( 「 Character 」 by Samuel Smiles , 1871 )

と言いました。

祖国への誇りを持って初めて、先祖の築いた偉大なる文明を承継することができ、

奥深い自信を持つことができ、堂々と生きることができるのです。


アメリカの横暴やロシアの不誠実を諫(いさ)め、中国の野卑(やひ)を

戒(いまし)め、口角泡を飛ばし理屈ばかり言う米中に 「 論理とは ほとんど

常に自己正当化にすぎないものですよ 」 と諭(さと)すこともできます。


世界を動かすシステムに日本の視点から堂々と注文をつけることも

できるようになるのです。


【 「 誇り 」 を回復するために何が必要か 】


日本人が祖国への誇りを取り戻すための具体的な道筋は何でしょうか。

日本人は 「 敗戦国 」 をいまだに引きずり小さくなっています。

WGIP ( 罪意識 扶植計画 )で植えつけられた罪悪感を払拭することです。

そして作為的になされた 「 歴史の断絶 」 を回復することです。


すなわち、 「 誇り 」 を回復するための必然的第一歩は、戦勝国の復讐劇にすぎない

東京裁判の断固たる否定でなければなりません。そして日本の百年戦争がもたらした、

世界史に残る大殊勲をしっかり胸に刻むことです。


その上で 第二は、アメリカに押しつけられた、日本弱体化のための憲法を廃棄し、

新たに、日本人の、日本人による日本人のための憲法を作り上げることです。


現憲法の 「 前文 」 において 国家の生存が 他国に委(ゆだ)ねられているからです。

独立国でなくなっているからです。そして自衛隊は明らかに憲法違反であり、

「 自衛隊は軍隊ではない 」 という子供にも説明できぬ嘘を採用しなければ

ならなくなっているからです。


国家の支柱たる憲法に嘘があるからです。 「 嘘があってもいいではないか。

戦後の経済発展は軍備に金をかけず経済だけに注力したからではないか 」 と

いう人もいます。これも真っ赤な嘘です。戦前のドイツ、日本、戦後の韓国や台湾、

近年の中国など、毎年のGDP比10%、あるいはそれ以上の軍備拡大をしながら

目覚しい経済発展を遂げたからです。軍備拡大とは ある意味で景気刺激策とも

言えますから、むしろ当然なのです。


次いで 第三は、自らの国を自らで守ることを決意して実行することです。

他国に守ってもらう、というのは属国の定義と言ってよいものです。

屈辱的状況にあっては誇りも何もないからです。少くとも一定期間、自らの力で

自国を守るだけの強力な軍事力を持った上で、アメリカとの対等で強固な同盟を

結ばねばなりません。日米中正三角形論などという戯言(たわごと)に惑わされては

いけないのです。


この三つがなされ、日本の心髄とも言える美意識と独立自尊が取り戻されて初めて、

ペリー来航以来の百年戦争が真の終結を見るのです。



【 苦境を克服してこそ高みに達する 】


日本人の築いた文明は、実は日本人にとって もっとも適しているだけではありません。

個より公、金より徳、競争より和、主張するより察する、惻隠(そくいん)や

「 もののあはれ 」 などを美しいと感ずる我が文明は、 「 貧しくとも みな幸せそう 」

という、古今未曾有の社会を作った文明なのです。戦後になってさえ、

「 国民総中流 」 という どの国も達成できなかった夢のような社会を実現させた文明です。


今日に至るも、キリスト教、儒教、その他いかなる宗教の行き渡った国より、

この美感を原理としてやって来た日本で、治安は もっともよく、人々の心は

もっとも穏やかで、人情や惻隠に溢れ倫理道徳も高いのです。


今度の東北関東大地震でも、このような混乱時には どこでも起る略奪が極めて少なく、

秩序がきちっと保たれていること、冷静にじっと耐える被災者を

国民こぞって助けようとしていること、などは世界中から賞賛されています。


原発への放水の際に見せた消防隊や自衛隊の決死的行動は 海外の新聞で

「 ヒーロー 」 と一面トップを飾りました。 「 これから原発に行く 」 と

メールで妻に告げた消防隊長に、 「 日本の救世主になって下さい 」 と

一行の返答が届いたそうです。日本人は、まだ日本人だったのです。


日本人特有のこの美感は 普遍的価値として 今後必ずや論理、合理、理性を補完し、

混迷の世界を救うものになるでしょう。

日本人は誇りと自信をもって、これを取り戻すことです。

これさえあれば 我が国の直面するほとんどの困難が自然にほぐれて行きます。

さらに願わくば、この普遍的価値の可能性を繰り返し世界に発信し訴えて行くことです。


スマイルズは 前述の書で 次のように言いました。

「 歴史を振り返ると、国家が苦境に立たされた時代こそ、もっとも実り多い時代だった。

それを乗り越えて初めて、国家はさらなる高みに到達するからである 」 ( 藤原 訳 )

現代の日本は まさにその苦境に立たされています。

日本人の覚醒と奮起に期待したいものです。


『 日本人の誇り 』 245~249頁  藤原 正彦 著  文春新書




『 名著講義 』 藤原 正彦 著  文藝春秋(単行本) 、文春文庫 (8218)
日時:2017年11月25日 (土) 23時29分
名前:明鏡


http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3275517444c6f1fce024b882c39b867d


本書は、お茶の水女子大学で 十数年にわたり続いてきた、藤原教授の 「 読書ゼミ 」 を
収録したものである。各回の講義を 繰り返し読んでいると、とても味わい深いものがある。
取り上げられている作品は、明治から昭和前期までに書かれた11冊の「 名著 」 である。

最終章として、平成21年3月14日、お茶の水女子大学で行われた最終講義が収められている。

著者は、「 はじめに 」 において、次のように述べている。

< この授業を通じて私は、生まれて十八、九年間、ありとあらゆる偏見で
もみくちゃになった学生達に、主に明治期の偉人を通し、日本人としての生き方や
考え方に触れさせたいと思った。

日本人の原点に いささかでも触れると同時に、 「 時代の常識 」 からいったん退き
自分自身の頭で考えるという習慣をつけて欲しいと思った。
これまで受験勉強に追われて本をあまり読んでいない学生達に、
読書の愉(たの)しみを知ってもらえれば尚更(なおさら) 良いと願っていた。

・・・・・・・・

昔の人は 無知蒙昧(もうまい)、自分達 現代人が当然ながら歴史上一番偉い、と
信じていた学生達の多くが、江戸や明治の人々は人間として自分達よりはるかに上だった、
もしかしたら自分達は 史上最低かも知れない、とまで思うようになるのである。

偉大なる先人への尊敬ばかりではなく、名もなき庶民にまで親しみを感じ
敬意を抱くようになる。そして何より、そのような人々が生きた、
築いてきた この国に対して、誇りを感ずるようになるのである。

日本は恥ずかしい歴史を持った国、というこびりついた観念が
このゼミを通して霧消(むしょう)して行くのを見るのは私の喜びだった。


< 読み込まれた文庫本を片手に、感想を交わす女子学生たち ― 。
お茶の水女子大学の名物授業、藤原正彦教授の 「 読書ゼミ 」 始業前の光景だ。
毎週一冊、日本の名著を読んでレポートを提出し、討論を重ねて十年あまり続いてきた。

聴講資格は 「 毎週文庫一冊を読む根性、毎週一冊文庫を買う財力 」 。
「 読書こそ人間の基礎 」 と考える藤原教授が、専攻にかかわらず抽選で
選ばれた一年生二十人と、時に激論、時に人生相談、時に脱線し爆笑しながらの白熱授業。
さあ、いよいよ開講である。>

< なお本書は、「 文藝春秋 」 誌の二十代末の女性編集者 幸脇啓子氏が、
ジーンズをはくなど十歳ほど若づくりをしてゼミに潜入し、録音テープを
回したものに基づいて作られた。

「 お肌の張りの差に愕然(がくぜん) 」 とぼやきながらも熱心に実況中継して
くれた幸脇啓子氏、そして何より、ゼミに若い力をぶつけてくれた学生達に感謝したい。>

目 次

第一回  新渡戸稲造  『 武士道 』 [ 明治三十二年 ]               11 
第二回  内村鑑三  『 余は如何にして基督信徒となりし乎 』[ 明治二十八年 ]   34
第三回  福沢諭吉  『 学問のすゝめ 』 [ 明治五年 ]                57

第四回  日本戦没学生記念会編  『 新版 きけわだつみのこえ 』[ 昭和二十四年 ]  80
第五回  渡辺京二  『 逝きし世の面影 』 [ 平成十年 ]             103
第六回  山川菊栄  『 武家の女性 』 [ 昭和十八年 ]                126

第七回  内村鑑三  『 代表的日本人 』 [ 明治二十七年 ]             149
第八回  無着成恭編 『 山びこ学校 』[ 昭和二十六年 ]               173
第九回  宮本常一  『 忘れられた日本人 』 [ 昭和三十五年 ]            198

第十回  キャサリン・サンソム  『 東京に暮す 』 [ 昭和十二年 ]          221
第十一回  福沢諭吉  『 福翁自伝 』 [ 明治三十二年 ]               244

最終講義  藤原正彦 『 若き数学者のアメリカ 』 から 『 孤愁 』 へ         265


※ 『 逝きし世の面影 』は 平凡社ライブラリー 、他は 岩波文庫(青帯)である。







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